年のはじめに考える ゆがんだ正義と向き合う(2025年1月6日『東京新聞』-「社説」)

 4年前のきょう、2021年1月6日、共和党の大統領だったトランプ氏=当時(74)=の落選を認めない支持者たちが米連邦議会を襲撃しました=写真。民主党のバイデン氏=当時(78)=の当選確認の手続きを妨害し、大統領選の結果を変えようとしたのです。
 トランプ氏はその直前、集会を開いて支持者をたきつけていました。米国の民主主義を大きく揺るがせた歴史的な事件です。
 トランプ氏は選挙結果を変えようとした罪などで刑事訴追されましたが、大統領選を勝ち抜いて今月20日に返り咲きます。訴追した司法省への敵意をあらわにしており、人事などで報復するとみられます。すでに特別検察官は起訴を取り下げ、辞任する見通しです。
 司法省はDepartment Of Justice(ジャスティス)。ジャスティスには「司法」という意味もありますが、日本人にとってなじみ深い訳語は「正義」でしょう。「大辞林」(三省堂)によると、正義は「人が従うべき正しい道理」で、「人々の権利を尊重しながら義務や報奨、制裁などを正しく割り当てること」との意味もあります。
◆事実ねじ曲げ政敵攻撃
 襲撃事件を巡るトランプ氏への起訴状によると、暴徒の対応に当たった警察官ら5人が亡くなりました。
 でも、トランプ氏は「誰も死ななかった」と強調しています。事件を矮小(わいしょう)化して自身の起訴を不当だと主張し、暴動に加わった受刑者に大統領として恩赦を与える方針も表明しました。メディアがファクトチェックをしたり、亡くなった人を紹介したりしても、聞く耳を持ちません。
 死者の有無をゆがめることも問題ですが、死者がいなければ議会への暴力が許されるものでもありません。自身が敗北した選挙で不正があったと根拠なく言い張り、憎悪を駆り立て政敵を攻撃する行為を「正義」とは呼びません。
 トランプ氏は米南部ジョージア州の高官を脅して選挙結果を曲げようとするなど、ほかに三つの事件で訴追されました。有罪評決が下った事件もありますが、大統領選に再び当選したことで量刑の言い渡しが延期されるなど、罪の所在がうやむやになっています。
 日本には、明治維新を機に生まれた「勝てば官軍」という言葉があります。争いごとでは道理や手段がどうあれ勝者が「正義」になるという意味です。
 この言葉を「最も嫌い」とする新潟国際情報大学の佐々木寛教授は次のように語ります。
 「トランプ氏を見ていて浮かぶ言葉。選挙の『みそぎ』という言葉にも表れるように、勝ったら過去を水に流すという考え方が広がるが、法や倫理が脅かされ、歴史や文化の否定にもつながる」
 「『おごれる者は久しからず』との言葉もある。権力の上には正義や倫理がなければならない」
 企業経営でも「勝てば官軍」という言葉は、どんな手段を使っても競争に勝ち、利益を上げることが「正義」との趣旨で使われることがあります。不動産王の異名を持つトランプ氏もそのような「正義」観なのかもしれません。
 選挙戦からトランプ氏を支えた米実業家マスク氏だけでなく、当選後はSNS最大手メタのザッカーバーグ氏やソフトバンクグループの孫正義氏ら、巨額のお金を携えてトランプ氏の元に出向く企業トップも増えています。
◆勝てば官軍でいいのか
 「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助氏は「勝てば官軍」に否定的だったようです。かつて側近として支えた江口克彦氏の著書「ひとことの力-松下幸之助の言葉」によると「勝てば官軍、という商売は、あかんよ。結局は、失敗するで」と語ったそうです。
キャプチャ
この書は、松下幸之助の生の言葉、話をまとめたものである。晩年の23年間、お読みいただけるとおわかりになると思うが、ほとんど毎日、毎夜、松下との間で交わされた話を、その折々にとったメモと記憶をもとに、ほぼ、ありのままに記述した。ときに、いままで世に出されていない松下の話も出てくる。二人だけの会話であるから、いままで伏せていたものもあるが、もう、松下幸之助も歴史上の人物になったのだから、お許しをいただけるだろう。(中略)本書は、いままで幾多の、いわゆる、 「松下幸之助語録」のように、すなわち、松下幸之助の書籍から、言葉や文章を抽出し書きまとめたものでもなければ、 「また聞き」の言葉を集めたものでもない。直接、松下幸之助が、私に言った言葉、話を、私がまとめたものである。おそらく、本書は、 「読み物」としてだけでなく、松下幸之助の実態を知るための「資料」としても、後世に受け継がれていくものと、確信している。(本書「はじめに」より抜粋) 松下氏は、懇意にしていた僧に「大将というものは、そんなことをしてはいけない」と諭されたそうです。不当な手段で競合社に勝ち一時的に業績が好転しても、いずれ経営難に陥り、社員を路頭に迷わせる、と。書籍は「勝てば官軍」を主張した経営者が会社を倒産させた事例にも触れています。
 「米国第一」を掲げ、米国の力を信奉するトランプ氏の内政・外交政策は米国内にとどまらず、国際的に大きな影響を与えます。
 これまでの「正義」を基調とした国際秩序が根底から覆るかもしれません。それでも日本をはじめ国際社会は、トランプ氏の「ゆがんだ正義」と向き合わねばなりません。その覚悟も問われる4年間の始まりです。