齋藤元彦再選「SNSで若者がデマに騙された」は本当か? 新聞・ワイドショーが報じない「井戸県政の宿痾」という大問題(2024年11月22日『現代ビジネス』)

誰もが「腹落ち」を求めている
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県外からも大きな注目を集めた兵庫県知事選挙で、前職の齋藤元彦氏が再選した。
多くの方がご存じのとおり、知事選がスタートした当初は、対立候補の稲村和美氏が大きくリードしているとささやかれていた。私の周囲のマスコミ関係者や政界関係者などのあいだでも、その時期に「齋藤氏が勝つ」と予想していた人は皆無だった。主要なメディアも各社そろって「稲村氏優勢」の予測を出していた。
しかし結果はご覧のとおりだ。齋藤氏が下馬評を覆す「大まくり」を成し遂げ、稲村氏に10万票以上の差をつけての勝利となった。
SNS上やテレビ・新聞では、日本の地方政治史上まれにみる「全会一致の不信任(失職)からの奇跡的な大逆転劇」について、いまもなお議論が続いている。その中で、主流となっている筋書きは大まかにいうと以下のようなものだ。
・「『オールドメディア』が叩いている齋藤氏は、じつは既得権益に虐げられている善人」というストーリーが大衆に支持された
・マスコミの「世論操作」に対して、SNS世論が互角以上の影響力を持つようになった
・N党・立花孝志氏の登場によってSNS上にフェイクやデマが溢れて情報がかく乱され、それが齋藤氏にとって有利に働き、稲村氏が追い込まれた
なるほど、そういった側面も今回の選挙では部分的にあったようにも思える。齋藤氏自身も選挙後の勝利演説のなかで「SNSのよい面に大いに助けられた選挙戦だった」と振り返っていた。SNS上では、齋藤氏の演説に数えきれないほどの聴衆が詰めかける様子が連日伝えられていた。その様子が「倍々ゲーム」のように熱を生み、やがてお祭り騒ぎ的な「齋藤フィーバー」をもたらした可能性はある。
またN党・立花孝志氏の登場によって「齋藤氏が嵌められた」「一連の疑惑は一切が事実無根だった」などという筋書きがSNS上でも拡散するようになり――こうした情報の真偽も現時点では明確ではないが――それが追い風になったという指摘も、おそらく一定の妥当性はある。
しかしながらこれらの説、つまり「ネット・SNS vs. オールドメディア・既得権益」「SNS戦略による扇動」「立花氏の攪乱」という枠組みだけで今回の逆転劇のすべてを説明してしまうこともかなり乱暴な議論であり、言ってしまえば「イマドキのネット上で腹落ちする筋書き」の一種にすぎないようにも見える。私は今回の逆転劇には、それらとはまた別の要因、それも非常に複雑で交錯した論点があったと考えている。一つひとつ整理していこう。
「井戸県政」からの脱却
今回の一連の騒動と選挙において、おそらくこれが、兵庫県民以外にとってもっとも理解しがたい「背景文脈」であるように思う。
兵庫県には2001年から20年にわたって県政を長らく支配していた(齋藤氏と同じ総務系官僚出身の)前知事・井戸敏三氏がおり、齋藤元彦氏はその井戸長期政権からの決別と刷新の期待を受け、井戸氏が自身の後継者として推薦した対立候補を大差で破って当選した。
20年にもおよぶ井戸氏の県政の評価は賛否それぞれあるだろうが、少なくとも齋藤氏が、井戸時代にはだれも手を付けなかった「タブー」の領域に踏み込もうとしていたことは事実だ。その目玉は、県がバブル時代の末期から保有していた(そして阪神淡路大震災後に急激に不良債権化した)土地開発事業や不動産事業の見直しであり、これは井戸時代にもしばしばやり玉に挙がってはいたものの、清算されることはなかった。
