東海地方を中心に1200人余りが亡くなったとされる昭和の東南海地震から7日で80年です。この地震で児童が犠牲になった静岡県袋井市の小学校では、卒業生から当時の体験を聞き、教訓を学ぶ授業が行われました。
静岡 小学校で当時の体験を聞く授業
木野さんは授業の最中に突然、強い揺れに襲われ「とても立っていられず、死ぬだろうと思った」と当時を振り返り、自分は外に避難できたものの、多くの児童が倒壊した校舎の下敷きになったことを説明しました。
そのうえで「落ち着いて行動をとり、自分の命は自分で守るように」と児童たちに呼びかけていました。
愛知 半田 遺族などが集まり追悼式
愛知県半田市では、学徒動員によって軍需工場で働いていた学生96人を含む、188人が犠牲になりました。
地震から80年となる7日、追悼碑がある半田市内の公園では遺族や、戦争を語り継ぐ市民の会のメンバーなどおよそ40人が集まり、追悼式が行われました。
集まった人たちは地震の発生時刻の午後1時半すぎに、追悼碑の前で黙とうをささげました。
そして1人ずつ花を手向け、手を合わせて犠牲者を悼みました。
軍需工場で犠牲になった前原完七さん(当時22)のおいで、群馬県から訪れた前原福夫さんは(74)、「おじの話は父から聞かされており元気なうちに一度訪れたいと思っていました。犠牲になった子どもたちは戦争の犠牲者でもあると思う。忘れず語り継いでいく必要があるし、地震の備えをしていかなければならないと思います」と話していました。
主催した「半田空襲と戦争を記録する会」の梶田稔事務局長は、「自然災害である東南海地震で多くの市民が犠牲になった背景には戦争があったことを忘れてはいけないと思います」話していました。
三重 大紀町 大地震と津波を想定した避難訓練
当時、壊滅的な被害を受けた三重県大紀町では、大地震と津波の発生を想定した避難訓練が行われました。
昭和の東南海地震で、三重県大紀町の海に面した錦地区には当時、6メートルを超える津波が押し寄せて64人が死亡し、住宅の90%近いおよそ680棟が全半壊する壊滅的な被害を受けました。
町では毎年、この日に合わせて避難訓練が行われていて、7日は住民たちが黙とうをささげたあと、大地震と津波の発生を想定した避難訓練が行われました。
錦地区では、今後発生が予想されている南海トラフの巨大地震でも最大16メートルの大津波が想定されていて、訓練では参加した住民たちがそれぞれ自宅から最寄りの避難所に徒歩で避難しました。
高さがおよそ24メートルある津波避難タワーにはお年寄りたちが避難し、ゆっくりと屋上まで階段をのぼっていました。
訓練に参加した82歳の男性は「避難できるかどうか自分の体力を確かめるためにも毎年、参加している。いつでもすぐに逃げられるように避難グッズをまとめ靴を用意して日頃から備えはしています」と話していました。