小倉智昭さんが死去 77歳 フジ「とくダネ!」などキャスターとして活躍 長く闘病生活も力尽きる(2024年12月10日『スポーツニッポン』) 

キャプチャ
 フジテレビ朝の情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」などでキャスターを務めた小倉智昭おぐら・ともあき)さんが9日、死去した。77歳。秋田市出身。死因などは明らかになっていない。歯切れのいい司会ぶりで活躍。2016年に膀胱(ぼうこう)がんを公表し、肺にも転移するなど長く闘病生活を続けてきたが、ついに力尽きた。
 小倉さんは11月23日に放送されたフジテレビ「小倉ベース」に出演。都内の自宅でEXILEのHIROらとトークを展開。元気な姿を見せていた。その後、不調を訴え、千葉県柏市内の病院に入院。この日、体調が急変し息を引き取ったという。
 晩年はがん闘病が続いた。16年5月に膀胱がんを公表。同月に内視鏡手術でがんを切除したが、全摘はしなかった。病状は進み、18年夏、生放送直前に膀胱から大量出血。同年秋に全摘手術を受けた。その後、21年秋に肺転移が見つかり、23年には腎盂(じんう)がんと診断され、左の腎臓の全摘手術を受けた。
 闘病経験を伝えることも続けた。膀胱の全摘手術後、当時一般に浸透していなかった人工膀胱の知識を実体験とともに発信。尿漏れパッドが欠かせなくなり、使い終わったパッドの取り扱いに困ったため「男性トイレにもサニタリーボックス(汚物入れ)の設置を」と訴え、大きな反響があった。
 幼少時に吃音(きつおん)に悩んだが悔しさをバネに努力し、1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。競馬実況などで活躍する姿が故大橋巨泉さんの目に留まり、スカウトされる形で76年にフリー転身。TBS「世界まるごとHOWマッチ」などに出演し「1秒間に18文字の原稿を読める男」として脚光を浴びた。
 99年からフジ「とくダネ!」の総合司会を担当。小倉さんは司会を引き受けるに当たって「冒頭にフリートークをやらせてほしい」と希望。スポーツや音楽、時事問題などについて持論を述べる時間が設けられた。朝の情報番組はニュースなどのVTRでスタートするのが常識だったが、オープニングトークは徐々に定着。時に辛辣(しんらつ)な意見を発し抗議を受けることもあったが“物言うキャスター”として活躍した。当初、横並びの世帯視聴率でライバル局の後塵(こうじん)を拝していた番組は2001年2月に初の平均視聴率月間1位を獲得。16年7月28日の放送で4452回目の出演を果たし「同一司会者による全国ネットのニュース情報番組」の放送回数最多記録を更新し、21年3月まで続いた。
 番組終了後、小倉さんは闘病生活を送りながら、ラジオや情報番組などに出演。時事問題やメディアの現状について意見を述べていた。「僕の世代に向けた番組がほとんどない。同世代が楽しめるような番組をやりたい」と話していたが、その夢はかなわなかった。

小倉智昭さん(77)死去 1ヵ月前の取材で「いつ倒れるかわからない」 別居で“老々介護”妻への感謝も語る 22年務めた『とくダネ!』キャスター時代に膀胱がん手術(2024年12月10日『めざましmedia』)
 
