6月20日告示、7月7日投開票の東京都知事選に現職の小池百合子氏が3期目を目指し出馬すると表明した。同選挙には、参議院議員の蓮舫氏や広島県安芸高田市の元市長、石丸伸二氏らはじめ、50人以上が立候補の意向を示しているとされる。前回の22人を超える過去最多となる見通しだ。
人の入れ替わりの激しい東京都の知事選は一時の熱気や争点によって当落が決まってしかうことも多い。財源も権限も大きい東京都知事は判断一つで社会を大きく変えてしまう可能性もある。
首都・東京のリーダーをどう決めれば良いのか。歴代の知事たちの選挙戦や当選後の政策を追った「Wedge」2021年8月号特集「あなたの知らない東京問題 膨張続ける都市の未来」内の記事を再掲します。 課題山積の東京だが、流入人口が多い故に地方のような組織票がなく、そのリーダーは人気投票やポピュリズムに陥る傾向にある。国との対立軸を演出したワンイシューを喚起し、その波に乗る候補者も多い。歴代の知事の主張や特徴を追った。
〝東京五輪の顔〟で知事に誘致・開催にまい進
1964年の東京オリンピック誘致活動を進めていた59年に、自民党の推薦を受けて出馬。日本体育協会会長を務め、国際オリンピック委員会(IOC)委員として招致活動の先頭に立っていたことから「五輪招致への顔」として支持を得て初当選を果たした。政治経験がなく、当時、内閣官房副長官だった鈴木俊一氏を副知事に任命した。就任から約1カ月後にアジア初の五輪開催を決め、競技場の整備とアクセス道路の建設や東京都の衛生環境改善にまい進。人脈を生かして政府への予算要求や国際舞台を行脚して各国の要人と五輪に向けた調整を行った。多くの行政実務は副知事に担わせ、「五輪知事」と呼ばれた。
選挙活動をせずに当選都政の〝初代ポピュリスト〟
放送作家として活躍し、『スーダラ節』の作詞やテレビドラマ『意地悪ばあさん』での主演といった人気を武器に出馬。自民、公明、社会(当時)など各党の推薦を受けた内閣官房副長官(当時)の石原信雄氏はじめ有力候補を、街頭演説など選挙活動せずに破った。『ポピュリズムとは何か』(中公新書)の著書がある千葉大学の水島治郎教授は「既成政党の支援を受けず既存の政治のやり方でない方法で支持を得たまさにポピュリズムの始まりともとれる動き」と指摘する。ただ、バブル崩壊で批判する都民の声を汲み公約に掲げた世界都市博覧会の中止を果たしたものの、都政での指導力を発揮できず、1期で引退した。
石原慎太郎都政で副知事を務める中、石原氏が4期目の途中で国政へ出馬するために突如辞職を表明する際、辞任会見の場で「後継指名」された。石原氏のネームバリューと新党結成による国政進出という注目を追い風に、知事選過去最多となる約434万票を得た。
東京メトロと都営地下鉄の一元化を掲げ、2回目の東京オリンピック・パラリンピック誘致に貢献したものの、知事選直前に医療法人「徳洲会」グループから現金5000万円を受け取っていたことが発覚。受領の経緯などに関し、発言が二転三転したことから、都政混乱の責任を取る形で辞職した。
この後の舛添要一氏も政治資金の私的流用などの公私混同による辞職を余儀なくされ、3代続いて任期途中に知事が職を離れた。これにより、当時の安藤立美副知事は3回も知事の「職務代理」を務めたことになる。頻繁な都政リーダーの交代は都政の停滞になることに加え、「政治が変わりすぎて都庁職員が機動的に動かない官僚気質になりつつある」と都政事情に詳しいある有識者は指摘する。
都庁に36年在職し、石原都政時代に副知事も務めた明治大学の青山佾名誉教授は「3期以上務めた歴代の知事は東京の問題への政策の特徴を掲げていた」と指摘する。都知事は議会をはじめ数多くの調整もある。イメージや人気におもねらない、あるべき東京を見据えた選択が必要のようだ。
政権との〝対峙〟演出 新風を巻き起こす
自民党三役を務めていたにもかかわらず、自民党都連を「いつ、誰が、何を決めているか分からないブラックボックスだ」とし、出馬時に当時の都連幹事長を「東京都議会のドン」と批判した。反既成政党や既得権益の打破というまさにポピュリズムの手法で多くの支持を得た。
それでも、20年7月の都知事選挙では、次点に大差をつけて再選を果たした。前出の千葉大学の水島教授は「公約を守らなかったことが致命傷にならず、国と一定の距離をとりながら新型コロナウイルス感染症対策はじめ政治運営するのが都民に支持されたと言える」と解説する。