「寛容とは、世界の文化の豊かな多様性、表現方法、人間としてのあり方を尊重し、受け入れ、感謝することです。」-1995年「寛容に関する原則の宣言」より
11月16日は「国際寛容デー」です。1996年に制定されました。
世界寛容デーは、1995年に採択された「寛容に関する原則の宣言」に基づいており、この宣言では、寛容は善行でも無関心でいることでもなく、「豊かな多様性に富む世界の文化、表現の手段、人間としてのあり方を尊重し、受け入れ、享受すること」と定義しています。寛容とは、普遍的な人権と他者の基本的自由を認めることです。人々は生まれながらに多様であり、寛容をもってのみ、世界各地に存在する多様な社会が存続しうるのです。
寛容と非暴力促進のためのユネスコ・マダンジェート・シン賞
1995年、その年の国際寛容年及びマハトマ・ガンジー生誕125周年を記念して、ユネスコは「寛容と非暴力促進のためのユネスコ・マダンジェート・シン賞」を創設しました。この賞は、科学、芸術、文化あるいはコミュニケーションの分野において、寛容と非暴力の精神を推進する重要な活動を表彰するものです。また、「寛容と非暴力促進のためのユネスコ・マダンジェート・シン賞」は、ユネスコ憲章に謳われている「平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない」という理想に触発されて創設されました。
(2024年11月16日『新潟日報』-「日報抄」)
手元の辞書は「寛容」の意味を「心が広くて、よく人の言動を受け入れること」と説明する。きょう16日は「国際寛容デー」という。数多くの国際デーがある中で、これはテーマが少し抽象的な記念日だ
▼国連教育科学文化機関(ユネスコ)が1995年のこの日に採択した「寛容に関する宣言」に基づき、翌年の総会で制定された。95年はどんな年だったのか。ロシアが、独立を求めるチェチェン共和国の首都を制圧し紛争が激化した
▼米国では、太平洋戦争終結50年の節目に企画された「原爆展」が中止の憂き目に。中国は地下核実験を強行し、イスラエルのラビン首相が暗殺された。日本では、1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件が発生した
▼不安と不信が世界を覆った年だった。だからこそ国連は「寛容」という言葉で、文化や生き方の多様性を認め、対話による相互理解を進めるよう求めたのだろう。それから約30年。寛容の精神はむしろ薄れてしまったようだ
▼日本も、学校では不登校やいじめ、大人社会でもハラスメントが増え続ける。この30年でなくした最も大きなものは、寛容の心なのかもしれない。ギスギス、イライラより、ワクワク、ニコニコの時間を増やしたい。冬に向かう日々、心をぬくめたい。
104歳の長命だった童謡詩人、まど・みちおさんはきょうが生誕115年に当たる。誰もが知る「ぞうさん」は、戦後の童謡の代表作だろう。〈ぞうさん/ぞうさん/おはなが/ながいのね/そうよ/かあさんも/ながいのよ〉
やはり童謡詩人で小説家の阪田寛夫さんが、本人に詩の解釈を問うている。童謡の受けとり方は自由、とまどさん。そう断った上で「お鼻が長いのね」は、ゾウが他の動物に悪口をいわれた、冷やかされたのだと説明する。
ただ、ゾウは「でも、一番好きなかあさんも長いのよ」と誇りを持って答える。「自分が自分に生まれてすばらしい、ということをテーマとしている詩が、自分の作品には多い」(阪田さん著「まどさん」)。昨今いわれる多様性の尊重、他者への寛容にも通じる逸話のようでもある。
人種、性的指向に関する議論に積極的な教育機関への資金援助を削減する、とも報じられる。自分とは違う何かを受け入れない不寛容。SNS(交流サイト)上の誹謗(ひぼう)中傷や、ヘイトスピーチの問題が絶えない日本も無縁ではないだろう。
人々は生まれながらにして多様―。まどさんの誕生日は、国連が定める「国際寛容デー」でもある。