24年秋の園遊会に臨んだ高円宮妃久子さまは、務める名誉総裁職と公務の数が多く、忙しい皇族のひとり。園遊会で久子さまは常に、奥や隅に立つ招待者にも声をかけたり、手をふってあいさつをする=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA
10月30日、天皇、皇后両陛下主催の秋の園遊会が赤坂御苑で開かれた。ひとりひとりとの会話を大切にするおふたりの懇談は、いつの間にか笑いに包まれる。太陽のようなあたたかさが、令和のおふたりの魅力だ。一方で、もちまえの社交性とホスピタリティを発揮したのが、高円宮妃久子さまと長女の承子さまだ。園遊会では、宮妃と女王の絶妙な機転とフォローに感激した参加者も少なくなかったようだ。
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「わたし子どものころスケートボード滑るだけは滑ったことある」
皇后雅子さまが、スケボー金メダリストの堀米雄斗選手らに明かしたエピソードが話題になった。
びっくりしたのは、堀米選手らだ。
「えー、そうなんですね」
雅子さまはさらに続けて、
「子どものころ、家の前が坂になっていて、スケートボードは、そこでこういう感じで滑っていただけなんですけど何回か楽しくてやっていました」
そう説明すると、今度はスケボー女子金メダリストの吉沢恋(ここ)選手が、
「じゃあ、一緒に滑れますね!」
と、楽しそうな提案をする。
■「でもパークとはストリートはとても…」、と雅子さま
ここで終わらないのが、雅子さまの魅力で、
「でもパークとかストリートはとても」
と、応じたものだから、その場はあたたかな笑いに包まれた。
令和に入ってから園遊会は、3回開かれた。陛下と雅子さまは、ひとりひとりに丁寧なお声がけをするため、そのたびに会話は弾み、話題にこと欠かない。一方で、招待者との話が盛り上がると、切り上げるタイミングが難しい。
この日、予定していた懇談時間は、午後1時50分から、2時10分まで。1900名を超える招待者のうち懇談できる時間は限られる。それでも、両陛下による招待客へのお声がけが終わり退席したのは、2時50分前。
「皇族方は、申し訳なさそうに招待者に視線を送りながらも短い会釈やひと言、ふた言交わして、急ぎ足で進んで行かれる。予定の退出時間はとうに過ぎており、皇族方のご様子もややせわし気でした」(報道関係者)
そうしたなかで会場の注目を集めていたのが、高円宮妃の久子さまと長女の承子さまだ。
おふたりの並び順は、皇族方の最後尾。懇談も最後になるため、メダリストらとの懇談時間がほとんどないままに、会場の退出時刻が迫っていたようだ。
「毎度、恒例の……」
久子さまは、ほほ笑みつつ招待者らへこう声をかけながら、歩を進める。そのとき、招待者の列の後方に、フェンシングの選手らの姿を見つけた久子さまは、すこし離れた場所でメダリストらと会話を始めようとしていた、承子さまへ声をかけた。
■「承子さん、承子!」と久子さま
「お話の途中に失礼。承子さん、承子!」
気づいた承子さまが、久子さまの方へふり向く。
「こちらにフェンシングの皆さんがいますよ」
久子さまの夫、故・高円宮さまは「スポーツの宮さま」と呼ばれ、サッカーをはじめ、さまざまなスポーツの振興に尽力した皇族。その遺志を継ぎ、久子さまは、サッカーやハンドボール、バドミントン、フェンシングなど10を超える競技団体の名誉総裁を務めている。
承子さまに呼びかけたものの、退出時刻は、とうに過ぎている。
「母がお世話になっています!」
承子さまは、フェンシングの選手らに向かって大きな声であいさつをすると、ぺこりと頭を下げた。
残されたギリギリの時間まで、招待客に礼をつくそうとするおふたりを、周囲のひとたちは、にこやかに見つめていた。
園遊会の会場にいた招待客のひとりは、こう話す。
「園遊会の招待者には高齢の人間も多く、地方から泊りがけで出席したひとたちも少なくありません。高円宮家のおふたりは、話す時間はないがあいさつだけでも、と最後の最後まで気を配ってくださった。そのお気持ちは、会場にいた人たちに伝わっています」
久子さまといえば、流暢な仏語と英語で東京の魅力を発信し、東京への五輪招致を強力に後押しし、その確かな語学力が絶賛された。
英国の高校を経て、ケンブリッジ大学ガートン・コレッジを卒業。英語の著書を出す一方で、伝統工芸品の「 根付 ( ねつけ ) 」の収集家であり、野鳥観察にも造詣が深く、「とにかく多才で、国内外問わず評価が抜群に高い方」(元大使経験者)
最後の瞬間まで、気を配る姿に、「さすがは久子さま」、といった会話も聞こえてきたという。おふたりが、赤坂御苑の会場を退出したのは、午後3時20分だった。
(AERAdot.編集部)
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