大敗「公明党」が直面する“危機”の正体…学会員の高齢化だけではない「庶民の党」を揺るがす深刻な課題とは(2024年11月7日『デイリー新潮』)

「私なりに頑張ったつもり」
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衆院選で落選し、代表辞任を表明した石井啓一
 総選挙で落選した公明党代表石井啓一氏(66)の辞任が決まった。仮に当選していても8議席減という大敗の責任は問われたはずで、ここにきて党の「トップ人材の払底」という深刻な危機に再び直面している。支持母体である「創価学会員の高齢化」と同時に進行してきたこの課題は、公明党の弱体化を早めつつある。【広野真嗣/ノンフィクション作家】
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「石井さんに逃げるような姿を晒されてしまうと、彼を押し上げようと汗をかいた現場もなんか悪かったのかってことになるじゃない。ちょっとは考えてほしかった」
 そんな苦言を呈したのは、この選挙期間中、県外から埼玉14区に応援に入っていた創価学会のある地域幹部の1人だ。
 矛先を向けた「逃げるような姿」とは、敗色が濃厚になった10月27日夜、石井氏が報道陣からの質問に答えず車に乗り込んだ姿を指している。
 確かに、石井氏の目線に立って約1万票という得票差を見ると、自民党の裏金問題の“もらい事故”がなければ結果は違ったかもしれない。そうした意識の裏返しだろうか、開票センターでは石井氏が「私なりに頑張ったつもりだ」と述べる場面もあり、総じて「私は悪くない」という悔しさが色濃くにじむ。本人には受け止めがたい挫折に違いない。だが、学会員には別のメッセージとして伝わったのだ。
 建設官僚出身で、党幹部まで順調に駆け上がった石井氏だが、党代表に有力視されながら選挙直前の今年9月までなかなか実現しなかったのは、この“堅物ぶり”がトップの資質として懸念されたからと囁かれる。自民党立憲民主党に合わせて公明党もトップ交代に踏み出したものの、心配は、最悪のかたちで的中したともいえる。と同時に、一体感を強みとしてきた学会・公明党の指導部が、現場との間に生じる「意識のギャップ」を修復し、牽引していく新しいトップ人材を探しあぐねている構図が浮かんでくる。
およそ20年で「300万票」を減らす
 公明党の比例票は今回、596万票まで落ちた。ピーク時(05年)には898万票という集票力を誇ったが、20年近くをかけて約300万票も減らす長期低落傾向である。
 原因としてしばしば、「学会員の高齢化」が指摘されるが、同時に、「リーダー人材の払底」が組織離れを加速させている可能性もある。
 このメカニズムを考えるにあたって、公明党議員の人材によくある2つのパターンを頭に入れておく必要がある。
 1つは学会の学生部長や青年部長など、信仰活動を担う全国組織のトップを任されてきた活動家の系譜。もう1つは弁護士や官僚上がりなど、まばゆいばかりのエリートコースを歩んだ者の系譜だ。
 前者の軸になるのは学会の出世コースである男子部長、青年部長の経験者だ。06年から09年に党代表を務めた太田昭宏氏(79)は京大大学院修了後に公明新聞記者など経て議員になるが、それまでの間、宗教組織の上では、男子部長、青年部長を経験している。太田青年部長時代の部下だった井上義久氏(元副代表)もこの系譜に属する。党所属の議員ではないが、自民党菅義偉元首相と気脈を通じ、自公のパイプ役として学会サイドで選挙を仕切ってきた副会長の佐藤浩氏は、やはり青年部長などの経歴を歩んだ人物だ。
 太田氏が青年部長に就いた1982年当時のことを70代の学会員が振り返る。
「あの年、所沢の西武球場を借り切って、『世界平和文化祭』という学会のイベントを一緒に作り上げたんです。だから太田は飲み食いを共にし、一緒に汗をかいた同志だよ。彼が党代表になった時(06年~09年)、『あいつのために』と選挙を頑張った同年代の人間もたくさんいたよ」
 50代の都内の地域幹部も「今の学会幹部と違って佐藤さんは僕らと酒を飲むし、集会でマイクを持てば涙を流して語る。彼が部長時代の青年部は活発でしたよ」と回顧した。こうした背景があってこそ、選挙を通じて多くの学会員を動かすことができたと考えた方がよい。
議員辞職した「プリンス」
 熱っぽい宗教行事に青春の汗を流した同志たちと精神的に結びつく党のリーダーの系譜は、太田氏と、井上氏が21年に引退したところで概ね途絶えたように見える。
 若手では、創価大学出身で、前出の佐藤氏が後支えした遠山清彦氏(元財務副大臣)が「プリンス」と有望視されたが、コロナ禍下の銀座高級クラブ通いが発覚して21年に議員辞職している(その後、副大臣在任中の貸金業法違反で有罪が確定)。
 後者のエリートのパターンは、現在の公明党初代代表の神崎武法氏(81)が東大法学部卒で検察官を経て議員に転じたほか、前代表の山口那津男氏(72)が東大法・弁護士出身。その次の世代では前述の石井氏のほか、石井氏と初当選同期(93年)の赤羽一嘉氏(元国交相)が慶應大学から三井物産、斉藤鉄夫氏(国交相)が東工大大学院から清水建設というキャリアを経て議員になった。
 さらに若手では、党憲法調査会事務局長の國重徹氏(49)は元弁護士、前厚労副大臣伊佐進一氏(49)は文科省の官僚からの転身組という俊英だが、2人とも今回の衆院選で黒星を喫している。
 このパターンでは、信仰を持つ家庭に育ちつつも、指導部から白羽の矢を立てられるまで、生々しい信仰体験や泥臭い活動を通じて学会の現場の人々との間で仲間意識を醸成する機会に恵まれてはいないことが多い。しかも、今後登場するリーダーの多くが、この系譜を継いでいくと考えることもできる。
山口前代表の存在感
 創価学会公明党は、戦後都市に流入した貧しい世帯の孤独や不安を吸収するかたちで活力を膨らませたが、信者のボリュームゾーンは80代から90代の年齢に差し掛かり、鬼籍に入りつつある。これに対して、神輿に乗る側の党幹部は信仰との関係が薄いエリートばかりという奇妙な関係は今後も続くのである。しかも、信仰上のカリスマである池田大作名誉会長の死去で活動の原動力となる“熱源”を失っている中で、創価学会公明党指導部にとって人材の払底は深刻な危機である。
 党指導部がこうした現場との「スキマ風」をかわすことができていたのは、15年にわたって代表を務めた山口氏の存在感が大きい。その影響力は未だ衰えず、今回の衆院選でも、山口氏が応援演説に登場すると「なっちゃーん」と声がかかった。宗教活動の体験を共有していなくても人気なのは「弁護士試験に2回落ちて、議員も2回落ちた、とさらりと口にする飾らない人柄」(70代女性学会員)によるところが大きい。石井氏の落選後、再登板説が浮上するのも、代え難いそのキャラクターゆえだろう。
 11月9日に行われる臨時党大会では、斉藤氏が選任される公算と報じられている。その次に控えるのは、米ケロッグ経営大学院修了後、ゴールドマンサックス証券勤務を経て議員となった岡本三成政調会長だ。
 エリート臭が匂う党幹部のふるまいが再び現場に冷や水を浴びせるようなことが続けば、党勢の減退は、さらに加速するのではないか。
広野真嗣 ひろの・しんじ
1975年、東京都生まれ。慶応義塾大法学部卒。神戸新聞記者を経て、猪瀬直樹事務所のスタッフとなり、2015年10月よりフリーに。17年に『消された信仰』(小学館)で第24回小学館ノンフィクション大賞受賞。
 
