「南海トラフ地震」臨時情報‟空振り”のウラで…静岡県で伝わる「2038年説」の衝撃の内容(2024年8月19日『現代ビジネス』)

空振りに終わった地震臨時情報
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2024年7月8日午後4時43分ごろ、宮崎県南部で震度6弱地震が起きた。地震の規模はマグニチュード(M)7・1と推定された。
今回の地震震源地が「南海トラフ巨大地震」の想定震源域内であったため、その直後に、気象庁は「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表した。
静岡県を含む関東から沖縄までの太平洋沿岸で、M8~9の大規模な地震が発生する場合が想定され、強い揺れだけでなく、大津波も伴うとして、1週間程度は、注意するよう呼び掛けた。
15日午後5時に、気象庁は大地震などの異常な現象が観測されなかったとして「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を終了した。
つまり、今回の臨時情報は空振りだった。
今回の地震は、想定震源域でM7クラスの地震が起きた「一部割れ」に当たるとの見解を示したが、地震学者によっては宮崎県南部を南海トラフ地震の想定震源域に入れないとする見方もある。
気象庁初の南海トラフ巨大地震の臨時情報で大騒ぎになったが、あまりにも不確実性が高く、根拠は非常に乏しかったようだ。
1976年10月、「M8、震度6(烈震)以上で、地球上で起こる最大級の地震があす起きても不思議ではない」とする「東海地震」説が発表された。
東海地震震源域は駿河湾であり、静岡県を直撃して、都市部を中心に壊滅状態になると想定され、大騒ぎとなった。
その東海地震説から、50年近くたつが、巨大地震は発生していない。いつの間にか、東海地震の名称さえ消えてしまった。
それだけに、東海地震が直撃するとされた静岡県では、「南海トラフ地震」説へも強い不信感を抱く人たちが多い。
今回の発表でも、多くの人が「巨大地震注意情報」に全く動揺しなかった。
その大きな理由の1つとして、川勝平太前知事を強く支持した県民たちの中には、南海トラフ地震は「2038年頃」に発生して、季節も9月から3月の間に起きると信じ込んでいる人たちが数多くいるからだ。
地震学者が唱えた「2038年説」
 
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尾池和夫氏の著書『2038年 南海トラフの巨大地震
それは、いったい、どういうことか?
地震学の最高権威」と川勝知事が絶賛した、第24代京都大学総長を務めた尾池和夫氏を、静岡県は2021年4月から2024年3月まで、静岡県公立大学法人理事長兼静岡県立大学学長に起用した。
リニア問題関連でも、川勝知事の立ち上げた「南アルプスを未来につなぐ会」(事務局・静岡県自然保護課)顧問となった。
つまり、尾池氏は川勝知事と昵懇の間柄だった。
地震学者の尾池氏は「2038年南海トラフ地震」説を唱えている。一般向けには2015年3月、『2038年 南海トラフの巨大地震』(マニュアルハウス)を発刊している。
本の帯には「次の南海トラフ巨大地震は2038年頃に起こる」とある。
だから、京都大学総長を務めた地震学者の予知を、頭から信じている人も多い。
尾池氏の「2038年南海トラフ地震」説については、2022年2月に川勝知事と行った対談で登場している。
その対談は、川勝知事肝煎りの静岡県広報誌「ふじのくに」49号に掲載されている。「南海トラフ巨大地震はいつ?」という小見出しの対談部分で、尾池氏は「2038年南海トラフ地震」説を自信たっぷりに唱えているのだ。
知事東日本大震災以来、「東海・東南海・南海3連動の巨大地震」と言われたものが、今は「南海トラフの巨大地震」と呼ばれています。最近起きた大きな地震は?
尾池氏東南海地震です。1944年、昭和19年の12月。それと1946年南海道地震の2連発です。2年置いて。
知事袋井あたりですごい被害が出ました。1944年の前は?
