「鬼畜」は今も(2024年3月14日『琉球新報』-「金口木舌」)

 鬼や畜生に値すると米国と英国を罵った戦前の言葉に「鬼畜米英」がある。伊江島平和運動家、阿波根昌鴻(あはごん しょうこう、1901年3月3日 - 2002年3月21日)さんは戦後「日本のうそだった」と思ったそうだが、間もなく考えを改めた。「やっぱり鬼畜は本当だった」

 

▼1955年の米軍の無法を目前にしては無理もない。伊江島に上陸した武装兵は民家から人々を立ち退かせ火を放つ。生活の糧の土地はブルドーザーで敷きならした。それも序盤だった
▼子どもからお年寄りまでいる人々の暮らしを思えば、人の所業ではない。それでも阿波根さんは説いた。「われわれは人間として誇り高く接しましょう」
▼非暴力の抵抗を支えたのがカメラだった。人間の住んでいる島を襲った「鬼畜」の無法を記録した。その写真が埼玉県東松山市丸木美術館で県外では初展示されている。人々の肖像が多い
▼企画した東京工芸大の小原真史准教授は、ピントを合わせたかったのは何より人間だったのではと察する。無法は形を変え、沖縄のあちこちで今も続く。「やっぱり」。阿波根さんの言葉を思い起こす。

 

阿波根昌鴻 写真と抵抗、そして島の人々