この社会には、同じ人は誰一人いません。
性・年齢・障害の有無・身長・体重・聞き手・家庭環境など全て皆違います。
性別・国籍・年齢など、さまざまな違いがある人々が、それぞれが自立し、相互に支え合い、主体的に暮らしていける社会。
全ての人々が社会から阻害されることなく、人間として生きることが承認され、支援体制が確立されている社会。
これが共生社会です。
共生社会の構成員は、いわゆる生産活動に従事している(できる)年齢、身体状況、知的状況を有するとされる人々だけではありません。
あらゆる社会に起こる競争場面に打ち勝てる人だけではなく、どんな状況の人々も構成員です。
共生社会に生活するということは、健常者にとっても安心して暮らせる社会です。
現在の健常者も弱者予備軍です。
やがて老いは必ずやって来ます。もしかしたら、若いうちに事故や病気で機能障害が発症するかも知れません。
そのようになったときにも堂々と主体的に生きていける社会に生きているならば、健常なときにおいても将来の不安を抱かないで生きていける社会であり、安心して暮らせる社会といえます。
それが共生社会なのです。
多様化する家族観 法整備の遅れ 直視する年に(2025年1月10日『中国新聞』-「社説」)
衆院で野党優勢となった国会が進めるべきは、多様化する家族観を踏まえた法整備の審議である。
従来の自民党政権が党内事情を優先するあまり後ろ向きだった政策分野だ。加えて国会議員に、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の一つでもあるジェンダー平等を学んだ若い世代や、女性の割合が著しく低いことも対応の遅れを招いてきたといえる。
家族の在り方は人それぞれに価値観があり、時代とともに変化した。少数者や社会で不利益を受けている人の声を聞き、分断の溝を埋める議論ができる機会と捉えたい。国会に求められる務めを直視し、実行の年にすべきだ。
選択的夫婦別姓は現行で義務付けられている同姓だけでなく、夫婦がそれぞれの姓を名乗れる制度で、30年近く法案審議が棚上げされてきた。昨年の衆院選で導入に前向きな政党が議席を伸ばし、立憲民主党は今月下旬からの通常国会に法案を提出する方針を示した。慎重だった日本維新の会でも、新執行部の幹部から別姓に肯定的な意見が出てきた。公明党は自民党に与党協議を強く呼びかける。
世論は昨年5月の共同通信調査で賛成が76%に上ったように、変化している。経団連もビジネス上での障壁が看過できなくなったとして早期導入を求める。自民党内で賛成を明言する議員も増えた。党は議論に臨むべきだろう。
当事者は生活や仕事での旧姓の通称使用では限界があると訴える。それ以上に「アイデンティティーの問題だ」という主張にはうなずける。生き方や家族の在り方の選択肢が狭められ、改姓するのは女性が95%と偏っている。
法案を基に賛否の意見をオープンに掘り下げる段階に来ている。子どもの姓をどう決めるのか、影響が大きい論点もある。国会での熟議と、国民との対話によって導入への機運醸成に努めるべきだ。
折しも今年、女性差別撤廃条約の批准から40年になる。昨年10月、国連の委員会から別姓導入について4度目の勧告を受けた。政府としてもこれ以上の放置は許されない。
多様な生き方へ社会の懐を広げよ(2025年1月7日『日本経済新聞』-「社説」)
誰もが力を発揮できる基盤を整えたい
今の日本に必要なのは、国民一人ひとりが個性や能力を存分に発揮し、生き方や働き方を自由に選択できる社会だ。人口減と高齢化が進む令和の時代には、その重要性がいっそう高まる。女性あるいは男性だから、高齢者だから。そんな決めつけはもういらない。昭和から続く固定的・画一的な慣習や制度から、決別するときだ。
時代に合わぬ「第3号」
選択を阻む岩盤のひとつが、「夫が働き、妻は家事・育児に専念する」という昭和モデルだ。「モーレツ社員」と呼ばれるほどの男性の長時間労働を可能にし、かつては高度経済成長を支えた。
だが、深刻な影も落とした。過酷な労働はときに心身の不調を引き起こし、ワークライフバランスもとれない。性別役割分業意識は女性が職場で力を発揮する壁になっている。国の調査では、若い未婚男女が理想とする女性のライフコースは「両立」が最多だ。「共働き・共育て」を選びたくても分業前提の仕組みが続けば、女性の低賃金や少子化の解消は難しい。
