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2012年、衆院選で圧勝して政権に返り咲いた、自民党。谷垣禎一氏は法務大臣に就任した。資料を読み込み、死刑囚の不幸な生い立ちにも思いを馳せながら、仏像と数珠をかたわらに、死刑の執行命令書に署名した。2016年、趣味のサイクリングで転倒し、集中治療室に運ばれることになった。※本稿は、谷垣禎一、水内茂幸、豊田真由美『一片冰心 谷垣禎一回顧録』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
● 法務大臣のイスに座る以上は 死刑執行命令は避けられない
新内閣発足直前、誰かの政治資金パーティーの控室で安倍さんと居合わせ、「何かやってくださいよ」と防衛相などいくつかの閣僚ポストを提示されました。いずれも断ると「何だったら引き受けてくれるんですか」と食い下がられ、「そこまでおっしゃるなら」と法相を挙げました。政界に入る前は弁護士でしたからね。安倍さんは「じゃあ、それでお願いします」。組閣の日、首相官邸で告げられたポストは案の定、法相でした。
過去に執行命令書への署名を拒んだ法相が何人かいましたが、法相を引き受けておいて死刑を執行しないなんておかしい。法律で死刑という制度が定められていて、その執行は「法務大臣の命令による」と書いてあるのですから、個人の信念や宗教上の理由で執行しないのは間違っています。できないのなら、法相としてただちに法改正の作業に着手すべきです。
ただし、死刑制度に対する世論の動向はよく見極める必要があるでしょう。内閣府が5年に1度実施している世論調査では、約8割が死刑制度を容認しています。一方、世界的には死刑を執行している国は少数派。(冤罪などの)弊害もないわけではありません。そういったことには十分に意を用いるべきだと思います。
● ほとんどの死刑囚が 虐待を受けて育っていた
《執行命令書の署名にあたっては、判決の関連資料を読み込み、死刑囚の生い立ちや犯罪に手を染めた経緯などにも意識を向け、自分なりに納得した上でサインすることを心掛けた》
死刑判決の資料はできるだけ丁寧に読むようにしていました。人の命を奪えと命令する以上は、そのために部下がそろえてきた資料をよく読み、「よし、これはやるべし」というふうにしないといけないと考えていたのです。
だけど、きちんと読み込もうと思ったら結構大変なんです。持ち出し禁止の資料は法務省の大臣室でしか読めませんから、国会会期中は読む時間があまりないんですね。それで執行が閉会直後になると「会期中を避けたのでは」と言われることもありました。
他の法相経験者はどうか知りませんが、私は大臣室の引き出しに仏像と数珠を入れておき、署名時に手を合わせていました。やっぱり、なかなか荷の重い仕事ですから。
私が執行を命じた死刑囚はほとんどが虐待を受けており、「こんな育て方をされちゃかわいそうだな」と思うような子供時代を送っていました。いろいろ事情はあると思いますが、子供は誕生を祝福され、生まれてきてよかったと思える環境で育つことが大事だと、つくづく思います。
1人だけ、タイプの違う死刑囚がいました。高校の同級生が「あいつはクラスのホープだった。必ずひとかどの人間になると思っていた」と証言していたのです。死刑判決を受けるような残虐な罪を犯す人に、こういう証言が出てくるのは珍しい。不思議に思っていると、秘書官が「これはばくちです」と言いました。ばくちに狂い、カネに困って犯した罪だったのです。
私がカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の法整備に慎重だったのは、そういう人の死刑執行を命じなければならなかったからです。カジノは地域の発展に役立つかもしれない。ばくちをやった人がみんな犯罪に手を染めるわけでもないでしょう。それでも、もろ手を挙げて賛成する気にはなれないのです。
● 安倍晋三の気合いに押され 幹事長の重責を引き受けた
《2014年9月の内閣改造・自民党役員人事で、幹事長に起用された。総裁経験者が幹事長に就くのは初めてだった。消費税率の引き上げ判断や安全保障法制の見直しなど、政権の行方を左右する難題を抱えていた当時の安倍晋三首相(党総裁)は、党運営の安定性を重視し、苦しい野党時代に総裁を務めた谷垣氏を党の要に据えることを決めた》
