9月から和歌山地裁で開かれている「紀州のドン・ファン」殺人事件の裁判員裁判が最終局面を迎えている。和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さんを2018年5月24日に致死量の覚醒剤を飲ませて殺害したとして殺人罪などに問われた妻、早貴被告に対する尋問が11月8日から始まっている。
この日から始まる被告人尋問の初日、傍聴抽選会の列には、早貴被告が社長と結婚する前から世話をしていた酒類販売会社「アプリコ」の番頭“マコやん”の姿があった。
■ 野崎氏夫妻、そして事件発生時の状況をもっともよく知る2人
野崎氏の死後、マスコミの取材攻勢に対し口を閉ざしていた早貴被告だったが、事件当日、野崎氏宅にいた彼女とお手伝いさん・大下さん(仮名)は、警察の事情聴取とは別に、番頭のマコやんと『紀州のドン・ファン』(講談社+α文庫)のゴーストライターを務めたジャーナリストの吉田隆氏から、連日事情を聞かれていた。
吉田氏は長年週刊誌記者をしており事件取材の経験は豊富だ。なので、事件直後から事件発生時の状況はもちろん、早貴被告や木下さんが毎日警察で聴取を受けて帰ってきた後にも聴取内容を聞き出すなど、マコやんとともに事件の全容の把握に努めていたという。
木下さんは健康状態がすぐれず、証人尋問を含め法廷に姿を現すことはできなかったが、マコやん、吉田氏は早貴被告と大下さんを除けば、事件発生時からの状況をもっともよく知る2人と言ってもいい。彼らの目には、早貴被告の尋問はどう映ったのだろうか。
この日、早貴被告は上下黒色のスーツ姿で出廷した。法廷で発言をするのは初公判で「無罪です」と話して以来のことだ。被告人質問は3日間予定されておりこの日は弁護側、次が検察側、そして最後は裁判所が質問をする予定となっている。
供述によると、北海道札幌市出身の被告は20歳で上京し芸能プロダクションにモデルとして登録した。17年冬に仕事で中国・北京に行った際、モデルの女性から「お金持ちの男性を紹介してあげようか」と提案された。同年12月に野崎さんと初めて会うと、「会いに来てくれてありがとう」と帯付きの100万円を手渡されたとしている。
■ 早貴被告が突然主張し始めた「結婚の3条件」
「お金をパッとくれる人でラッキー。うまく付き合っていこうと思った」野崎さんは、その日のうちに「結婚してください」と切り出し、被告は結婚の条件として、(1)毎月100万円の報酬を支払う、(2)田辺市で一緒に住まなくてよい、(3)性行為をしない、の3つを示したと証言している。
傍聴後、この3条件についてマコやんは疑問を呈した。
「社長がこのような条件を交わしたことは絶対に無かったはずです。唯一本当なのは月々100万円を貰うことだけでしょう。性行為をしないこと、田辺市に一緒に住まなくていいという条件には違和感しかありません。Hをすることだけが生きがいの社長がセックスをしないという条件を呑むはずがないし、田辺市の家で一緒に住まないというのもナンセンス。それなら他の愛人と同様に、入籍する必要はないし、会う都度お金を払えばよかっただけになります。第一、これまで私は早貴さんから『毎月100万円』以外の条件を聞いたことがありません」
弁護人からは早貴被告にこんな質問が飛んだ。
弁護人「家族や友人に婚姻届を出すことを話しましたか」
被告「話してません」
弁護人「どうして」
被告「月100万円の契約みたいな結婚。愛し合ってする結婚じゃないので、わざわざ周りに言いふらすものでもない」
