木村了さん
俳優として活躍を続けながらも、母親であること、妻であることに日々、幸せを感じているそうです。(聞き手・藤田勝、撮影・秋元和夫)
――お子さんたちはもう中学3年生と1年生ですね。
小さい時のように片時も目が離せないみたいなことはなく、自分のことは自分でするようになって、ずいぶん成長したなあと思います。
――2人が幼い頃、シングルマザーの時期がありました。大変でしたか。
精神的につらかった時期もあったと思いますが、基本的には、自分はタフな方だと思っているし、両親など周りにもサポートしてもらい、何とか生活を回していました。
――仕事はかなりセーブしていましたか。
できる範囲では続けていたので、帰りが遅くなる日は夜間の託児所探しとか大変でしたね。でも、寂しい思いは絶対にさせたくなかったので、なるべくそばにいて、毎日のように公園で遊ばせたり、小さな畑を借りて農業体験を楽しんだりしていました。畑は無農薬だったのでイモムシみたいな虫が大量に発生して、私は虫が大嫌いなのでギャーギャー言って、処分は子どもたちにお任せしていました(笑)。
――どうして農業体験をさせようと?
ふだんスーパーで買ってきた野菜を当たり前のように食べているけど、畑を耕すところから全部、自分たちで手間暇かけて育てれば、農家さんってすごいなっていうことを身をもって知ることができます。そういう体験をさせてあげたかったんです。
――母親になって、自分が変わったと思いますか。
見る世界が広がりました。野菜もそうですけど、すべてが当たり前じゃないんだなって。自分の母はもちろん、すべての母親に対する尊敬の気持ちも持てるようになりましたね。今は空いた時間に子どもたちを連れて子ども食堂のお手伝いに行くこともあります。いつか、自分もそういう場を作れたらいいですね。
――今の子どもたちの育つ環境は、自身の子どもの頃とかなり違うと感じますか。
私たちの小さい頃は駄菓子屋が普通にあって、店のおばあちゃんにいろんな話を聞いてもらったり、友達と交流したりできましたが、今はそういう居場所がないですよね。ゲーム機やスマホがあればオンラインで友達と遊べてしまうので、家を出ずに完結しちゃう。それは怖いと思うんです。
もちろんそれは便利ではあるけれど、もっと大事なのは、やっぱり直接人と会って話すこと、いろんな体験を積むことであって、それによって成長とか、心の豊かさにつながると思います。
それを特に感じたのはコロナ禍ですね。休校で友達との関わりがもうほぼなくなって、コミュニケーションのとり方とか学ぶ機会がポッカリ失われました。本当なら、あの時期に友達同士が会うことで、たとえけんかしたとしても、いい面でも悪い面でもやっぱり学ぶべきことがあったと思うんです。
「もう結婚するつもりはなかったんですが…」
――2人の幼いお子さんがいて、3度目の結婚に不安はなかったですか。
もう結婚するつもりはなかったんですが(笑)、ありがたいことに、私に寄り添ってサポートしてくれるパートナーに出会えたということで……。夫と子どもたちは最初から仲が良くて、今は下の子が反抗期で私にはすごく反抗的なのに、夫はバランス感覚がいいのか、そういう時期でもすごく仲良しです。
守るべきものを愛情を持って育てることの幸せ
――とても家族円満そうです。
母親になり、パートナーにも恵まれ、今はすごく幸せを感じます。今までは極端な言い方をすると、幸せを感じることがいけないというか、怖いというか、ちょっと偏っていた部分があったと思います。
でも子どもができて、こんなに幸せなことってあるんだなとか、子どもたちが喜んでくれることでこんなに私も幸せになれるんだなとか、守るべきものを愛情を持って育てることの幸せを感じます。もちろん、日々いろいろと衝突もするし、大変なこともあるけど、それ以上に幸せだなって思います。
――幸せを感じちゃいけないと思っていたというのは?
表現者であることにとらわれていた時期があって、常にギリギリのところにいなきゃいけないとか、追い込まれていた方がいろんなものが出てくるみたいな……。
昔も今もお芝居が好きな気持ちは変わらないですが、以前は何かの作品に入ったらそれしか見えず、プライベートでも抜けなくて、苦しんでいたこともありました。それが今では、うまくバランスをとって切り替えられるようになってきました。
一人の人間が、ときには表現者だったり、母親だったり、妻だったりする。そんな自分を認めて、いろんなことを楽しめるスタンスができてきたのかなと思います。
おきな・めぐみ 1979年、広島県生まれ。92年、13歳のときにテレビドラマでデビュー。以来、多くのテレビドラマ、舞台、映画、CMなどで幅広く活躍。2009年に長女、11年に次女を出産。