モデルを脱せない象徴は、1985年に制定された国民年金の第3号被保険者制度だろう。会社員と公務員に扶養される配偶者は自ら保険料を納めず国民年金を受給できる。女性の年金受給権の確立という意義はあったが、今はむしろ不公平感が目立つ。例えば、経済的に困窮することが多いシングルマザー世帯は、第3号制度のような制度の保障を得られない。
「年収の壁」の根本原因もここにある。働く主婦は年収が130万円あるいは106万円を超えるまでは保険料を負担しない。恩恵が大きいがゆえに、それが外れたときの負担の重さが際立つのだ。
大事なのは働き方、生き方に中立的な社会保障や税の制度だ。2025年は昭和の遺物のような第3号制度を解体する方針を打ち出し、真に支援が要る人に目配りした年金制度による新しい最低保障の姿を示すべきだ。
「定年」のような年齢による決めつけも変えるときだ。企業が一律に雇用契約を打ち切っては人手不足時代も乗り切れない。役職定年制や60歳以降の大幅な賃下げも士気を低下させるデメリットが大きい。適正に成果を評価し、賃金に反映させる仕組みが必要だ。
そもそも定年まで同じ会社に勤めたい若者も減っている。優秀な人材のつなぎとめには、職務内容に応じて賃金を決める「ジョブ型人事」が一つの解になる。年功賃金や順送り人事は根本から見直すべきだ。同じ会社に長く勤めるほど退職金課税の控除額が大きくなる仕組みも変えねばならない。
これら古びた慣行は、外国人にとって理解不能だ。スキルをベースに人材を採用し、処遇する。転職が挑戦だと評価され、個人は学び直し(リスキリング)でより厚待遇の職を得る。政府は企業よりも労働者の支援に軸足を置き、リスキリングなどを後押しする。北欧諸国のように柔軟な労働市場を目指したい。ましてや、技能実習制度で見られた外国人=安価な労働力との考えは捨て去るべきだ。
学習者中心の教育に
昭和を脱ぎさっていく上で教育が果たす役割は大きい。「女子は理系科目が苦手」といった大人の思い込みや教室の同調圧力をなくすことは第一歩だ。学びと仕事を行き来しつつ自己実現を追求するマルチステージの人生を前提に、自ら学びを選択できる主体性を全ての子どもに育むときだ。
教員が一方通行的に教える授業は昭和期の大量生産型の産業社会には適していた。これからは多様な発想による価値の共創が大事になる。子どもが教員や仲間と対話し、デジタル端末も使いながら能力を伸ばしていく学習者中心型への転換が求められる。
学ぶ楽しさ、成長の実感を知るからこそ人はリスキリングに前向きになる。教育を減点型から加点型に変え、自分のペースで学べるようにすべきだ。それには多様な子どもを学年でひとくくりにし一律の学習を課す制度の弾力化が要る。共生社会の実現に向けて、障害のある子どもが一般の学校で学ぶ場面も増やしていきたい。
日本社会に閉塞感が漂うのは、人が十分に可能性を開花できていないことが大きな要因の一つだろう。誰もが自らの意思で能力を磨き、正当な評価を得られる仕組みを築く。その先に少子化を乗り越えて活力ある社会が見えてくる。
外国人との共生 対話重ね開かれた社会に(2025年1月3日『河北新報』-「社説」)
さまざまな国の人々が街を行き交う。日本各地のありふれた光景だ。外国人材は建設や製造、農林水産、介護など多くの業種で重要な戦力となり、観光業界や自治体はインバウンド(訪日客)需要の取り込みにしのぎを削る。
出入国在留管理庁によると、2023年末時点の在留外国人数は約341万人と2年連続で過去最多を更新し、10年前の1・7倍近くに増えた。留学生は約34万人。技能実習と技術系などの専門職、即戦力の特定技能を合わせた就労目的の在留者は97万人を超える。
外国人は身近な存在になったものの、地域の隣人としての姿は見えにくい。政府は外国人材の活用を訴えるが、私たちの社会は彼らに開かれているのだろうか。
1993年創設の技能実習制度は、国際貢献や途上国への技術移転を掲げながら安価な労働力確保の手段となり、人権侵害が各地で問題化した。政府は2027年までに、技能実習に代わる新たな外国人材受け入れ制度「育成就労」をスタートさせる。
グローバルな人材獲得競争が激化し、円安や低賃金で日本の魅力は薄れつつある。人口減で働き手不足が加速しているとはいえ、外国人を都合のいい労働力として扱う姿勢は許されない。
地域での暮らしを楽しみ、安心して学んだり働いたりできる環境を早急に整えなくてはならない。
