マニ教経典断簡に描かれたマニ僧。ベルリン、国立アジア博物館蔵
一般的な知名度はけっして高くないが、その独自の研究と妥協のない人柄で、一部の歴史ファンから熱く支持され、国際的にも評価される「プロの歴史学者」だった。ここでは、人類社会に対する強い使命感と信念を持った森安氏の著作からそのメッセージを紹介していきたい。
国立大学の教授が権力批判していいんですか?
新疆ウイグル自治区トゥルファンのベゼクリク石窟。森安孝夫氏撮影
日本人には馴染み深い「シルクロード」を研究対象としながら、森安氏の名前は、一般にはあまり知られてこなかった。
ユーラシア大陸の砂漠と草原に点在する史料を読み込み、分析したその成果は、おもに学術論文で国内外に発表され、専門の研究者のあいだでは極めて高い評価を得ていた。しかし、概説的な著作が少なく、テレビなどに登場することもほとんどなかったのだ。
そんな森安氏の一般書としてのデビュー作にして話題作『シルクロードと唐帝国』(講談社2007年)の13年後に刊行されたのが、『シルクロード世界史』(講談社選書メチエ、2020年)である。一般書としては2冊目となる本書は、前著に劣らず絶賛されている。
〈『シルクロード世界史』は必読。(中略)ソグド人・ウイグル人にくわえてマニ教など、聞いたことはあってもほとんど知らない歴史用語の中身が、これでほんとうにわかるはず。〉(岡本隆司氏「中央公論」2024年11月号)
本書は、中国の唐の時代をテーマに掘り下げた前著よりも広い時空間を対象としている。まず、序章のタイトルは「世界史を学ぶ理由」だ。
しかし、文献史料も考古・美術資料も、ほとんどが偶然に残されたもので、そこから理科系的歴史学で解き明かされる真実は点や線にすぎないから、「歴史」というストーリーを組み立てるには、空白を埋めるための「推論」をせざるをえない。その推論に学問的良心を堅持するのが文科系的歴史学であり、多少の空想や誇張を交えてでも想像力を発揮して作品化するのが歴史小説だという。そしてその上で――、
〈プロの歴史学者の使命とは、理科系的歴史学に7~8割、文科系的歴史学に2~3割の注力をすることであると考えている。すなわち、あくまで理科系的歴史学を基盤にしつつも、ストーリー性のある歴史を構築することである。〉(同書p.26)
ただし、政治的意図から神話や伝説を悪用し、民族の歴史を捏造するような動きは阻止しなければならない、という。
また、自身の体験として、こんなエピソードも紹介している。
〈私が長らく大学で教えていて一番驚いたのは、ある大学で講義を終えた後に、学生から「国立大学の教授が権力批判をしていいんですか」と問われた時である。あまりのことに啞然として、答える気力さえ生まれなかった。〉(『シルクロード世界史』p.31-32)
森安氏にとって、権力の監視とそのための批判精神の養成こそが、現代の歴史学に携わる教員の使命の一つだった。
〈古今東西、歴史家は往々にして権力者に奉仕するものであった。あるいは、権力者のためでなければ、自分の所属する集団(家族・一族から国家にいたる様々な共同体)のためであった。(中略)近代西欧が産み出した民主主義の時代になってようやく、歴史をできる限り客観的に叙述し、権力の暴走を監視する役割が歴史家に与えられた。ここで初めて、近代の純粋な学問としての歴史学が成立する。〉(同書p.14-15)
日本で続々発見「マニ教絵画」
ソグド語マニ教徒書簡。ベゼクリク石窟出土
本書の本題となる「シルクロードから見た世界史」は、さまざまな観点から語られる。
かつて優勢だったマルクスの唯物史観が生産力中心の歴史観だったのに対し、森安氏は、生産力に加えて軍事力と経済力、さらに情報伝達力に注目した「世界史の八段階」という時代区分を提案する。その特徴は、第4段階に「騎馬遊牧民集団の登場」、第5段階に「中央ユーラシア型国家優勢時代」という区分を設けていることだ。
また、アメリカの社会学者ウォーラーステインが唱えた「近代世界システム論」に対し、「前近代世界システム論」を提唱する。近代以前のユーラシアの歴史は、北部の遊牧国家を軸に、南部の農耕国家との対立と協調によって展開してきた、というのだ。
さらに、ソグド人からウイグル人へと引き継がれた文化と商業のネットワーク、シルクロードを行き交ったキャラヴァンの実態など、森安氏ならではのオリジナルな成果が明らかにされるのだが、なかでも特に、読者の関心をさらったのが「マニ教研究の最新動向」である。マニ教とは、いったい何か――。
〈マニ教は今や完全に滅びてしまった宗教であるが、その世界史的意義は決して小さくない。〉〈イラン民族固有のゾロアスター教、メソポタミア発祥のユダヤ= キリスト教、ヘレニズム的なグノーシス主義、そしてインドの仏教・ジャイナ教などから学んだ思想を取り入れて創始した二元論的折衷宗教である。〉(同書p.124-125)
〈ところが21世紀に入ると、マニ教とは縁もゆかりもないと思われていたこの日本から、大きくてしかも完全な形のマニ教絵画が次から次へと発見され、欧米のマニ教学界に衝撃を与えることになるのである。〉(『シルクロード世界史』p.196)
なぜこのようなことが起こるのか。これこそ、ソグド人を介して伝わったウイグル王国で初めて国教となり、その後弾圧されたマニ教の歴史と、日本におよぶシルクロードの歴史的役割が明らかになるストーリーなのだが、くわしくはぜひ本書をお読みいただきたい。
「そんなものは誰にも書けないのだ」
概説書や一般書はあまり執筆しなかった森安氏だが、ただ自らの研究の世界に閉じこもっていたわけではなかった。日本人の歴史認識を刷新し、深めるためには高校教育が重要と考え、全国の高校世界史教員との研修会をたびたび開催してネットワークを広げ、みずからの研究成果を惜しみなく共有している。
さらに、高校世界史を意味ある授業にするためには、大学入試が変わらなければならないという信念をもち、大学の入試問題にも積極的にかかわってきた。
『シルクロード世界史』の冒頭で森安氏は、世界的ベストセラー『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)に触れながら、〈いかに天才といえども人類史ないし世界史を1~2冊の本にまとめることなどとうてい不可能である。〉と書き起こしている。
〈私も歴史学者の端くれとして、そうした世界史全体を見渡せるような書物が書けないものかと若い頃から思い続け〉たが、しかし結局〈「そんなものは誰にも書けないのだ」と諦めにも似た確信をもつようになった。〉(同書p.8)という。
なぜ、「誰にも書けない」のか? 「あとがき」にはこう記している。
〈「歴史」というものは、世界各国の様々な研究者が、それぞれの成果を持ち寄り、批判し合い、積み上げ、描いていくものである。そしてある時代、ある地域の実像をひとつひとつ明らかにし、それでもまだ、埋もれている史料や事実は無数にあり、描かれる歴史像はどんどん変化していく。〉(同書p.208)
こうして各国の研究者とともに積み上げてきた成果の一端が、ここに紹介した著作として社会に開かれているのだ。これらの著作は、東洋史、中国史のみならず、「歴史」に関心を抱く人々にとって、これからも必読書であり続けるだろう。
※森安孝夫氏のもう一つの代表作『シルクロードと唐帝国』については、〈ソグド人と騎馬遊牧民が、世界史を動かした! 信念の歴史学者、故・森安孝夫氏が遺した未来へのメッセージとは。〉をぜひお読みください。
学術文庫&選書メチエ編集部