尾池氏それが安政の大地震1854年安政東海地震・南海地震で32時間置いて2連発。幕末です。その前は1707年の宝永地震。それで富士山が噴火して宝永火山ができたんですね。
知事継起性を感じますね。先生は南海トラフ巨大地震の2038年説を発表されています。正直、驚きました。
尾池氏いろんな理由がありますが、一番確度の高い予測がその頃です。西日本は東日本と違ってプレート境界と陸がかなり近い。だから、(高知県)室戸岬御前崎、潮岬などは、皆すぐ近くに南海トラフの境界があって、フィリピン海プレートが沈み込みながら陸のプレートを引きずり込んでいる。室戸岬は海溝からの距離が近いので、地震の時に海底とともに隆起する。だから港を早く浚渫(しゅんせつ)しないと間に合わない。室津港の浚渫をどれだけしたかという記録から類推すると、2038年になります。
知事歴史的根拠があるというわけですね。静岡県南海トラフ地震に備えて「地震津波対策アクションプラン」を策定しています。プランの進展状況をPRしているうちに「南海トラフの巨大地震」という呼び名は広く知られるようになりました。
尾池氏とにかく「起こるかもしれない」ではなく「必ず起こります」。それと季節が偏っています。起こるのは9月から3月の間。統計が8回分もありますから、今後も繰り返すでしょう。そういう癖があることを知っていれば、行政には大きなメリットがあるでしょう。そうした知識を県民の皆さんに具体的に知ってもらう仕組みをつくるべきだと思います。
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臨時情報を受けた鈴木知事の会見(筆者撮影)
尾池氏によれば、南海トラフ地震は「2038年」頃に起きる可能性が高く、それも9月から3月までの間に繰り返す癖があるらしい。
それで、「県民に具体的に知ってもらう仕組みをつくれ」と川勝知事に進言している。
この対談記事を読んだ静岡県民の中には、川勝知事が絶大の信頼を寄せた尾池氏の「2038年南海トラフ地震」説を頭から信じ込んでしまった人が数多くいるのだ、という。
だから、当然、8月8日宮崎県南部で起きた地震が、南海トラフ地震とは関係ないと相手にしなかった。
そもそも静岡県と言えば、「東海地震」説と切り離すことはできない。
石橋克彦・神戸大学名誉教授(地震学)が、東京大学助手の時代、1976年10月の日本地震学会で、「東海地震」という巨大地震説を発表した。
日本国内では、東海地震の予知が、衝撃的な‟事実”と認められ、社会全体を揺るがす大きな問題にまで発展した。
東海地震説から2年後、1978年6月、政府は世界初の「地震予知法」(大規模地震対策特別措置法)を施行した。
地震予知を前提に、深刻な被害が予想される東海地域への影響を軽減するという、世界でも例のない法律だった。
明日起きてもおかしくない大地震の発生に向けて、静岡県地震対策事業に予算を重点的に配分し、他県のような大規模公共事業などを行わないで、被災したあとの復興に備えて膨大な基金を積み立てていく。
県内の公共イベントの計画は縮小、変更され、総合防災訓練、地域防災訓練、津波避難訓練など静岡県全体が「東海地震」発生を想定した事業一色に染まってしまった。
静岡県の異常な状況に、世間では『静岡県に近づくな』が合言葉になった。
やむを得ず新幹線などで静岡県内を通過する際、誰もが息をひそめて大地震に遭遇しないよう祈る姿が見られた。
いまとなっては「笑い話」だが、当時は新幹線車内で真剣な面持ちで目をつむって必死で祈る人を横目にしながら、誰もが「早く静岡県を通り過ぎてほしい」と願ったものだ。
何の根拠もないノストラダムスの大予言が信じられたのと違い、こちらは、東大助手による巨大地震説だから、当時、“超危険地帯”となった静岡県の地価は下がり、伊豆などの観光客は激減した。そのマイナス効果はあまりにも大きなものだった。
その後、1995年阪神・淡路大震災が起き、北海道、新潟、熊本など他の地域で大地震が発生したが、40年以上たっても静岡県を中心とする東海地域だけには大きな揺れを伴う巨大地震は襲ってこなかった。
2011年の東日本大震災を契機に、東海地震や南海地震などと領域を区別せず、「南海トラフ地震」と呼ぶことになった。
いつの間にか、静岡県から「東海地震」の名称が消えてしまった。
東京大学のロバート・ゲラー名誉教授は「前兆現象はオカルトみたいなもの。確立した現象として認められたものはない。予知が可能と言っている学者は全員『詐欺師』のようなものだ」などと批判した。
これだけ時間がたてば、駿河湾に「割れ残り」があるとされた「東海地震」説が間違いだったことがわかる。
いまでは、静岡県民でさえ、あの強烈なインパクトを与えた「東海地震」の名称さえ知らない若い人たちが増えている。
南海トラフ地震臨時情報が出された直後、7月9日の定例会見で、鈴木康友知事は「過剰な反応、対応は必要ない。1週間くらいの食料、水の備蓄はお願いしているが、最低限の準備だけして、落ち着いた行動をしてもらいたい」などと呼び掛けた。
約50年前、静岡県は「東海地震」予知という『詐欺師』のようなものをすっかりと信じ込まされた。だから、当時のような過剰な対応はもう、こりごりなのだろう。
また、尾池氏の「2038年南海トラフ地震」説を信じていれば、今回の「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」には全く動じないはずだ。
尾池氏が自信たっぷりに唱えた「2038年南海トラフ地震」説が正しいならば、いまから10年後には静岡県などが超危険地帯となる。
岸田文雄首相は南海トラフ巨大地震の注意情報発令中の14日に、首相退任を表明した。本当に巨大地震の恐れがあるならば、そんな表明ができるタイミングではなかったはずだ。
政府が、南海トラフ地震評価検討会の学者のことばなど信じていないことをはっきりとさせたかっこうとなった。
あるいは、岸田首相自身も尾池氏の「2038年南海トラフ地震」説をかたく信じているのかもしれない。
小林 一哉