■ 「肌がカサカサだから生活態度を改めよ」
2人の結婚は、やはりカネで結ばれたものだったようだ。
だが、この風変わりな結婚生活に野崎氏は早々に見切りをつけたようだ。入籍した翌月の3月にはLINEで野崎氏から早貴被告に対し、
「早貴を中心に世界が回っているのではないことを再確認してください」
「お金をもらうんだから拘束されて仕方ないじゃないか。肌がカサカサだから生活態度を改めよ」
などのメッセージが届いていたことがすでに明らかになっている。田辺市に引っ越してもこない早貴被告に対し、野崎氏が腹を立てていたことが分かる。であるならば、彼女が語った「田辺に一緒に住まない条件だった」という主張はちょっと信じがたい。
こうした点について早貴被告は裁判でこう語った。
被告「金で女を支配し、思い通りにならないと駄々をこねる。子供だなと」
弁護人「謝って許してもらおうという気持ちは」
被告「ないです」
野崎氏からの束縛が嫌なのなら離婚をすればよかった。事実、野崎氏は早貴被告に自分の署名入りの離婚届を突き付けている。彼女はそれを破り捨てたというが、それこそ野崎氏との結婚に執着していた証ではないのか。
■ 本当に覚醒剤が欲しいならいくらでも自分で調達できたはず
野崎氏の死因は急性覚醒剤中毒で、これまでの証人尋問や証拠調べで焦点の一つとなったのは、被告と覚醒剤との接点だった。今年10月1日に証人として出廷した薬物の密売人Yは、18年4月上旬に「覚醒剤入りの封筒を被告に渡し、十数万円を受け取った」と証言。11月7日に証人として出廷したこの密売人の仲間のXは「渡した中身は覚醒剤ではなく、偽物の氷砂糖」と一部を打ち消したものの、被告が密売人に接触を図ったのは認めた。
これについて早貴被告がどのような説明をするのかも注目されたポイントだった。
「社長(野崎さん)が性行為ができなかったので『覚醒剤を買ってきてくれないか』と頼まれ、20万円を受け取った。真に受けずに放置していると催促されたため、密売サイトで注文した。社長に渡すと感謝していたが、渡した翌日に『使い物にならん。偽物や。もうお前には頼まん』と言われました」(早貴被告)
一方でこれまでの証人尋問では野崎さんが経営していた会社の元従業員や、被告の前に野崎さんと婚姻関係にあった女性らが出廷し、いずれも野崎さんに覚醒剤を使用する様子はなかったと断言しており、証言が分かれる形となっている。
このことについてマコやんは、次のように疑問を呈する。
「なぜ社長が早貴さんに覚醒剤を買ってくれと頼まなければいけないのか? まずこれが大きな疑問です。
入籍したての彼女には和歌山や大阪にも知人はいないし、人脈もない。それに対し社長は彼女に頼まなくても長年貸金業をしていたので、ウラの世界の人物も知っています。もしも本当に覚醒剤が欲しいのなら自分で調達できたはずです。
しかし、社長は覚醒剤のことを本当に嫌っていましたから、彼女に調達を頼んだというのはちょっと信じがたい。なにより、バイアグラも使わなくて勃起すると周囲に明かしていましたから、性行為目的で覚醒剤が必要になるとも思えません。
早貴さんは、『買った覚醒剤を社長に渡すと感謝されたが、翌日に『使い物にならんかった。偽物や。もうお前には頼まん』と言われた、と証言していましたが、要は自分が売人と接触したことを否定することは防犯カメラの映像が残っているので不可能ですから、窮余の策として『社長から頼まれた』という話を創作したのではないかと思えてならないのです」
■ 早貴被告から離婚を切り出した?
