<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
今から40数年前のこと。当時、大学受験に失敗した私は大阪のある予備校に通っていた。そのとき知り合った友人がこんなことを言っていたのを覚えている。
「高校の卒業式で校長が言うんだよ。『君たちの中から中川五郎君以上の有名人が出てくることを願っています』とね。毎年の卒業式で言ってるらしいわ」
その言葉の主は、大阪の某名門府立高の卒業生。たぶん校長先生とすれば、卒業生への激励の言葉だったのだろう。大物になってほしい、という期待を込めて。
当時から中川五郎の名前は、我々には有名だった。1968年(昭43)にフォーク歌手高石ともやさんが歌いヒットした「受験生ブルース」の作詞家として。当時のテレビは毎日のように音楽番組が放送されていて、演歌歌手もアイドル歌手も同じ番組で歌っていた。その中で「受験生ブルース」は異色だった。
その後、高石さんは独自の世界を追い求め、ナターシャーセブンとともにコンサート活動中心に。一方の中川五郎の活動は、当時の私にはほとんど意識できなかった。
「受験生ブルース」を作詞した当時は高校生だったはずだが、半世紀が過ぎ、今ではシブいおじさんになっていた。
「高石さんは、まだ高校生だった僕に声をかけて、ステージで歌うきっかけをつくってくれた」と振り返り、お別れ会では生ギター一本、「受験生ブルース」を歌ってみせた。
ソフトで明るめの高石さんの声とは対照的に、中川五郎はヘビーで力強かった。ギターの弦をたたくように弾きながら「本当はこんな歌詞だったんだ」と、高石さんがアレンジする前、中川五郎オリジナルの歌詞もサービスしてくれた。
ナターシャーセブンのコンサートには何度も通ったが、実は「受験生ブルース」をステージで歌ったのは1度2度あったかどうか。想像するに、高石さんの中ではすでに完結した曲だったのだろう。
中川五郎の「受験生ブルース」を生で聞けるとは、夢にも思わなかった。予想外のうれしいハプニング。もしかしたら、これもまた高石さんからファンへのプレゼントなのかも。