《「100分de名著」で注目!》同居家族による介護は「福祉における含み資産」…『恍惚の人』有吉佐和子が露呈させた意外な「旧感覚」(2024年12月9日『現代ビジネス』)

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現在は数多く刊行されている認知症関連の本のルーツをたどると、1972年刊行の有吉佐和子恍惚の人』にたどり着くといいます。すぐに200万部の大ベストセラーとなった小説の主人公は、東京・杉並に家族と住む40代の立花昭子(あきこ)。姑が急死した後、84歳の舅・茂造が現在でいう認知症の症状を強めていき、彼女はフルタイムで働きながら、舅の介護に孤軍奮闘することになります。
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「嫁」の無償労働に期待する国
恍惚の人』は、認知症の実態、そして認知症の老人を介護する家族の実態を描くとともに、「この時代の家族のあり方」を示す小説でもあった。明治生まれの夫に、奴隷のように尽くした姑。若い世代の昭子は、結婚・出産後も働き続けることで自身の意思を示したものの、いざ介護となると、夫は限りなく及び腰であり、昭子もまた、夫に介護を強要することはしない。
1978年(昭和53)の『厚生白書』には、同居家族は「福祉における含み資産」と記されている。老人介護などを同居の家族が担うことが、国にとっては「含み資産」なのだとされているのだ。
この場合の家族とは、ほとんど「嫁」のことを指していたと思われる。男性が働き、女性が家の中のことをするという家族モデルが推奨されていた日本において、嫁達の無償労働を、国は大いに期待していた。
昭子もまた国の思惑通りに、ほとんど一人で介護をやってのけ、最後は茂造を看取ることになる。昭子の心身が頑健であり、また茂造が認知症発覚後、そう長くは生きなかったので大事には至らなかったが、この時代に長い介護の日々を過ごして心身の健康を損ねた嫁達は多かったことだろう。
親を施設に入れる=「姥捨て」だった時代
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写真:現代ビジネス
しかし意外なことに、作者の有吉佐和子は、「介護は家族で担う方(ほう)がよい」との考えを持っていたようである。『恍惚の人』刊行後、高峰秀子と「潮」で行った対談では、「日本のように、おじいさん、おばあさん、孫が一緒に暮らすことが、いちばん老化を防ぐいい方法」「私は絶対、核(家族)反対ね」「このごろ、ヘンな舅や姑がでてきて『嫁や息子の世話にはならん』なんて、冗談じゃない」などと、熱く語っているのだ。
嫁だけが老人の面倒を見ることの不公平さを『恍惚の人』は訴えながらも、著者は介護を国が担うべきだと思っているわけではない。三世代同居をした上で、嫁だけでなく、家族皆が介護を担えばよいと考えているのであり、「含み資産上等」という感覚なのだ。
そんな有吉の思いは今、叶えられてはいない。家族だけで介護を担うことの困難さは、その後ますます顕著となり、2000年(平成12)には介護保険制度が施行されることに。介護は家族が行うべきものという感覚は、薄れている。
また『恍惚の人』には、
「老人ホームに親を送りこむっていうのは気の毒ですよねえ」
との台詞もあり、この時代の人々は、老人ホームに親を入れるのは姥捨て的行為だとの意識を強く持っていたことが理解できる。しかしそれから日本人の平均寿命がどんどん延びるにつれ、家で高齢者を看ることの困難度も上がっていく。ニーズに応じた様々なタイプの高齢者施設が増えたこともあり、親を施設に入れることは一般的になり、「送りこむ」「気の毒」という感覚ではなくなってきた。
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