野崎氏が早貴被告との離婚をどれほど真剣に考えていたかも裁判のポイントとなっている。検察側は冒頭陳述で「完全犯罪で莫大(ばくだい)な遺産を得ようとした」と指摘し、野崎氏から離婚され得る状況だったことが動機の形成につながったとしている。
これに沿うように、野崎氏が経営するアプリコの元従業員たちは「結婚後間もなく社長は被告の態度に不満を示し、『離婚する』と漏らすようになった」と口をそろえている。
ところがこの点について早貴被告の話はまったく主客が反対なのだ。
早貴被告は、こう述べた。2018年5月上旬、田辺市で同居するよう迫る野崎さんに、「一緒に住まない約束を守れないなら、もう結婚生活を続けられません。離婚します」と電話で告げたところ、「帰ってきてください」と野崎氏から頼まれたというのだ。
この証言についてマコやんが言う。
「いやいや、それは違う。18年のゴールデンウィークに北海道に帰省すると言っていた早貴被告がなかなか田辺に帰ってこないので、社長が激怒して『離婚する』と言ったのが本当です。それで彼女はGW最中だった5月3日に慌てて田辺に帰ってきたんです。彼女の話は真逆ですし、そもそも『一緒に住まない』などという条件が無いのですから……」
証人として出廷した前妻Cさんは法廷で「おはよう、おやすみの感覚で『離婚したい』という人だった」として、「話がコロコロ変わるのでコロちゃんと呼んでいた」と振り返っていたことは以前お伝えした。
早貴被告は、これについてもこう話した。
「コロちゃんまんまだなと。それが社長の習性というか、性格なんだなと思いました」「(証人尋問では)従業員が口をそろえて私が社長に冷たかったみたいなことを言っていますが、全然そんなことはありません」
■ 早貴被告の話とは裏腹、周囲の人間は誰も感じていなかった「自殺」の兆候
そして社長の異変にも言及した。5月6日に愛犬イブが死ぬと、「死にたい」と口にするようになったというのだ。
「最初はかまってほしくて言っているんだろうなと思いましたが、泣きながら『死にたい』と言ったこともあり、だんだん本気だなと思い始めました」(早貴被告)
吉田氏が言う。
「まず従業員たちの『早貴被告は野崎社長に対して冷たい』という証言は間違っていないと思います。早貴被告がドン・ファンを気遣うような素振りは、近くにいた者たちも一切見ていません。
また愛犬イブが亡くなった後にドン・ファンが『死にたい』発言をしたとのことですが、ドン・ファンには当時付き合い始めたばかりの女性『ミス・ワールド』と結婚したいと言っていたわけですから、『死にたい』と言うことは考えにくい。6月に行われる予定だったイブを偲ぶ会の成功に向けて張り切っていたのですから、早貴被告の作り話のように思えてなりません」
■ 野崎氏の死の前後、なぜ1階と2階を何度も行き来したのか
野崎氏が死亡した5月24日の動静について、検察側は冒頭陳述で、野崎氏が覚醒剤を摂取したのは午後4時50分~午後8時ごろで、早貴被告のスマホの健康管理アプリにはこの間に8回、野崎さんの遺体が見つかった2階へ上がった記録があったと指摘している。
早貴被告はこう説明した。
「バスローブを探しに2階へ行ったことはある。日常茶飯事なので覚えていないです」
あくまでも「普通の1日」だったとする被告であるが、この晩のことについてはマコやんと吉田氏は何度も彼女や野崎氏の行動について聞いているのであるから「覚えていない」なんていうことはありえないという。
「何度も彼女から事件後に事情を聞いたので、『覚えていない』発言には『え?』と思いました。それにバスローブうんぬんは今回初めて聞きました。
彼女もまさか自分のスマホの健康アプリに移動の記録が残っていたとは思っていなかったのではないでしょうか。無理やり整合性をとるために『覚えていない』『バスローブが』などと発言したのかも知れません」
野崎氏に異変があったときの状況に話を戻そう。午後8時過ぎにお手伝いさんの木下さんが帰宅して以降も、早貴被告は1階でテレビを見るなどしていた。その後の行動については、彼女は「午後10時過ぎに充電器をとりに2階へ上がり、野崎さんの異変に気付いた」と法廷で説明した。
これについてはマコやんが異議を唱える。
「これも初めて聞きました。テレビ番組が終わって寝るために2階にあがったと何度も聞いています。なんで充電器を取りにいかなあかんのかな?」(マコやん)
早貴被告はこうも語った。
「社長がソファーに横たわっていたので1階に降りて家政婦さんを呼んだ。家政婦さんが『救急車を呼んで』というので、1階にスマホを取りに行って、2階に戻って119番した」
感情の抑揚もなく、淡々と当日の様子を振り返った被告。弁護側の質問の途中だが時間の都合もあり、この日は閉廷した。
検察の見立てを否定するような証言を次々と繰り出す早貴被告。その言葉は説得量を持って裁判官や裁判員に響いているのだろうか。
神宮寺 慎之介
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