▼2人は日清戦争で「被弾してなおラッパを口から離さなかった」とされる逸話の主だ。当初は白神の武勇と伝わり、その名が詩や歌、錦絵、劇に乗って海外にまで広まった。が、1年ほどで実は木口だったと訂正される
昭和19年3月、パラオ島からフィリピンに向かった2機の大型飛行艇が、荒天のため洋上に墜落した。機内には古賀連合艦隊司令長官と福留参謀長が分乗していた。参謀長以下9名は漂流するも一命をとりとめたが、米匪軍とよばれるフィリピンゲリラの捕虜になる。果たして参謀長の所持する海軍の最重要機密書類は敵方に渡ってしまったのか……。戦史の大きな謎に緻密な取材で挑戦する、極上の記録文学。「海軍甲事件」「八人の戦犯」「シンデモラッパヲ」もあわせて収録。
▼もっとも、誤報元の陸軍からすれば戦意が高まるなら誰の名でもよかったのかもしれない。日清戦争が起きて今年で130年。この1894年を起点に、大日本帝国は半世紀の長きにわたる戦争の道を歩みだしたと言えよう
▼当時の山陽新報や中国民報(本紙の前身)は、朝鮮半島から大陸へと攻め込む「わが軍」をたたえる言説でいっぱいだ。と同時に「わが村」の兵卒を停車場へ見送ったり、死を悼んで遺族へ献金したりといった小さな記事も幾多とある
▼戦争を時代の大きな流れとして、足元にある個々の営みとして、直視したい。太平洋戦争終戦から80年となる来年に向かい、あらためて胸に刻む年の瀬である。