「あっ、私のことだ」と涙 ダブルケア報道へ反響 託された「声」(2024年12月18日『毎日新聞』)

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青森県で暮らすシングルマザーの女性はダブルケア取材班に宛てたメールで「ダブルケアは想像以上に大変。本屋に行きたい、ショッピングセンターに行きたい、塾への送り迎え。そんなことも当たり前にできないのです」と嘆いた=毎日新聞大阪本社で2024年12月9日、小関勉撮影
 子育てと家族の介護が重なる「ダブルケア」を巡り、毎日新聞は1月から、その過酷な日常や支援の課題に迫るキャンペーン報道を始めました。「記事で救われた」「自分の経験も聞いてほしい」。取材班には、全国の読者の方々から約100件の感想や体験談が寄せられました。
 誰の身にも起きるかもしれない問題を、ひとりでも多くの人に考えてもらえるように。託された「声」を届けます。
元日の幸せから一転
 「2年前、私は『トリプル』でした」
 大学職員の女性(36)=東京都=は、取材班へのメールでこう打ち明けた。
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小学生の長女の傍らで、寝たきりの母親を介護するダブルケアラーの女性(中央)=千葉県内で2024年1月、内藤絵美撮影
 2022年の元日。夫(35)と待ち望んでいた第1子の愛娘が生まれた。結婚を機に同居を始めた両親も大喜びだった。
 一連の報道は、毎日デジタルの特集ページや社会部ダブルケア取材班が開設したX(ツイッター)のアカウント(@doublecare_mai)から発信しています。体験談やご意見は、取材班のメール(doublecare@mainichi.co.jp)までお寄せください。
 家族の歯車が狂い出したのはその翌日だ。「食欲がない」。60代だった母から電話でそう言われた。
 母は認知症の父にいつも寄り添い、共働きの娘夫婦も支えてくれていた。ひとりっ子の女性にとって、誰よりも頼りにしていた母の異変だった。
 春を迎えた4カ月後、目の前が真っ暗になる。精密検査で食道がんと診断され、医師から「3年、生きられたら」と告げられた。
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毎日新聞のダブルケア取材班に寄せられた反響の手紙やメール=毎日新聞大阪本社で2024年12月9日、小関勉撮影
 「(孫が)幼稚園に入る姿、見られないんだ」
 同席した告知の直後、診察室を出た母がこぼした言葉に胸を締めつけられた。
真夜中の「負のスパイラル」
 母が入退院を繰り返すようになった頃から、父の症状も悪化する。両親の介護と乳飲み子の育児。育児休暇中だった女性に三重の負担がのしかかった。
 「しんどかった。でも、娘の私が踏ん張るしかなかった」。女性を特に苦しめたのが夜中の「負のスパイラル」だ。
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愛知県で暮らす30代の女性から取材班に寄せられたメールには「ダブルケアを選んだ自分自身を社会に否定されたように感じました」とつづられていた=毎日新聞大阪本社で2024年12月9日、小関勉撮影
 娘をあやしながら1~2時間かけて寝かしつけると、父から「起きてくれ」と寝室をノックされた。
 居間に移ると、父の妄想が止まらない。「母さんが亡くなった」「急に体が悪くなるなんておかしいから裁判を起こす」。泣き出す娘の対応に追われた。
 母が一時帰宅した時の夜間は、娘を横で寝かせながら痛みを訴える母の背中をさすった。夫は率先して家事や子育てに関わってくれたが、寝不足で心身ともに疲れ果てた。
 その年の秋、母は息を引き取った。その悲しみから父の症状はさらに進んだ。「このままでは家族が壊れてしまう」
読者から取材班に寄せられた主な声①
今も葛藤
 夫や娘への影響を考え、父を間もなく介護施設に入れることを決めた。
 父は当初、施設の職員に「自宅に帰りたい」と何度も訴えた。認知機能は衰えているものの体は元気なため、自分の判断が正しかったのか今も葛藤する。
 そんなやり場のない思いをブログに書くようになった。ダブルケア報道が目に留まったのはそんな頃だ。
読者から取材班に寄せられた主な声②
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 記事には、子育てと介護を同時に抱える人たちが少子高齢化や晩婚・晩産化で増えているとあった。「自分の経験が誰かの役に立つのであれば」と、取材班にメールした。
 女性は「ケアの真っ最中は頼れる人が必要。ここに駆け込めば大丈夫という所ができれば、少しは救われる」と訴える。