県も財政面や留学生募集、教員確保などをサポートする。村井嘉浩知事は、市との覚書締結式で「労働力を増やす教育ではなく、民間にはできない地域に根差した教育」への期待を語った。「選ばれる地域づくり」に不可欠な視点だろう。
住民説明会では不安の声も出たという。異なる文化を持つ人々だ。行き違いや衝突も起こり得る。課題をどう乗り越えるかも含め、同校の実践に大いに注目したい。
国家間のみならず、各国の内側にも対立と分断が広がるが、無関心や無理解、排除で応じるのではなく、解決の道を探るべきだ。対話し、知恵を出し合い、外国人とともに生きる社会を目指そう。
外国人との共生 対話重ね開かれた社会に(2025年1月3日『河北新報』-「社説」)
さまざまな国の人々が街を行き交う。日本各地のありふれた光景だ。外国人材は建設や製造、農林水産、介護など多くの業種で重要な戦力となり、観光業界や自治体はインバウンド(訪日客)需要の取り込みにしのぎを削る。
出入国在留管理庁によると、2023年末時点の在留外国人数は約341万人と2年連続で過去最多を更新し、10年前の1・7倍近くに増えた。留学生は約34万人。技能実習と技術系などの専門職、即戦力の特定技能を合わせた就労目的の在留者は97万人を超える。
外国人は身近な存在になったものの、地域の隣人としての姿は見えにくい。政府は外国人材の活用を訴えるが、私たちの社会は彼らに開かれているのだろうか。
1993年創設の技能実習制度は、国際貢献や途上国への技術移転を掲げながら安価な労働力確保の手段となり、人権侵害が各地で問題化した。政府は2027年までに、技能実習に代わる新たな外国人材受け入れ制度「育成就労」をスタートさせる。
グローバルな人材獲得競争が激化し、円安や低賃金で日本の魅力は薄れつつある。人口減で働き手不足が加速しているとはいえ、外国人を都合のいい労働力として扱う姿勢は許されない。
地域での暮らしを楽しみ、安心して学んだり働いたりできる環境を早急に整えなくてはならない。
県も財政面や留学生募集、教員確保などをサポートする。村井嘉浩知事は、市との覚書締結式で「労働力を増やす教育ではなく、民間にはできない地域に根差した教育」への期待を語った。「選ばれる地域づくり」に不可欠な視点だろう。
住民説明会では不安の声も出たという。異なる文化を持つ人々だ。行き違いや衝突も起こり得る。課題をどう乗り越えるかも含め、同校の実践に大いに注目したい。
国家間のみならず、各国の内側にも対立と分断が広がるが、無関心や無理解、排除で応じるのではなく、解決の道を探るべきだ。対話し、知恵を出し合い、外国人とともに生きる社会を目指そう。
多縁な社会へ 知人口を地域で増やそう(2025年1月3日『西日本新聞』-「社説」)
「地方消滅2」(人口戦略会議編著)と題した新書が昨年話題になった。石破茂首相は目玉政策として、地方創生を再起動させた。
どちらも地方の人口減少への危機意識がにじむ。放っておくことができない問題である。
地域に住む人が老い、人口が減れば、なりわいや伝統行事を昔と同じように維持するのは難しい。生活も不便になるかもしれない。
こうした地域の未来は悲観するしかないのだろうか。そうではない。地域に合った工夫で、住民の生きがいや幸せの実感を高めることができる。
「高齢化する世界の手本になり得る」と内外の研究者が注目する取り組みが九州にある。
■働く喜びと生きがい
地元出身の大熊充さんが2019年に創業し、あえて75歳以上のおばあちゃんを雇っている。
以前、車で高齢者の買い物や通院の送迎ボランティアをしていた頃、利用者の暮らしに驚いた。困窮と孤立である。大熊さん以外に一日誰とも会わない、話さないという人もいた。その経験が「ばあちゃんビジネス」を生んだ。
増えた高齢者は、見方を少し変えるだけで豊富な人材になる。おばあちゃんたちは週2日程度、加工品作りにいそしむ。半日でも働くと「生活にめりはりがつく」と楽しそうだ。
誰かと一緒に話し、働く喜びは生きがいになる。心身の健康にも効果をもたらす。
後期高齢者と呼ばれる年齢になっても、介護を必要としない人は大勢いる。知恵や経験を引き出せば、地域活動ばかりかビジネスにも生かすことができる。高齢者の捉え方を見直してみよう。
■日常の安心を高める
