「原爆被害者の墓」に被団協のノーベル平和賞受賞を報告 「受賞がもっと早ければ…」複雑な思いを胸に(2024年11月5日『東京新聞』)

 
 身寄りのない被爆者らの遺骨を埋葬する「原爆被害者の墓」(東京都八王子市)で先月27日、追悼集会「偲(しの)ぶつどい」が開かれた。今年は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞に選ばれた節目の年。参加者からは「受賞がもっと早ければ…。でも良かった」と複雑な思いが聞かれた。高齢化が進む中、集会も原爆投下80年となる来年で最後となる見通しだ。(山田祐一郎)

◆石碑に「われら 生命もて ここに証す 原爆許すまじ」の文字

 東京霊園の一角にある「原爆被害者の墓」は、長崎で被爆し、東京の被爆者団体「東友会」の副会長を務めた山本英典さん(2021年に88歳で死去)が2005年11月に建てた。墓石の脇には、被団協代表委員で東友会会長だった伊東壮さん(故人)が起草した「われら 生命もて ここに証す 原爆許すまじ」の文字が刻まれた石碑が立つ。
亡くなった被爆者らの名前が刻まれている「原爆被害者の墓」=東京都八王子市で

亡くなった被爆者らの名前が刻まれている「原爆被害者の墓」=東京都八王子市で

 10月27日の「偲ぶつどい」では、原爆被害者の墓保存会の代表で、東友会で相談員を務める村田未知子さん(73)が、新たにこの墓に3人の名前を刻んだことを報告し、孤独死した女性や被爆2世の男性らのエピソードを紹介した。墓石の後ろの銘板に名を刻まれているのは現在およそ60人。分骨されたり、遺髪が納められたりしているほか、名前だけの人もいる。
 同月11日に被爆者の立場から核兵器廃絶を訴え続けてきた被団協にノーベル平和賞が贈られることが決まった。墓碑銘に刻まれているのは、原爆症認定訴訟で原告団長を務めた山本さんや、広島で被爆して被団協代表委員や東友会会長を務め、被爆の実相普及活動に尽力した藤平典(とうへいのり)さん(故人)らこれまで活動を支えてきた人々だ。

◆一緒に喜べず「残念、でも感謝したい」

 被団協代表理事で東友会代表理事の家島昌志さん(82)が墓に眠る被爆者らに向けて受賞決定を報告した。「これまで何度か受賞のうわさが流れ、期待があった時期はあったが、われわれに対する可能性はなくなったと思っていた。今回、選ばれたのは先輩方による長年の証言、核兵器廃絶を求める努力が評価されたためだ。皆さんとともにこの報を受け取れなかったのは誠に残念だが、われわれが生きている間にこういう機会を与えられたことに感謝したい」
「原爆被害者の墓」の前で日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞決定を報告する家島昌志さん=東京都八王子市で

「原爆被害者の墓」の前で日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞決定を報告する家島昌志さん=東京都八王子市で

 この日は、被爆者や関係者約20人が参加し、墓前に花を手向けた。保存会が毎年10月末に集会を開いており、多いときは50人近くいたが、近年は高齢化によって参加者が減少している。村田さんは「新型コロナの後、皆さん参加が大変になっている。被爆80年の来年でこのつどいを最後にして、その後はみなさんが個人でそれぞれお参りしていくようにしたらどうか」と呼びかけた。
 参加した木村一茂さん(80)=青梅市=は「2017年にICAN核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞しており、今回はびっくりした。いま世界で核兵器使用の危険が迫っている中、被爆者の核兵器禁止を求める声が求められているのだろう」と話す。
 自身は、1歳9カ月のときに広島で被爆。当時の記憶は全くないが、両親から当時の様子を伝えられてきた。被爆の実相を後世に伝えることの重要性をこうかみしめる。
 「いままで続けてきたからこそ今回、努力が実を結んだ。世界の意識が少しでも被爆者に向いたときに伝えていく必要がある」