「最高裁事務総局での生活は苦痛でしかなかった」…アメリカ留学から帰国した「エリート裁判官」を待ち受けていた2年間の”地獄の日々”(2024年11月11日『現代ビジネス』)

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「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。
残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。
裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。
『絶望の裁判所』 連載第6回
『“医師”と“製薬会社”がグルになって不正を…《癒着》が引き起こした恐るべき薬害『クロロキン事件』とは』より続く
日本の最高裁判所事務総局で感じた違和感
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アメリカでの一年間で違和感や寂しさを感じることはほとんどなかった。むしろ、日本に帰ってからの再適応のほうがきつかった。それでも、当初は浜松ののどかな暮らしで、いやなことがなかったわけではないが楽しいことのほうが多かったからよかったが、その後の最高裁判所事務総局民事局局付の2年間は、当時の上司の中に性格的な問題の大きい人物が含まれていたこともあって、少し大げさにいえば地獄の日々だった。
最高裁判所事務総局という組織は、後にも詳しく触れるが、裁判官と裁判所職員に関わる行政、すなわち「司法行政」を行うことを目的とする最高裁判所内部の行政組織であり、大きく、人事局、経理局、総務局、秘書課、広報課、情報政策課の純粋行政系セクション(行政機関の場合の官房系に相当)と、民事局、行政局、刑事局、家庭局の事件系セクションとに分かれている。
民事局は上のとおり事件系のセクションの一つである。各局には、1名の局長、2名以上の課長、そしてその下で働くおおむね数名の局付(多くは判事補)がおり、人事局、経理局の課長の一部を除けば裁判官である。この組織には、数の上からいえば裁判官よりもずっと多くの裁判所書記官・事務官も働いているが、実際に権限をもっているのは前記の裁判官だけであるといってよい。
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。
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元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
民事局での緊迫した「空気」
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本書全体の記述の前提知識として、最高裁判所の機構についてここで示しておく。
局付生活に苦痛を感じていたのは私だけではない。現在は東京等の大高裁裁判長、地家裁所長、あるいは大地裁の裁判長となっている当時の局付たちは、ほとんどが、息をひそめて、事務総局から出られる日を指折り数えながら待っていたものである。
数少ないすぐれた中国映画の一つである『鬼が来た!』(チアン・ウェン監督、2000年)に、村人たちと歓談している日本兵たちが、その場の「空気」の流れに従って自然発生的に虐殺を始めるシーンがある。非常によくできているそのシーンは、本当に恐ろしい。現在の日本人の間にも、そういう「空気」の支配に流されやすい性格は相変わらず残っているからだ。
私が民事局にいたころ、司法行政を通じて裁判官支配、統制を徹底したといわれる矢口洪一最高裁判所長官体制下の事務総局には、もしもそこが戦場であったなら先のようなことが起こりかねないような一触即発の空気が、常に漂っていた。
『ある裁判官のゲスすぎる提案に絶句「週刊誌にリークすればいい」…日本の裁判所で日夜行われる仁義なき「出世のための戦い」を大暴露』へ続く
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)

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現代日本人の法意識 (講談社現代新書) 新書 – 2024/11/21
瀬木 比呂志 (著)
 
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年
元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴く!
本書は、書名から明らかなとおり、日本人に根付いている「日本人特有の法意識」をテーマとする。私は、裁判官として三十三年間に約一万件の民事訴訟事件を手がけるとともに、研究・執筆をも行い、さらに、純粋な学者に転身してからの約十三年間で、以上の経験、研究等に基づいた考察を深めてきた。この書物では、そうした経験をもつ者としての、理論と実務を踏まえた視点から、過去に行われてきた研究をも一つの参考にしつつ、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析を行ってみたいと考える。
法学者・元裁判官である私が、法律のプロフェッショナルですら満足に答えられないような曖昧模糊とした「法意識」に焦点を合わせた一般向けの書物を執筆したのは、日本固有の法意識、日本人の法意識こそ、私たち日本人を悩ませる種々の法的な問題を引き起こす元凶の一つにほかならないと考えるからだ。
そればかりではない。意識されないまま日本人の心理にべったりと張り付いた日本的法意識は、日本の政治・経済等各種のシステムを長期にわたってむしばんでいる停滞と膠着にも、深く関与している可能性がある。その意味では、本書は、「法意識」という側面から、日本社会の問題、ことに「その前近代的な部分やムラ社会的な部分がはらむ問題」を照らし出す試みでもある。
この書物で、私は、日本人の法意識について、それを論じることの意味とその歴史から始まり、共同親権同性婚等の問題を含めての婚姻や離婚に関する法意識、死刑や冤罪の問題を含めての犯罪や刑罰に関する法意識、権利や契約に関する法意識、司法・裁判・裁判官に関する法意識、制度と政治に関する法意識、以上の基盤にある精神的風土といった広範で包括的な観点から、分析や考察を行う。
それは、私たち日本人の無意識下にある「法意識」に光を当てることによって、普段は意識することのない、日本と日本人に関する種々の根深い問題の存在、またその解決の端緒が見えてくると考えるからである。また、そのような探究から導き出される解答は、停滞と混迷が長く続いているにもかかわらずその打開策が見出せないでもがき苦しんでいる現代日本社会についての、一つの処方箋ともなりうると考えるからである。