家族や地域との接触がない社会的孤立は、年齢や地域を超えた課題だ。大都市に限らず、地縁や血縁が強かった町村でも、住民の結びつきは弱くなっている。
むしろ無縁化が進んでいると言った方がいいだろう。人知れず亡くなる人、助けを求める相手がいない人は身近にいる。
今こそ、人と人がつながる意義と価値を再認識したい。
それは地域で豊かに暮らすために欠かせない要素で、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)と呼ばれる。普段から住民同士がつながり、寄り合う場所があり、共同活動ができれば、高齢化しても足腰の強い地域になる。
地方で暮らす私たちは、住民が希望を持てる、達成可能な目標を持ちたい。
福岡県福津市の津屋崎地区を拠点に、九州内外の地域づくりに携わる山口覚さん(津屋崎ブランチ代表)は「ちょっと手伝ってと言える人を増やそう」と提起する。「知人口」と名付けた。
こうした人たちの存在は急病や自然災害など、いざというときに頼りになる。人口が減っても知人口が増えれば、日常の安心が高まりそうだ。
多縁な地域社会を九州に築きたい。政府や自治体の政策に頼らなくても、近所同士の小さなきっかけから始められる。昨年よりも多く人と縁を結ぶ年でありたい。
(2024年12月18日『琉球新報』-「金口木舌」)
数年前、精神に障がいのある男性の相談を受けている事業所を訪ねる機会があった。男性は同じ障がいのある女性と結婚を望むが、家族に反対され、途方に暮れていた
▼2人で暮らす部屋を借りようにも、家主は契約をしぶっている。「保証人を引き受ける身内もいなくて」と男性は困惑ぎみに話す。相談員も打つ手に苦慮している
▼障がいのある人が、社会のあらゆる場面で壁にぶつかる話をよく聞く。ライターの知人は肢体不自由で車いすを利用し日本各地を飛び回るが、段差のある場所では手助けが必要だ。「ごめんなさいを何度繰り返したことか」とつぶやく
▼県の共生社会条例が2014年4月に施行され10年が過ぎた。条例は職場や教育、居住など生活のさまざまな場面における差別を禁止している。条例の正式名称が掲げる「障害のある人もない人も共に暮らしやすい社会」に、この10年でどれだけ近づけただろうか
▼差別を解消していくには障がいへの理解、生きづらさへの共感が欠かせない。高齢や疾病でだれもが障がい者となる可能性はある。自分ごとに引きつけて考えてみたい。差別をなくす一歩として。
(2024年12月6日『新潟日報』-「日報抄」)
中国三千年の文化文明が生んだ輝かしい成果であり、日本千数百年の漢字漢語文化史上の見事な結実である-。漢和辞典などの編さんに携わった田部井文雄さんは四字熟語について、こう評した
▼いにしえの人々が生んだ珠玉の表現とはいえ、言葉は生き物、はやり廃りがある。時の流れの中で「死語」となったものも少なくない。言葉の持つ宿命といえる
▼学校側は「時代や環境の変化を踏まえた」と説明する。宝塚では俳優の長時間活動や上級生らによるパワハラが大きな問題になった。音楽学校の入学試験の倍率も低下傾向が続く。文言の削除は、組織風土の改革の表れなのだろうか
▼才色兼備、花顔柳腰(かがんりゅうよう)、明眸皓歯(めいぼうこうし)…。田部井さんが編んだ四字熟語辞典(大修館書店)を繰ると、女性の美しさを表す言葉はほかにもある。顔やスタイルを形容するものが目立つ。そこには、男性の視点が見え隠れする
▼ジェンダー平等の意識が広がり、ルッキズム(外見至上主義)への批判も高まって、こうした言葉も死語になるのか。至る所に染みついていた男性優位の意識も、牛の歩みながら変わりつつある。多様性がいっそう尊重される世の中になることを願う。田部井さんの辞書には「多種多様」や「十人十色」という言葉も載っている。
週のはじめに考える それは真の共生ですか(2024年11月17日『東京新聞』-「社説」)
政府が今年発表した調査結果によると、日本の障害者は推計で1千万人を超えました。身体、精神、知能などさまざまなハンディがある人々にとっても暮らしやすい「共生社会」に変えていくことがますます重要になります。
障害者にとって大きな課題は、自立した生活を営むための収入を確保することです。
政府は今年、企業に義務付ける障害者の法定雇用率を2・3%から2・5%に引き上げました。300人規模の企業の場合、6人だった障害者の雇用が7人に増える計算です。
