宮内庁によると、上皇さまは、上皇后さまが入院中、病院を2度訪れて見舞われた。退院当日は、お住まいの仙洞(せんとう)御所(東京・元赤坂)の車寄せで出迎え、手を差し伸べられた。現在は朝夕、上皇后さまとお住まいの中などを一緒に歩かれている。
ライフワークのハゼの研究は、皇居の生物学研究所とお住まいで週3回、過去に自身で手がけた論文の再検証など二つのテーマに取り組まれている。ドイツ人博物学者のシーボルトが200年前に日本で採集したハゼ類の標本に関心を持ち、関連文献を読まれている。側近は「今も研究の幅を広げられている」と話す。
2022年7月に診断された右心不全については、心不全の診断指標となる血中のBNP値がやや高い。少量の胸水の貯留も認められるが、薬の服用と水分の摂取制限の内科的治療を続け、比較的安定した状況が続いている。食事中は誤嚥(ごえん)防止のため、会話を控えるようにされているという。
誕生日当日の祝賀行事は簡素な形で、昨年より出席者をやや増やして行われる。
上皇さまは23日、91歳の誕生日を迎えられた。10月に右大腿(だいたい)骨を骨折して手術を受けられた上皇后さまを気遣いながら、赤坂御用地にあるお住まいの仙洞(せんとう)御所(東京都港区)で穏やかな日々を過ごされている。ハゼの研究では従来のテーマを深めつつ、関心の対象を広げられている。
宮内庁によると、上皇さまは今も新聞やテレビのニュースなどを通じ、国内外の動向を注視されている。今年は特に、元日の地震で大きな被害を受け、9月に記録的な大雨に見舞われた能登半島の人々の生活を案じられていたという。
5月には、戦時中に疎開した栃木県日光市を上皇后さまと訪ねられた。終戦の日など戦争にまつわる日の黙禱(もくとう)を欠かさず、朝食後には、沖縄の歴史を記した「戦争と沖縄」(池宮城秀意著)を音読されるなど、その日常は「今も戦争のご記憶と深くつながっている」(側近)という。
ハゼに関する過去の論文の見直しを続ける中で近年、江戸時代に長崎を訪れた医師、シーボルトが国内で採集したハゼ類の標本にも関心を示し、資料を収集されているという。研究を支える関係者は「疑問が生じたものは、必ず確かめようという研究者としてのご姿勢は変わらない」と話す。
上皇さま、91歳のお誕生日 この1年のご近況全文
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上皇陛下は、今年、91歳のお誕生日をお迎えになります。
ご体調に大きな変わりはなく、怪我をされた上皇后さまのご様子を気遣われながら、静かで穏やかな日々を規則正しくお過ごしです。
毎日、朝夕には新聞をお読みになり、誤嚥を防ぐため会話をお控えになるお食事時にはテレビニュースをご覧になって、国内外の動向に目を留められています。特に今年は、元日に最大震度7を観測する地震により大きな被害を受け、9月に記録的な大雨災害に見舞われた能登半島の状況と被災者の生活を案じておいででした。新型コロナウィルスの感染拡大以降、人とお会いになる機会は大幅に減りましたが、報道やテレビ番組、書籍等をご覧になり、また、侍従等とのお話を通して社会の動きに目を向けられています。
今年5月、疎開された栃木県日光市の旧日光田母沢御用邸と奥日光湯ノ湖畔を上皇后さまとお訪ねになりました。陛下は、学習院初等科5年生でいらっしゃった昭和19年7月10日から約1年間、当時の田母沢御用邸でお過ごしになり、当初は隣接する東京大学附属植物園日光分園の「実験室」で、厳寒期を迎えた11月末からは御用邸の附属邸で授業を受けられました。
旧日光田母沢御用邸では、ご記憶を辿られながら、お使いになったお部屋やお庭でスキーをなさった様子など、当時のご生活を上皇后さまにお話になりました。また、建物近くを流れていた小川を思い出され、お庭の防空壕跡を懐かしまれ、平成13年に植樹されたご疎開当時の思い出の木「イチイ」のその後の成長をご覧になり、当時の東京大学附属植物園日光分園の「実験室」にも足を運ばれました。
