通算10年の「ひきこもり」生活を脱出…「経験を伝えたい」 能登半島地震後に居場所を見つけられるまで(2024年11月3日『東京新聞』)

 
 ひきこもり生活を通算10年送ってきた、石川県珠洲(すず)市の石尾大輔さん(44)は、能登半島地震で避難所に行くことができなかった。しかし、きつい車中泊を経て同県加賀市に広域避難したことが、ひきこもりから脱するきっかけに。6畳1間の自室を出て、「少しでも生きやすい社会を構築する力になれれば」と自らの体験を伝えている。(高橋雪花、写真も)

◆避難所は「恐怖」の根源…行く選択肢はなかった

 崩れ落ちてきた自宅から逃げ出した石尾さんに、避難所へ行く選択肢はなかったという。それは、避難所となっていた小中学校に苦い思い出があったからだ。
 小学生の頃は病弱で痩せており、周囲に「ガリ」とからかわれ、暴言を浴びた。中学では不眠に悩まされ、周囲からも孤立。テレビから自分の悪口が聞こえる気がして、統合失調症の診断を受けた。高校入学後すぐ不登校になった。
 2度の大学進学などを除いて自宅にひきこもり「外に出るのが怖かった」と振り返る。先の見えない将来に恐怖と焦りを抱えながら、倦怠(けんたい)感からほとんど横になって毎日を過ごした。
 35歳ごろ、地元の支援者と出会い、ひきこもり体験を広く伝える活動をするように。こわごわと、少しずつ外出できるようになってきたところに地震が来た。
 「避難所は人生がだめになった場所。過去の僕を知っている人間にも会いたくない」

◆「世の中そんなに悪いとこじゃない」と思えるようになった理由

 乗用車に家族4人で泊まり込んだ。横になれず、眠れない。電気が止まっていて暗い周辺を歩いていた際に排水溝に落ち左足に大けがをした。心身共に限界だった。
シェアハウスの自室で心境を語る石尾大輔さん=石川県加賀市で

シェアハウスの自室で心境を語る石尾大輔さん=石川県加賀市

 潮目が変わったのは1月8日。ひきこもり当事者らを支援する「KHJいしかわ『いまここ親の会』」(加賀市)代表で、知人の林昌則さん(61)に、電話で安否を気遣われた。左足のけがによる入院を経て、4月に林さんが運営する当事者らのシェアハウスへ。当事者仲間と家事や雑事の代行業をしつつ、県内外で被災経験を語り伝える。
 「人間はひどいことをするけど、助けてくれるのも人間。自分が必要とされる環境で、僕自身がここにいていいと思えた」と話す。外の世界で見つけた自分の居場所。
 「こもってたときに思ってたより、世の中そんなに悪いとこじゃない。ひきこもっている人たちに伝わったらいいな。それで僕も救われる」
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◆専門家「避難所のプライバシー確保を」

 ひきこもりの人にとって、災害時の避難は心理的負担が大きい。2011年の東日本大震災では、岩手県陸前高田市の自宅にいた男性=当時(28)=が、避難を拒み津波で亡くなるケースもあった。
 ひきこもりに詳しい宮崎大の境泉洋(もとひろ)教授(臨床心理学)は「避難自体を諦めたり、避難所での集団生活になじめず孤立したりすることがある」と話す。
 周囲の配慮として、ひきこもりの人を問題視しないことに加え「避難所でのプライバシー確保が重要だ」と指摘。個別に過ごせるスペース、過密にならない空間など「誰しもが安心して過ごせる環境づくりを」と提言する。自治体や支援団体が、平時から家族を通じて避難経路や避難先について情報提供しておくことも有効とした。