井戸時代には、県の財政はどんどん悪化していった。むろんそのすべてを井戸氏の責任に帰するのは妥当ではない。というのも彼が就任した2001年は折しも「小泉改革」の旋風が起こっていた時期で、地方自治体にも大幅な予算カットという形でその余波が届いていたからだ。しかしながら、そういう事情があったことは差し引くにしても、井戸時代の兵庫県は概して「放漫財政」だったと言わざるを得ない。当人も朝日新聞のインタビューのなかで「(財政の)体力を超えて投資しすぎた面があった」と回想している。
兵庫県の行政問題を考える上で避けられない重大なターニングポイントは、やはり阪神淡路大震災だ。思うに大震災は、兵庫県にふたつの意味で禍根を残した。
ひとつは直接的な意味での「財政悪化」だ。阪神エリアの市街地に大きな被害をもたらし、社会経済に深刻な痛手を与えた震災からの復興のため、県は2兆円弱の負債を抱えることを余儀なくされた。そしてもうひとつは「震災復興のためだから」という建前のもと、その後の放漫財政が正当化されたことで、間接的な意味でも「財政悪化」を招いてしまったことだ。
とくに神戸市では「震災復興」の名のもとに、どんぶり勘定で湯水のように税金をつぎ込んで商業施設や住宅地が造成され、それらはことごとく赤字を垂れ流してきた。神戸は人口150万を数える巨大都市であり、その財政規模も他の多くの自治体とはその桁が違う。ピーク時の2002年度には神戸市の市債残高、つまり借金は3兆2000億円を超えた。
宿痾の清算
齋藤元彦は、井戸時代にも続いてきたこのような採算性を度外視した――悪くいえば多額の公金注入ありきの放漫経営を前提とする――政治・行政との訣別を県民から期待されて県知事に就任した。そして実際に齋藤氏が就任直後から着手したのは、まさにこうした兵庫県に遺された長年の宿痾(しゅくあ)の清算であり、県民からもその手腕は一定の支持を得ていた。
井戸時代には財政的問題から後回しにされていた中学・高等学校の校舎修繕などに力を入れていたのも、大きく支持を広げたポイントのひとつだっただろう。今回の選挙で齋藤氏が10代~20代の若年層から圧倒的支持を集めたのは偶然ではない。「立花孝志やXの政治系インフルエンサーが煽ったから、10代20代が妄信して齋藤を支持するようになった」「若者がYouTubeTiktokだけを見て『ネットde真実』に目覚めて齋藤になだれ込んだ」――というのは実情とはかけ離れている。「パワハラ」というタームにきわめて敏感なZ世代の大部分が齋藤氏を支持したというのは、彼の「パワハラ問題」を帳消しにするだけの恩恵が実際に彼らの生活に注がれていたことを示唆している。
とはいえ当たり前だが、議会にも行政にも長年主流派であり続けた「井戸派」はまだ根強く存在しており、齋藤氏の県政を快く思っていなかった。齋藤氏の改革はいわゆる「身を切る」タイプのそれに属していたため、一部の人びとからすれば面白くなかったのも当然だろう。
ただし、ここで強調しておきたいのだが、「議会や行政やOBにいた『井戸派(反齋藤派)』がメディアと結託して、今回の失職につながる陰謀をめぐらせた」のかというと、必ずしもそうとも言い切れないということだ。
最初は「お騒がせネタ」だった
SNS上では「齋藤つぶしの陰謀を県の既得権益者とオールドメディアが企てた(そして、それをネットメディアがひっくり返した)」という話がまことしやかにささやかれ支持されているが、実情はそうではなかっただろう。
