養老孟司が考える現代人の問題点。「今の時代<手術が成功してがん細胞は撲滅しました。でも本人は亡くなりました>になりかねない」(2024年12月14日『婦人公論.jp』)

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(写真提供:PhotoAC)
「『ああすれば、こうなる』ってすぐ答えがわかるようなことは面白くないでしょ。『わからない』からこそ、自分で考える。……それが面白いんだよ」。わからないということに耐えられず、すぐに正解を求めてしまう現代の風潮についてこう述べるのは、解剖学者・養老孟司先生です。今回は、1996年から2007年に『中央公論』に断続的に連載した時評エッセイから22篇を厳選した『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』より、2024年8月に収録されたインタビュー(聞き手・鵜飼哲夫)を一部お届けします。
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◆「バカの壁」の昨今
鵜飼 『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』には、2003年に『バカの壁』(新潮新書)を出版する前後に書かれた文章が多く入っています。これは「バカの壁」ではないか――近年、そう感じることはありますか。
養老 将棋をAI(人工知能)にやらせるようになり、人間を打ち負かすようになったのをはじめ、AIが大きな力を発揮しています。人間の脳神経をまねたコンピュータが、独自に勝つ法則を学習するディープラーニングがその鍵を握っています。
問題は、どうしてAIが強いのか、誰にもわからないことです。勝つからいいじゃないか、勝つんだからしょうがない。それでおしまい。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」といった時代には、一つひとつのプロセスに意味があった。
それが今や、プロセスなんてどうでもいい。コスパ、タイパを重視して都合のよい結果、望ましい結果だけが効率的に手にはいりさえすればいい、という動きが広がっている。ものすごく難しい時代だ。
鵜飼 結果良ければすべてよし、ではダメですか。
養老 ものごとには運動系の論理と知覚系の論理があって、運動系では、やってみて、失敗から学ぶ、これがいちばんいいんです。そもそも、何かをやってみなければ成功も失敗もない。一度やって失敗したぐらいで諦めてしまうと、そこで可能性が潰えてしまう。運動系では、しぶとく頑張るやつが、長い目で見るといいんですよ。
でも、運動系の論理に縛られると、世界はどう実在するのかといった知覚系の論理がこぼれ落ちてしまい、一種の疎外が起こる。「どの結果が良ければいいのか」を誰がいつ決めるのか。
僕は今、病気だから思うけれど、そういう結果重視の時代では、「がんの手術は成功し、がん細胞は撲滅しました。でも残念ながら本人は亡くなりました」ということになりかねない。
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スマホに入れっぱなしの写真
鵜飼 この20年ではスマホが普及し、学習の仕方から暮らしまで大きく変化しました。電車の中で本を読む人はまれになり、多くはスマホをいじっています。
養老 脳をひとつのことに集中して使う習慣が失われ、スマホで広く浅く使うことのほうに慣れてしまったのでしょう。そのことで最近気になったのは、虫展に来る人来る人、「写真撮っていいですか」って聞き、やたら撮っていること。
あれ、どうするんだろう。記録のつもりだとしても、撮りっぱなしじゃ記録として使えない。子どもたちには、標本づくりでは必ず、いつどこで誰が捕ったかを記したラベルをつけるよう教えている。これがないと標本とはいえない。撮りっぱなしの写真もこれと同じです。
鵜飼 多くの場合は、スマホに写真を入れっぱなしでしょうね。
養老 あったことはしょうがない。だから記憶を残す。これがドキュメントを大切にすることだけど、終戦のとき、日本軍は軍関係の書類・記録を廃棄、焼却したでしょう。戦後の日本ではアーカイブはいちおうあるけれど、あまり整理されていない。
ことほどさように日本人は記録を大事にしない。写真を撮りまくったって、どうせほとんど見やしない。記録を大事にしないから、やたらと撮影する。そこに現代の盲点があるように感じる。
それは、世界にものが存在する実体感が希薄になっていることとも関係している。
◆実体感
鵜飼 実体感ですか?
