小澤さんを悼む 名演生んだ人柄と情熱(2024年2月14日『東京新聞』-「社説」)

 ウィーン国立歌劇場ボストン交響楽団音楽監督などクラシック音楽界の頂点と言えるポストを歴任した指揮者、小澤征爾さん。並外れた技術と情熱で聴衆を魅了したのはもちろん、後進の育成に果たした貢献も多大だった。
 小澤さんの音楽人生の基層には「平和への思い」があったのではないか。被爆地・長崎市浦上天主堂(現カトリック浦上教会)での「平和への復活コンサート」でマーラー交響曲第2番「復活」を指揮し、広島出身の糀場(こうじば)富美子さん作曲「広島レクイエム」の米国初演をボストン響で実現したことからも、それはうかがえる。
 小澤さんは家族とともに東京・立川で空襲に遭った体験がある。2015年、共同通信のインタビューには「日本は戦争で間違いをして、戦争の一番いやな体験をした。戦争を歴史にしてしまうことは相当危険だ」と述べている。
 旧満州生まれの小澤さんは日中の音楽交流にも力を注ぎ、中国でもたびたび演奏活動を行った。
 大混乱した文化大革命直後の1978年、中国中央楽団を指揮したブラームス交響曲第2番の演奏は、音楽史にとどまらず日中交流史の記念碑的偉業でもある。
 さらに特筆すべきは若い音楽家の育成に傾けた情熱だ。「小澤征爾音楽塾」や「小澤国際室内楽アカデミー」を主催して国内外の若手演奏家を熱心に指導し、多くがプロとして世界に羽ばたいた。
 小澤さんの音楽の最大の特徴は作品の解釈を的確にオーケストラの団員に伝える卓越した指揮技術にある。音楽人生を支えた技術の基礎は恩師で名チェリストの故斎藤秀雄氏による指導で培われた。留学経験がない小澤さんは、日本の音楽教育が生み出した至高の芸術家とも言えるだろう。
 小澤さんは作曲家の故山本直純さんと終生の友だった。山本さんが司会を務めたテレビ番組「オーケストラがやって来た」にしばしば出演。軽妙なやりとりでクラシック音楽の魅力を語り、ファン層の拡大にも寄与した。
 音楽への激しい情熱を持ちながらユーモアを忘れず、誰とでも分け隔てなく交流する小澤さん。底抜けに温かい人柄こそが数々の名演を繰り広げた原動力だった。
 世界中の音楽ファンに愛された偉大なマエストロの逝去。平和への思いを受け継ぎ、拍手と「ブラボー」の掛け声で送りたい。