元共同通信記者の小西一禎さん(52)は40代半ばで妻の海外赴任に合わせ、会社を休職した。政治部記者として、政治の中枢を忙しく取材する日常は一変し、異国の文化に戸惑いながら妻の稼ぎで生活する毎日が始まった。そんな「駐在員の夫」としての経験が、小西さんに価値観の変化を迫ったという。
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「最初はつらい日々」
平成29年の12月、製薬会社勤務の妻の赴任先に同行する形で渡米しました。「配偶者海外赴任同行休職制度」という会社の制度を使いましたが、男性では利用者第1号でした。政治記者を十何年とやってきた自分にとって、その立場を捨て去るのはとても不安でした。
北東部のニュージャージー州で生活を始めましたが、最初はつらい日々でした。記者時代は子供が寝ているときに帰ってきて、起きる前には出社していた。それなのにスーツを着る必要はなくなるし、永田町にも行かない。食事を作って、子供たちに食べさせて、学校や習い事の送り迎えをして…。言葉の壁や日米のサービスレベルの違いにも戸惑いました。
〝駐夫〟グループを立ち上げ
海外生活を楽しもうにも、日本の政治の動きがやっぱり気になる。メールを毎日チェックしてしまう。同僚の取材メモを見たりするんですが、「そこに自分はいないんだ」と思って。寂しさや葛藤、後悔などいろいろな感情がごった煮になっていました。
日々の買い物や自分が欲しいものも、妻の稼いだお金で買うことになる。生き方を妻に依存しているわけです。するとお金を使いすぎることが申し訳なくなる。ただ、妻にそういう思いをなかなか言えませんでした。
世界中に私のような人がいて、おのおの悩みを抱えているに違いないと思い、渡米した翌年の秋に駐在員の夫、〝駐夫(ちゅうおっと)〟のグループを立ち上げました。仲間がいることを知るだけで励みになりますし、本音を語り合うことで精神的な孤独を回避できるんじゃないか、と。4人で始めたグループですが、今は180人を超えました。
男だからと一人で背負わず
永田町や霞が関のあの1キロ四方は、マッチョじゃないと生きていけない。「男性のような働き方、考え方」をしないと勝ち抜いていけない世界だと思っていた。私もそんな男性優位社会に十分に漬かっていて、「時短勤務の女性は使いにくい」などと考えていました。「日本の中心で国の行く末を扱っているんだ」という自負があって、それを家庭の中でも出していた。
〝駐夫〟を経験して、当時の自分を相対化できるようになりました。極めて狭い価値観の中で生きていたんだなと。まったくおかしいし、ゆがんでいました。妻にも子供にも当然キャリアがあるわけです。男だからと一人で背負わず、家族みんなで団体戦でキャリアを考えればいいんですよ。
(聞き手 山本玲)
小西一禎
こにし・かずよし 昭和47年生まれ。埼玉県出身。ジャーナリスト。共同通信社入社後、政治部で首相官邸や外務省などを担当した。妻の米国赴任に伴い、会社の休職制度を活用し渡米。在米中に退社した。法大大学院で修士(政策学)を取得。「世界に広がる駐夫・主夫友の会」代表。