もう総裁もやりましたから、自分の政治生活はだいたい終わりだと思っていました。改造前に法相を務めたのも、安倍さんに「何かやってくれ」と頼みこまれたからで、もともとやるつもりはなかったのです。その後に幹事長を打診されるとは、全く予想していませんでした。
都内のホテルでひそかに会い、最初は「法相で最後のご奉公のつもりですので」「将来性のある方になさっては」としぶったのですが、あのときの安倍さんは集団的自衛権の行使を可能にするための法整備をするということで、かなり気合が入っていました。「いろんなことに目配りをしなければならない。ぜひお願いしたい」と言われ、引き受けざるを得なくなりました。
《就任後は週1回、官邸で安倍首相と昼食をともにして意思疎通を図った。首相動静に載る形を取ったのは、密な連携を党内にアピールするためだ》
安倍さんと(谷垣氏の前任の)石破茂元幹事長は、何だか波長が合っていなかったですよね。せっかく与党に戻ったのに、あれでは収まるものも収まらなくなるのではないかと、陰ながら心配していました。
政治家ですから、隠れて会って話をつけることもないわけではありませんが、総理総裁と幹事長は、表に見えるところで頻繁に会うことも大事なんです。「私たちは常に腹合わせをしていますよ」という外へのメッセージになりますから。
昼食会では、かしこまった議題は設けず、蕎麦やカツカレーなどを食べながら、よもやま話の中で党内の様子を報告しました。それまで安倍さんとはあんまり付き合いがなく、どんなことを考えている人なのかよく知らなかったのですが、いろんなことに思い入れがあって、よく考えておられるんだなと思いましたね。「谷垣さんがおっしゃったあれですけど……」と切り出されて、「これについては相当、安倍さんも考えてきたんだな」と感じたこともありました。
《2016年7月14日、東京都知事選が告示された。自民党の衆院議員でありながら党の了解を得ずに出馬表明した小池百合子元防衛相と、自民、公明両党などから推薦を受ける増田寛也元総務相が立候補し、17年ぶりの保守分裂選挙となった。谷垣氏ら自公幹部は増田氏の応援に入った》
小池さんは出馬表明の前から、どうも知事選に出てしまいそうな雰囲気がありました。このまま出させてはいけないということで、当時の茂木敏充選対委員長に「一緒に説得に当たってください」と言われ、小池さんに出ないよう迫ったこともありました。だけど、彼女はどうしても「出ない」とは言わなかった。そして実際に出馬してしまったんですね。
《16日朝、気分転換に趣味のサイクリングに出かけた。この日は土曜日。告示後初めての週末だった。普段は走行に集中していたが、終盤、皇居周辺で知事選のことが頭をよぎった》
あの日はどこをどう走ったのか、よく覚えていませんが、最後に皇居前に出ました。乗っていたのは、プロの選手なら時速80キロぐらい出せる自転車。でも、私は若くもないし、技術者でもないので、50キロ以上は出さないようにしていました。皇居周辺では30キロ弱で走っていたのではないかと思います。
● 小池百合子の暴走をどうしたものか 思案の最中に起きた運命の事故
自転車に乗るときは考え事をしてはいけません。集中しないと危ないのです。それなのに、あの日は考え事をしてしまったんですね。後から考えると、桜田門の近くにある段差からドンと落っこちたのだと思います。けがをした瞬間のことは全然覚えていません。
落車した後、とにかくまず座ろうと思ったんだけど、自分では動けないことに気づきました。そのとき、ジョギングをしていた女性に「動かないで!私は医療関係者です」と止められた記憶が、かすかに残っています。選挙期間中に自転車に乗ってけがをするなんて、全く、不徳の致すところです。
《次に気が付いたときには、都内の病院の集中治療室で横たわっていた。頸髄を損傷し、思うように体を動かすことができない。一時は気管切開をしていたため、口頭で会話をすることも難しかった》
集中治療室には1カ月半ぐらいいました。結構な大けがですよね。最初は呼吸のために、のどに穴をあけてパイプで空気を通していました。そうすると声を出せないので、意思疎通するのに非常に不便に感じました。体を動かせないばかりか、口頭で指示を出すことさえできないのですから、とても仕事ができる状況ではありませんでした。
《2019年5月、東京都の有識者懇談会「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」の名誉顧問に就任した。小池百合子知事からの直々の就任要請を受け入れたが、2016年7月の知事選の経緯から、すぐに受諾する気にはなれなかった》