「社会に否定されたよう」
 ダブルケアという言葉はまだ広く知られていない。それゆえ社会の理解や支援が乏しく、自分も当事者だと気づかないまま苦しんでいる人が少なくない。
 神奈川県南足柄市の女性からのメールには、「『あっ、私のことだ』と思い、今まで何が大変だったのかのみ込めた気がした。分かってくれる人がいたと記事を見て思い、なぜか涙がこぼれました」とあった。
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神奈川県に住む女性からダブルケア取材班に届いたメールには「記事が目に入った瞬間、『あっ、私のことだ……』と思い、自分が今まで何が大変だったのかのみ込めた気がしました」と書かれていた=毎日新聞大阪本社で2024年12月9日、小関勉撮影
 「ダブルケアを選んだ自分が社会に否定されたようだった」。そう嘆いたのは、保育園児の子どもと要介護4の祖母と暮らす愛知県の女性(33)だ。
 出産から間もない5年前にダブルケアが始まった。祖母は軽い認知症だったが、その後の転倒をきっかけに車椅子の生活になった。
 看護師の女性は勤務先の託児所に子どもを預けていた。仕事を終えたら子どもを引き取り、足早に帰宅してデイサービスから戻る祖母を待ち受けた。
 祖母の介護に集中しようと、時短勤務に切り替えていた。保育園に子どもを預けようとすると、「落選」した。役所の担当者から「勤務時間が多い人が優先」と説明された。
 介護を優先させただけなのに、それが原因で子どもを保育園に預けられないのか――。ショックだった。
 その後、保育園に空きが出たため結果的に子どもを通わせることができたが、あの時の悲しさは今も忘れられない。女性は「『頑張っているね』と認めてもらえる社会になってほしい」と願う。
ダブルケアサポートが作製したハッピーケアノート。ダブルケアについて分かりやすく解説している
「きょうも介護。過酷さ知って
 ダブルケアで時間的な余裕を失い、離職を迫られる人もいる。離職は貧困や孤立につながる恐れがあり、深刻な課題になっている。
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ダブルケアサポートが作製したハッピーケアノート。ダブルケアについて分かりやすく解説している
 「夢も諦めました」
 小学6年の長女を育てるシングルマザーという女性のメールには、悲痛な言葉が並んでいた。
 2年前、自身の母がくも膜下出血で倒れ、寝たきりの要介護5になった。
 元々、准看護師として働いていた女性。正看護師の資格を取れる学校に合格し、夢に向かって歩み始めた直後のことだった。
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ビジネスケアラー数の推移
 「病院で死にたくない」。そんな母の気持ちを受け入れ、仕事を辞めた。
 こうも書かれていた。
 「本屋に行きたい、ショッピングセンターに行きたい、塾の送り迎え。当たり前のこともできない」
 「国の支援も少なく、私にとって生活は厳しいの一言です。世の中、不公平だと思うようになりました」
 メールはこんな文言で締めくくられている。「それでも私は今日も母の介護をしています。ダブルケアについて、大変さ、過酷さを世の中に理解していただきたいです」
独自調査で29万人超、働く世代に集中
 毎日新聞は1月、国の就業構造基本調査を基にした独自集計でダブルケアに直面する人が2017年時点で全国に推計で29万3700人おり、30~40代の働く世代が9割を占めていることを報じた。
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オーダーメード集計の主な結果
 育児中の38人に1人が該当することを示す数字で、その重い負担が女性に偏っていることや離職も迫られている人が少なくない実態も浮き彫りになった。
 この調査を皮切りにダブルケアラーたちや支援団体の声を紡ぐ連載や、在宅介護の家族を担当するケアマネジャーへのアンケート調査から支援の課題や備えの重要性も多角的に問題提起した。
 子育てと介護の相談窓口が異なる「縦割り行政」の解消が進まず、課題が複雑に絡むダブルケアへの有効な公的支援は今も乏しい。しかしこの間、国民民主党が政府に実態調査や的確な負担軽減策を義務づける「ダブルケア支援法案」を国会に提出したほか、先の衆院選で複数の政党が支援の充実を掲げる動きも出始めている。【ダブルケア取材班】
ダブルケアとは
 子育てと介護が重なる状況を意味し、この実態と課題を調査・研究する横浜国立大の相馬直子教授と英ブリストル大の山下順子上級講師が2012年に提唱した和製英語。公式な定義はなく、広い意味では家庭内で2人以上の介護を抱えた状態にも使われる。