養老 人間の身体の知覚とカメラという機械の知覚は違うでしょう。カメラの場合、要するに物理的な光のある状況を映していて、写真は、ある意味で光のいたずらとも言える。でも、世界には光があたっていないところもあり、写真の背景には映っていない何かがある。
ものの実体感、実在感がある人は、その映らなかったものに思いを寄せるけれど、子どもの頃から自然に接していない今の人は、実体感が希薄だから写真に映っているものがすべてになってしまう。
展示してある虫の実物は肉眼でよく見ず、スマホばかり覗いている人を見ながら、そんなことを考えました。
鵜飼 ちょっと難しいですが……。
養老 結局ね、実体感っていうのは、自分がどのくらいものごとに一生懸命関わってきたか、どんな日常を過ごしているか、それで決まる。例えば、銀行に勤めている人にとってはお金に実体感があるんだよ。お金が抽象的なものだなんて思ってもいない。面白いのは数学者だね。彼らは数のことしか考えていないから、数は実体なんです。
鵜飼 「数学的な自然」があるという数学者もいますね。
養老 ここに3個の茶碗があるでしょう。そうすると、数学者は、ここに3という数字が不完全に実現されているって思っている(笑)。
鵜飼 養老先生にとって実体感があるのは?
養老 もちろん、自然ですよ。でもそういうところで話の合う人が減っちゃった。みんなスマホばかり見ているんじゃ、どうにもならない。時代遅れになったなあ。歳とったなあと思う。
◆自分は馬鹿だと思った方が安全
鵜飼 「「話せばわかる」なんて大うそ!」と『バカの壁』の初版の帯にありました。では、話してもわからない人、権力者とはどうつきあえばよいのか。ますます混迷の時代になってきました。
書籍に収録した「原理主義vs.腹八分の正義」の中では、脳は完全ではないので、〈腹八分ではないが、正義も八分だ〉としつつ、〈八分の主張は、十分の主張(原理主義)に短期的には負ける。二分足りないから、負けるに決まっている〉と書いていますね。長期的にみると勝敗はどうなりますか。
養老 コロナが流行し始めた頃、当時の米国のトランプ大統領と英国のジョンソン首相、ブラジルのボルソナロ大統領が、「あんなもの」と言って、マッチョに行動して、3人ともコロナになったことがあったでしょ。結局、あまり極端なことをしていると、いずれ反動というか、マイナスがくる。そう思っています。
鵜飼 自分は利口だから、「バカの壁」はないと思っている人にひと言お願いします。
養老 これは古くから言われる「謙虚」って言葉ですかね。まあ、自分は馬鹿だと思った方が安全ですよ。そもそもね、人って反省すると「なんて馬鹿だったんだろう」って思うでしょう。これなんですよ。反省しなくたって人は始めから馬鹿なんだから(笑)。
※本稿は、『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた (単行本) 単行本 – 2024/11/20
養老 孟司 (著), 鵜飼 哲夫 (編集)
 
「ああすれば、こうなる」と、すぐに答えが出ることなんて、面白いはずないでしょう――。頭だけで考えたことの安易な正当化を〈たかだか千五百グラムの脳味噌が、そうだと思っているだけ〉と痛快に斬り、子どもと虫の将来を本気で心配する。今の読者に改めて伝えたい、「養老節」が炸裂する22篇を厳選した、ベストエッセイ集。巻末に語り下ろし「二十年後のQ&A」を収録した、好評『なるようになる。』の姉妹編。
【目次】
Ⅰ 身体を考える……脳はそんなにエライのか
Ⅱ 学びを考える……知識だけでは身につかない
Ⅲ 個性を考える……オリジナリティーよりも大切なこと
Ⅳ 社会を考える……たった一人の戦争
二十年後のQ&A
※本書は『毒にも薬にもなる話』『まともな人』『こまった人』『ぼちぼち結論』の収録作品から精選したものです。