4日に発足した石破茂政権に、すっかり失望している。
米シンクタンク「ハドソン研究所」のHPに掲載された石破首相の論文「日本の外交の未来」では、持論である「アジア版NATO(北大西洋条約機構)構想」が、安全保障専門家からおしなべて評判が悪い。
日本と米国、オーストラリア、インドによる戦略的枠組み「QUAD(クアッド)」の一角、インドの外相にも参加を拒否された。
地政学的に見ても、歴史的に見ても、アジアはNATOを結成したヨーロッパとは大きく異なる。防衛庁長官や防衛相を務めた石破首相は、アジア版NATO構想に本気なのか。
閣僚・党役員人事も厳しかった。石破首相が打診しても、次々と断られたそうだ。復興相に充てる方向で調整していた御法川信英氏も辞退した。大臣になれば制約が多く、選挙活動に専念できなくなるのが理由だといわれているが、そればかりではないだろう。
女性閣僚登用はわずか2人にとどまった。所信表明演説で、石破首相は「意思決定の在り方を劇的に変えていくため、社会のあらゆる組織の意思決定に女性が参画することを官民の目標とし、達成への指針を定め、計画的に取り組みます」と高らかに宣言しているのにもかかわらず、である。
副大臣・政務官人事も、48人中2人しか変えなかった。衆院選後早々に、内閣を大幅に改造するつもりなのか。
石破首相は2008年の総裁選で初めて出馬し、この時は最下位に終わっている。しかし、12年の総裁選では、第1回投票で165票もの党員算定票を獲得し、一気に1位に躍り出た。
決選投票では、安倍晋三元首相に及ばなかったが、この時から、注目度はぐんと上がり、「党内では人気がないが、国民には人気のある石破茂」のイメージはつくられた。
初挑戦から16年経て、ようやく夢を実現したのだから、準備する時間は十分にあったはずだ。にもかかわらず、総裁選から主張する政策がブレ、ピントも外れた。組閣に至っては、一体何をしたいのかが分からない。
その背後には、政治を動かしている老獪(ろうかい)な面々が透けてみえる。森山裕幹事長の影響力を念頭に、「石破内閣は実質的に森山内閣」との声が、あちこちから聞こえてくる。
戦後、首相の在職日数の最短は東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこおう)の54日、第2位は羽田孜氏の64日だ。さすがに石破内閣はこれらを更新しないだろうが、早々と「来夏の参院選前の退陣説」がささやかれている。(政治ジャーナリスト)