デイリー新潮編集部
 
 
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消された信仰 「最後のかくれキリシタン」--長崎・生月島の人々 (小学館文庫 ひ 18-1) 文庫 – 2021/5/7
広野 真嗣 (著)
 
世界遺産から黙殺された島の「祈りの記録」
250年以上も続いたキリスト教弾圧のなかで信仰を守り続けた「かくれキリシタン」たち。その歴史に光を当てようとしたのが、2018年に日本で22番目の世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」だ。
ところが、PRのために長崎県が作ったパンフレットからは、「最後のかくれキリシタンが暮らす島」の存在がこっそり消されていた。
その島の名は「生月島(いきつきしま)」。
今も島に残る信仰の姿は、独特だ。音だけを頼りに伝承されてきた「オラショ」という祈り、西洋画と全く違う筆致の「ちょんまげ姿のヨハネ」の聖画……取材を進める中で、著者はこの信仰がカトリックの主流派からタブー視されてきたことを知る。一体、なぜ――。
文庫版解説・島田裕巳氏(宗教学者)
【編集担当からのおすすめ情報】
かくれキリシタン」を描いた作品では、作家・遠藤周作氏の小説『沈黙』があまりに有名です。
“弱き転び者”に寄り添う作品を世に送り出した遠藤氏は、生月島で信仰を守り続ける人たちをどう見ていたのか。この点についても、著者は意外な事実を明らかにしていきます