法定雇用率を達成しない企業には納付金などが課されますから、障害者の就労が促され、障害の有無にかかわらず一つの職場で働く「共生」が期待されます。
ただ、心配なこともあります。障害者を雇用しながら、事実上隔離するビジネスモデル=図=が広がっているからです。
見せかけ?障害者雇用
千葉県内の農園を例に挙げましょう。約30棟のビニールハウスが並び、キュウリやトマトなどの野菜を栽培しています。
働くのは約60人の障害者。実は製造業や保険、広告など、さまざまな企業の社員たち。農場は「障害者雇用ビジネス」の事業者が運営しています。
各企業はこの事業者から紹介された障害者を社員として雇用した上で、本業とは無縁の簡易な農作業に従事させているのです。事業者に農園利用料などを支払い、社員の管理を任せる構図です。
ここで働く障害者の男性に話を聞きました。上場企業の社員ですが「企業のオフィスには一回も行ったことがない。企業の社員が農園を訪れることもほとんどない」と明かします。
男性は企業への直接連絡が禁じられ、用件は事業者を通すそうです。生産される野菜は販売されず企業の福利厚生に回ります。
男性は「本格的な農業ではないので技術も身に付かず、将来が不安。自分の立場や仕事内容を考えると、上場企業勤務とはとても言えない」と嘆きます。
このような障害者雇用ビジネスは10年ほど前から目立ち始めました。政府のまとめでは昨年11月時点で事業者は32社あり、利用する企業は延べ1200社超、働く障害者は7300人超に上ります。
増加の背景に、法定雇用率を安易に満たしたい企業の思惑があります。事業者に金さえ支払えば、採用から業務管理まで丸投げできるからです。障害者にとっても、社員になることで高い収入を得られるメリットがあります。
しかし、企業が雇用責任を果たしているとはとても言えません。生産物が利益に結び付いているわけでもなく、障害者自身のやりがいやスキルアップは軽視されています。就職した企業からも孤立しています。見せかけの雇用と指摘されても仕方がありません。
三方良しの働き方こそ
日本が2014年、障害者へのあらゆる差別を禁じ、社会に包摂することをうたった障害者権利条約に批准してから、今年でちょうど10年です。
かつて福祉作業所などに働き口を見いだすしかなかった日本の障害者が、企業で能力を生かせるようになったのは社会の進歩と言えますが、同時に、障害者を隔離する新たな仕組みが生まれていることは、条約の理念から懸け離れていると言わざるを得ません。
国連「ビジネスと人権の作業部会」は訪日報告書で、障害者雇用ビジネスを偽装雇用や代理雇用と指摘し、「職場の不平等を助長している」と批判しました。
数字にすぎない法定雇用率の達成だけを重視する考えは、人間の尊厳をないがしろにしています。障害者を隔離せず、障害の特性に応じた仕事を割り振るなど、職場環境を主体的に整える取り組みこそ、企業に求められています。
もちろん障害者雇用ビジネス業界には、企業との健全な橋渡しをする事業者もあるでしょう。また福祉と農業の連携は全国で進んでいて、障害者が生産に関わった食品の日本農林規格(JAS)の認証を全国で初めて取得した「ウィズファーム」(長野県松川町)などの好例が多くあります。
働く障害者と、雇用する企業がともに満足し、個性や多様性を尊重する機運が社会に広がる…。そんな「三方良し」のビジネスモデルを広げなければなりません。
名作テレビドラマ『ふぞろいの林(りん)檎(ご)たち』で、恋や将来に悩むヒロインを演じたのは手塚理美さん、石原真理子さん。それにもう一人、ぽっちゃりした中島唱子(しょうこ)さんがいた。見た目にコンプレックスを抱えた有名女子大のお嬢さまという役どころ
◆中島さんは所属する劇団の勧めでオーディションを受けた。1次審査は2分間の自己PR。趣味も特技もない。当時アルバイトで鍛えた、たこ焼きを丸く焼く技を身ぶり手ぶりで披露したら大うけ。難なく合格した
◆本人には知らされていなかったが、オーディションは「容貌の不自由な人募集します」だった。中島さんの合格を伝えるスポーツ紙の見出しは〈ブスのオーディションで1位〉。買い占めたその新聞に囲まれて、母が台所で泣いていた
◆今では考えられないような昭和の芸能界の悪ノリだが、傷ついた中島さんを救ったのは、脚本を手がけた山田太一さんの言葉だったという。「コンプレックスのない人間はつまらない。それが人を輝かせるエネルギーになる」と