キャンパスの周辺を警察車両が周回し、テレビクルーの姿まで……、いつもとは異なる張りつめた空気に、学生たちはいぶかしげな表情を見せていたという。
「11月28日と29日、2日にわたって筑波大学の推薦入試(学校推薦型選抜)が行われました。1日目が小論文、2日目が面接です。
推薦要件はそれぞれ異なり、悠仁さまがどの学類を受験されたかはわかりません。ちなみにご進学先として有望視されている『生命環境学群・生物学類』の推薦要件は《(1)生物界や生き物の仕組みに関する広い興味を有し、調査書の学習成績概評A段階に属する者……、(2)生物界や生き物の仕組みに関する広い興味を有し、生物や数学に優れた能力を持ち、かつ、生物の学習や実験に意欲的で、生物に関連する自主研究や国際生物学オリンピック等で実績を有する者……》などとあります。
トンボなどの研究を長年続け、国際昆虫学会議にも参加した悠仁さまは、この推薦要件に該当されたのでしょう」(皇室担当記者)
皇室担当記者が続ける。
「祖父や父が東大を卒業しており、実弟の川嶋舟さんも東大大学院で博士号を取得しています。また“天皇家の嫁”として比較され続けてきた雅子さまも東大で学ばれたということもあってか、ずっと悠仁さまの東大ご進学を目指されてきたといわれています」
’10年に悠仁さまがお茶の水女子大学附属幼稚園に入られた際には、特別入園制度を利用された。
また悠仁さまのお茶の水女子大学附属中学校から都内有数の難関校である筑波大学附属高等学校(以下、筑附)へのご進学時も、『提携校進学制度』を利用されました。この経緯についても宮内庁からは十分な説明がなかったために物議を醸し、紀子さまの“高学歴志向”が国民に強く印象づけられたのです」(前出・皇室担当記者)
悠仁さまの論文の執筆に対して“不公平”との声も
前出の宮内庁関係者はこう語る。
「赤坂御用地は、一般人は立ち入ることができません。そういった場所で、専門知識を持つ宮内庁職員や、国立科学博物館の研究員たちと論文を執筆できるのは、悠仁さまが特別な立場でいらっしゃるからにほかならず、“競争の場である受験に、こうした論文を利用されるのは不公平なのではないか”という意見も多かったのです。
また悠仁さまのご成績も伸び悩んでいたという。本誌の取材に次のように証言する関係者もいた。
「悠仁さまのクラスでの授業を受け持った教諭は、“質問をされても悠仁さまは、お答えになれず、硬直されてしまわれた”と話していました。はたして筑附へのご進学は、悠仁さまにとって望ましいことだったのか……」
東大への推薦入学のためには、共通テストでおおむね8割以上の得点も必要とされているのだ。
「完全に元の状態に戻っているかというとそうではないと思います。ただ、随分と回復して、通常の活動を行えるようになっております」
またこの同日には、12月3日から8日までトルコを公式訪問されるのに際して、ご夫妻で記者会見にも臨まれているが、お二人の表情は心なしか明るく、悠仁さまのご留学についても言及されていた。
「私は、長男には海外で学ぶ機会を得てほしいと思っています。今暮らしている所と違う場所、また違う文化の所に行って、そこから日本を見つめ直すこともできましょうし、また、その機会を使って、いろいろな所を回って、見聞を広めるという意味でも大事だと思います。
そして、本人が大学に入ったら学びたいと言っているのが、自然誌分野なわけですけれども、もし、自然誌の分野で、更に深めようと思うときに、私の経験からでも言えることではありますけれども、欧米は資料を日本と比べものにならないぐらい持っております」
ご留学の話題から感じられたご夫妻の余裕
「記者会見のご様子からは、どこか余裕のようなものを感じました。一般的に言えば、進学先がまだ決まっていない不安な状況では、おそらく大学入学後となるご留学について想像することは難しいと思います。
宮内庁長官のいう“根拠のない報道”とは東大進学に関する報道のことを指すと思われます。おそらくこの前に、悠仁さまの筑波大学推薦ご入学の方針が固まったのでしょう。『もともと悠仁さまは東大を目指されていなかった』ということにしたかったのでしょうか。
悠仁さまは高校2年生の6月に学校行事の一環として筑波大学に、さらに8月には、つくば市にある農業・食品産業技術総合研究機構を訪問されています。このころからご本人は筑波大学を志望校として意識されるようになったのではないでしょうか。
そのキーパーソンとは、筑波大学の永田恭介学長だという。
筑附は筑波大学への内部進学枠を持っていません。しかし推薦入学であれば、推薦する高校と、推薦を受ける大学のトップが同じわけですから、不合格という事態は避けることができるでしょう。永田学長は’23年度で任期満了となりましたが、再任し、任期は’27年3月までとなっています」(前出・宮内庁関係者)
秋篠宮さまのお誕生日に公表されたご一家4人のお写真は、笑みがあふれており、苦闘の末にようやく“末っ子の難題”を乗り越えた安堵も伝わってくるかのようだった。
「女性自身」2024年12月17日号