小池さんもマメな人でね。私の入院中は病院の下を通りかかると「今、下を通っています」とメールをくれることがあったんですよ。名誉顧問を頼まれたのは退院後。私の家にお見舞いに来られたときでした。移転問題でいろいろあった市場の果物を手土産にね(笑)。
ただ、小池さんに言われたからといって、すぐ引き受ける義理はなかったんです。私がけがをしたのは、小池さんの出馬で自民党が分裂した知事選のときでしたからね。
でも、「障害者の気持ちがわかる人にやってほしい」と言われると、それでもノーとはなかなか言えませんでした。知事選の経緯がどうであろうと、パラリンピックの応援団は引き受けざるを得ない。多少はお手伝いしないといけないと思ったのです。
谷垣禎一/水内茂幸/豊田真由美
著者名
谷垣禎一 著 , 水内茂幸 著 , 豊田真由美 著
判型
四六判
定価
1870円(本体1700円+税)
発売日
2024/05/29
ISBN
9784594097479
この本の内容
政治資金と派閥問題、渦巻く政治不信、戦争と国際秩序の機能不全……
いま、時代の岐路に立つ日本の現代社会。
2009年の政権転落から約3年での政権復帰──いかにして、谷垣総裁は自民党を立て直し、国民からの信頼を取り戻したのか。今まさに振り返るべき「谷垣イズム」の源流を探る貴重な証言集。
2024年現在、自民党は政権復帰した2012年以降で最も深刻な危機に瀕している。
「自民はなぜ、十五年前に政権を手放すことになったのか。苦しい野党時代にどんな目に遭い、国民の信頼を取り戻すためにどんな努力を重ねたのか。その記憶が薄れているのではないか」
2024年3月初旬、谷垣氏に今の自民の窮状をどう思うか尋ねると、苦笑いを浮かべながらこんな答えが返ってきた。
自身も「十年程度は野党だと思った」と振り返る2009年の転落により、久々の野党総裁となった谷垣氏。そこから綱領の改定や「ふるさと対話」を開始するなど地道な努力を重ね、党を立て直し、結果、三年三カ月で政権を取り戻した。その努力は、氏のそれまでの半生からくる信条と人間性に裏打ちされたものであった。
本書では、「谷垣禎一」という一人の人間の生き様を出生から現在までたどることで、その信条がどのように育まれていったのかを探り、政権復帰を成し遂げた「谷垣イズム」の源流を見つめ直していく。「加藤の乱」や政権復帰を目前とした総裁選に不出馬を決めた所以など、戦後から現代までの日本政治史の一端を記す貴重な証言集でもある。
また2016年の自転車事故により、首から下が不自由になるという重傷を負った谷垣氏。悲壮感なくリハビリへ向き合う姿勢、リハビリ病院での交流、そしてパラリンピックをどう観たのか……そこにもまた、谷垣氏の人間性の一端を垣間見ることができる。
大島氏との対談では菅直人元首相からの大連立の打診を断った真相が初めて具体的に語られる。
小林氏とは、今の自民党が何をしなければならないのか、率直な議論が展開された。
本書を通じ、自民を立て直した「谷垣イズム」が、危機に苦しむ日本政治の良薬となって届くことを期待したい。
【目次】
序章:政治不信にどう向き合うか
第一章:火中の栗を拾う ~下野時代の総裁(2009~2012)
第二章:花も嵐も踏み越えて ~日本の戦後と政治家人生のはじまり(1945~1999)
第三章:信なくば立たず ~加藤の乱と平成政治の決算(2000~2009)
第四章:返り咲きの苦心 ~法相・幹事長 第二次安倍内閣 (2012~2016)
第五章:徳は孤ならず ~リハビリとパラリンピック(2017~2024)
終章:誠は天の道なり、これを誠にするは人の道 ~後輩に贈る言葉
《特別対談》
「合意形成と議会政治」
×小林鷹之氏(元経済安全保障担当相)
「自民党は今何をすべきか」
著者プロフィール
1945年生まれ。東京大学法学部卒。弁護士を経て、1983年、衆院議員初当選。以来、12回連続当選。京都5区選出。1997年、国務大臣兼科学技術庁長官として初入閣。その後、財務相や国交相などを歴任。自民党内においても政調会長などの要職を務め、2009年9月、総裁に就任。3年にわたる自民党の下野時代を支えた。2012年12月には第二次安倍内閣で法相に就任、また2014年9月からは総裁経験者としては異例ながら幹事長を務めた。2017年9月政界を引退。
水内茂幸
豊田真由美