奥日光湯ノ湖畔では、昭和20年7月21日から終戦を経て同年11月7日に帰京されるまで滞在された当時の南間ホテルの跡地をお訪ねになりました。建物はすっかり様変わりしましたが、周囲の山並みと湯ノ湖の景色を頼りに往時を思い起こされ、湯ノ湖で和船をお漕ぎになったことを上皇后さまにお話になっていました。
今年は7月の那須御用邸、8月の軽井沢大日向でのご静養を除き、地方へのお出ましはこの時のご訪問だけでした。
陛下のご日常は、今も戦争のご記憶と深くつながっています。
沖縄県慰霊の日、広島・長崎原爆の日、終戦記念日には、式典の進行に合わせて上皇后さまと黙祷され、終日、静かにお過ごしになります。終戦記念日前後には戦争に関するドキュメンタリー番組をご覧になり、毎年8月の軽井沢大日向では満蒙開拓団の歴史に向き合われます。日課であるご朝食後の上皇后さまとの本の音読は、今は池宮城秀意さんの「戦争と沖縄」をお読みです。
陛下はこれまでに度々、沖縄への思いを語ってこられました。
平成8年のお誕生日会見では、「戦後50年を経、戦争を遠い過去のものとしてとらえている人々が多くなった今日、沖縄を訪れる少しでも多くの人々が、さんご礁に囲まれた島と美しい海で大勢の人々の血が流された沖縄の歴史に思いを致すことを願っています」と述べられ、平成24年のお誕生日会見では、「これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています」と話されました。
ハゼ科魚類の分類に関するご研究は、毎週月曜日と金曜日は皇居生物学研究所で、水曜日は仙洞御所でお続けになっています。陛下のハゼへの親しみは、ご幼少期に葉山御用邸近くの磯でハゼを主とする魚を採集して遊ばれたご経験に始まります。
陛下は、現在、昨年に引き続き以下の2つのテーマに取り組まれています。
一つは、1987年発行の「日本の淡水魚類」(東海大学出版社)に発表された論文を基にしたチチブ類の分類や生態の再検証です。河川構造や潮汐運動による塩分濃度の違いがチチブ類の住み分けに与える影響や河川の生息環境の違いによる体表に現れる模様の変化等について、生物学研究所職員から話を聴かれています。
二つは、1980年に共著者と発表された日本産クモハゼ類6種とその後に確認された4種を加えた日本産クモハゼ類10種の分類学的再検討です。両者の分類学的形質の異同について確認される一方、成魚を対象とした日本産クモハゼ類10種を識別するための検索表が幼魚の識別にも有効であるか検討されています。
また、これらのご研究との関係で、ここ数年、江戸時代に長崎・出島のオランダ商館医であったシーボルトが200年前に日本国内で採集したハゼ類の標本にも関心を示され資料を収集されています。
一昨年7月に診断された三尖弁閉鎖不全による右心不全については、現在も血液検査のBNP値がやや高く、少量ながら胸水貯留も認められますが、薬の服用、水分の摂取制限といった内科的治療により、その後も比較的安定した状態が続いています。
10月6日に上皇后さまが右大腿骨を骨折された時は、とても心配なご様子でした。入院された7日午後とご手術後の8日午後に東京大学医学部附属病院にお出ましになり、上皇后さまを見舞われ、医師の説明を共にお受けになりました。13日のご退院当日は、車椅子でお戻りになった上皇后さまを御所御車寄でお出迎えになり、言葉少なに挨拶を交わされた後、手を差し伸べられておねぎらいになりました。ご退院後は、御所でのリハビリ訓練のご様子をしばしばご覧になっていました。
11月15日には崇仁親王妃百合子殿下薨去の報に接せられ、深いお悲しみを滲ませられました。杖を使ってやっとお歩きになられた上皇后さまを支えられ、同日、三笠宮邸にご弔問になりました。その後も翌16日のお舟入り、24日の正寝移柩の儀、また、25日の霊代安置の儀の折にも宮邸をお訪ねになって拝礼されました。
今年のお誕生日行事は、概ね昨年同様の簡素な形としながら、やや人数を増やして祝賀をお受けいただく予定です。