キャプチャ
2024年11月8日撮影
フジテレビ朝の情報番組『とくダネ!』などでキャスターとして活躍した小倉智昭おぐら・ともあき)さんが、2024年12月9日午後に亡くなりました。77歳でした。
小倉さんは2016年に膀胱がんを患ったことを公表し、2018年に膀胱全摘手術。
その後もがんとの闘いが続いていましたが、2024年12月4日に病院で治療の手立てがないとの宣告を受け、12月6日から自宅に帰って妻の看病のもと過ごしていたということです。
2024年11月8日に行われた『小倉ベース』番組収録後のインタビューでは、「いつ病気で倒れるかわからない」と話し、別居しながら“老々介護”をしてくれている妻への感謝の思いを語っていました。
【画像14枚】小倉智昭さん『とくダネ!』時代の写真を見る
『とくダネ!』で朝の顔に 膀胱がん公表・全摘手術も肺に転移…
1947年5月25日、秋田市で生まれた小倉さんは、1970年に現在のテレビ東京に入社。競馬実況などで活躍したのち、1977年からはフリーアナウンサーとして数々のテレビ・ラジオ番組を担当します。
1985年に15歳年下の妻と結婚。
1999年4月にスタートした『とくダネ!』では、歯切れのいいオープニングトークが話題に。時には厳しくも愛のあるコメントを発し、お茶の間の“朝の顔”となりました。
2016年には膀胱がんを患ったことを公表。2018年に膀胱全摘手術を受けました。
その後、復帰し2021年3月まで22年にわたり『とくダネ!』のメインキャスターを務めました。
2021年10月には、以前手術を受けた膀胱がんが肺に転移したことを公表。「ステージ4」の宣告を受けたといい、抗がん剤治療を始めていました。
その後、左の腎臓の全摘手術を受けていたことも明かした小倉さん。
2024年11月8日に行われた『小倉ベース』収録後、めざましmediaの取材に「いつ病気で倒れるかわからない」と話し、別居しながら“老々介護”をしてくれている妻への感謝の思いを語っていました。
『小倉ベース』収録後のインタビュー 別居で“老々介護”妻に感謝
小倉智昭さん:
年を取ったら、余生をゆっくり好きなことに時間を費やしてって思っていたんです。でも、体が弱くなって病院に通うようになって、自分の残された時間がどのぐらいなのかと考えるようになると、そっちに目が向かなくなるっていうことがある。
だからね、「年を取ってからこれをやりましょう」って思ってる人は、絶対に年を取る前にやったほうがいい。お金も老後のためにっていうよりも、若い時や使える時に使った方が僕はいいと思う。残すなんていうことは考えないで、若いうちに遊ばないと。年を取ると、僕みたいに目は見えづらくなってくるし、耳は聞こえにくくなってくるし。もう眼鏡の度数なんか毎月のようにどんどん変わるんだから(笑)。
最後まで自分の好きなものに囲まれて生きていけるようにと、カミさんの協力もあってこういう家を建てたけれど、結局カミさんが住むスペースがなくなっちゃって。ここに住んでいたカミさんの母親と一緒に実家のほうに戻って、母親と僕の老々介護を2ヵ所でやってくれているんです。
「ありがたいな」って思うから、なるべく家のことは自分でやろうと思ってさ。でも、頑張っちゃうとやっぱり体がきついから、家のことをやって疲れたら椅子に座ってドラマを見たり、音楽を聴いたりする時間にあてていて、その他のことまでする余裕がないんですよね。
――家のことをご自分でされるということですが、生活のルーティンはありますか?
小倉智昭さん:
ルーティンはちゃんとありますよ。カミさんは朝10時頃に来るから、必ず6時半には起きて、ゴミ捨てに行かないといけない。週に5日間、捨てるゴミの種類が違うんですよ。起きてごみ捨てをするのがその日の始まりで、食事を作って食べて、薬を飲んで、それから「さあ何やろうかな」となる。
でも、これまた「病院の日」ってのが多いわけ。ちょっと遠い病院に通っているから、通院日は朝6時に起きる。それが月に7、8回で、近所のホームドクターのところにも週に1回ぐらい行く。だから、仕事のスケジュールを入れるほうも大変ですよ。病院って書いてあるところを避けて入れないといけない。それに、歩くのも疲れちゃって大変だから、仕事は座ってやれるラジオや講演になる。
いまだにラジオはレギュラーでやってほしいとか、週に1回でもやってほしいと言っていただけてありがたいけれども、いつ病気で倒れるかわからないから。ちょっと今はもうレギュラー仕事の保証はできないよね。
――軽快な"小倉節"は健在でした。
小倉智昭さん:
そういう意味では、77歳でもまだまだやれるとは思うんですよ。しかし、物忘れがひどくなった!1日に2回ぐらい、「あれ?何だっけ?」っていうことがある。
――2回で済んでいるところがすごいと思います。
小倉智昭さん:
「小倉さんでも忘れるようになっちゃうのか」と言われてますよ。この前、もう最悪だと思ったのはね、カミさんと一緒に病院に行って待合室で“ある人の名前”を思い出せなくなっちゃって、さすがに大きな声で聞けないから、カミさんに小声で「ねえねえ、あのメジャーで活躍してる彼、名前なんつったっけ?」って。そしたらカミさんが、「大谷翔平選手のこと?あなたそんなことも忘れちゃったの!?」ってびっくりしてた(笑)。
でもさ、突然忘れちゃうんだよな。「いいな」と思う俳優さんを見つけると、すぐその人の作品を探して見ているのに、その俳優さんの名前を忘れるんだよね。大好きな小芝風花さんの名前も出てこなくなっちゃう時がある。
――他に、注目されている俳優はいらっしゃいますか?
小倉智昭さん:
最近は、出口夏希さんと河合優実さん。この2人はいいね、今すごく好きなの。でも名前を忘れるんだよ(笑)。同世代の人と話してると、「あれ!ほら!あれの!」「わかった、あれだろ、あれ!」みたいな会話になって、もうほとんど落語みたいになっちゃう。でも、こういう話をしたほうがラジオなんかではウケるんだよね(笑)。

アナウンサーの小倉智昭さん死去 77歳 情報番組で司会務める(2024年12月10日『NHKニュース』)
 
キャプチャ
2024年12月10日 7時20分民放の情報番組で長年、司会を務め軽妙な語り口で人気を集めたフリーアナウンサー小倉智昭さんが、9日亡くなりました。
77歳でした。
キャプチャ2
小倉智昭さんは1947年に秋田県で生まれ、独協大学を卒業後に現在のテレビ東京にアナウンサーとして入社して、競馬中継の実況などで活躍しました。
1976年にフリーになるとその巧みな話術で民放の人気クイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」のナレーションを務めるなど、さまざまなテレビ番組やラジオで活躍しました。
1999年から司会を務めた民放の朝の情報番組「とくダネ!」では、軽妙な語り口と歯に衣着せぬコメントが人気で途中、休養もはさみながら22年間にわたりお茶の間に親しまれました。
小倉さんは2016年にぼうこうがんを患い、その後、がんが肺に転移し闘病生活を続けながらテレビにも出演するなどしていました。
関係者によりますと、小倉さんは、9日午後、亡くなったということです。