私は近畿ローカル局で齋藤氏をめぐる「告発文書問題」がフィーチャーされだした最初期からその報道を視聴しているのだが、はっきり言ってしまえば、そのときのメディアのムードは「天地を揺るがす大スクープを入手!」「県職員たちの決死の告発!」という雰囲気でもなければ、「なんとしても齋藤をぶっ潰す!!!」という鬼気迫るものでもなかった。言ってしまえば「とくにネタもないし、これでも流しとくか」くらいの、本当にそれくらい軽い「お騒がせネタ」という空気だったのだ。
「万引きGメンとか、飲酒運転の取り締まりとか、オーバーツーリズムの迷惑観光客とかの定番ネタもさすがにやりすぎて飽きられてきたし、ほかに『けしからん奴だ!』と視聴者が食いつくようなネタないかな~」とテレビ業界人がなんとなく探していたところに、たまたま「兵庫県庁でトラブルがあったらしい」という情報が入り、「他に尺を持たせるネタもないし、これでも流しておくか」と放送し始めたのがすべての発端だったのではないか。当初は「おねだり体質」といった、いかにも低俗な雑誌に載りそうな面白おかしいキャッチコピーばかりがクローズアップされていたのもその表れだろう。
テレビ局がほんの「つなぎ」程度の軽い気持ちで始めたその報道に対して、水面下でくすぶっていた「井戸派」の人びとが「齋藤の首を取るチャンス到来!」とばかりに続々と乗っかり、あれよあれよという内に大火事になって、ついには百条委員会にまで発展する騒動になってしまった。
偶然に偶然が重なった
私は騒動の最初期に「告発文書」現物の文面を入手して読んでいたので、そのうえで率直に言わせてもらうと、かなり好意的に見積もっても、その内容は突拍子のない記述が含まれていると言わざるを得ないものだった。しかもこの文書は完全に匿名であり、筆者自身が齋藤氏からハラスメントなどを受けたと告発する内容でも、信頼できる根拠を示して齋藤氏の不正を訴えるものでもなかった。これを齋藤氏側が「公益通報」として処理せず退けたのを、「不当なもみ消し行為」と一面的に糾弾するのは無理がある。
また百条委員会もその中継映像のほとんどすべてを視聴したうえで言わせてもらうのだが、結局あれほど苛烈に報道されていた「おねだり」と言われるような「金品を私利私欲でせしめる行為」は確認されておらず、また「パワハラ」についても、直接的な物的証拠は現時点で一切出てきていないのが現状だ。そうした疑惑のほとんどが伝聞ベースである。また齋藤氏自身も認める「強く叱責したことがある」というのも、その行為自体がパワハラと断じられるかについて議論の余地がある。
「五百旗頭先生(※神戸在住政治学者、今年3月に死去)は齋藤の嫌がらせのせいで憤死したのだ!」という無根拠な言説から始まる「告発文書」を、公益通報として扱うことが難しいのは県庁や県議会内部のだれもが薄々わかっていただろうし、「おねだり」や「ハラスメント」についての裏がはっきりと取れていない状態であったこともわかっていたはずだ。それでも県議会は全会一致の不信任で齋藤氏を失職させた。私には「ゴリ押し」にしか見えなかった。
地元のマスコミが、ワイドショーや夕方の情報番組で流す定番ネタが尽きたから報じた「お騒がせニュース」が、当人たちの想像以上にSNS上で面白おかしく取り上げられる「炎上案件」になった。そこに、齋藤県政を快く思わない人びとが「好機」と見て全力で乗っかり、兵庫県政が9ヵ月停止するほどの事態にまで戦火が拡大してしまった。だれが陰謀を企てたわけでもなく、だれかが背後から弓を引いたわけでもなく、不幸な形で偶然に偶然が重なった結果として「告発文書騒動」が起こったのだ。
一方、ワイドショーの連日の報道とは裏腹に、有権者は今回の県知事選で、意外なほど冷静に事態を見つめていたようだ。後編記事【齋藤元彦再選で「有権者は愚か者ばかり」と言いたがる「知識人」が続出する理由…彼らが溺れる、もう一つの「ネットde真実」】でひきつづき考察する。
御田寺 圭