◆「立て続けに調査を受けたことは大変遺憾」
「市場を監督する立場の金融庁と東証の職員が立て続けに証券取引等監視委員会(監視委)の調査を受けたことは大変遺憾」。青木一彦官房副長官は10月23日の記者会見で、日本の金融市場の信頼に関わるインサイダー疑惑が相次いだ状況への受け止めを語った。
金融庁や証券取引等監視委員会が入るビル=東京・霞ケ関で
金融庁で監視委の強制調査の対象となったのは、出向中の30代の男性裁判官。株式公開買い付け(TOB)を予定する企業から提出される書類の審査などを担当し、職務で知った企業情報を基に自己名義で株の取引を繰り返し、利益を得ていた疑いが発覚した。
金融商品取引法(金商法)は、TOBや企業の合併・買収(M&A)といった上場企業の「重要事実」を公表前に入手し、その情報で株を売買するインサイダー取引を禁じている。第三者に利益を得させる目的で重要事実を伝える「情報伝達」、株取引を勧める「取引推奨」もご法度だ。
東証では、上場企業が公表する「適時開示」を担当する部署の若手の男性社員が強制調査を受けた。複数の未公表情報を親族に漏らした疑いが持たれており、親族はその情報を基に株取引をし、利益を得たという。東証を傘下に持つ日本取引所グループ(JPX)の山道裕己最高経営責任者は10月29日、「迷惑、心配をかけていることをおわび申し上げる」と謝罪した。
◆「あなた方こそ大丈夫か」と言いたくなる
「『何やってるんだ』ってあきれますよね」と昼食を買いに出ていた証券会社の男性社員(27)は首をひねる。「入社直後の研修で情報の扱いは口酸っぱく注意されたし、日ごろから気を付けている。万が一、当局から指摘を受けても『あなた方こそ大丈夫ですか』って感情を持ってしまう」と口をとがらせた。
別の証券会社の男性社員(44)も「本当ならば信じられない行為で、悪質性が極めて高い。不祥事が起きた際に証券会社に求めるように、再発防止策を発表し、その実施状況も明らかにしなければならない」と今後に言及し、「徹底しなければ僕らに示しがつかない」と語気を強めた。
◆「警察官が泥棒をするような裏切り」
JPXの職員10人以上にも声を掛けた。だが記者が「インサイダー」と口にすると、皆そろって「『答えるな』って言われているので」「それについては応じられない」と首を横に振るばかりだった。
国が「資産運用立国」を掲げ、新しい少額投資非課税制度(新NISA)が今年1月に始まるなど「貯蓄から投資へ」と呼びかける動きに水を差しかねない今回の疑惑。淑徳大の金子勝客員教授(財政学)は「警察官が泥棒をするような裏切りで、株式市場の信頼を大きく損ねた。投資にネガティブな人の不信感は増幅しただろう」とし、「倫理観が欠如している。しっかりと検証し、厳正な処分が必要だ」と話した。
◆後を絶たない不正
違反すると5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金、または両方を科せられる可能性があるインサイダー取引だが、不正は後を絶たない。
監視委の資料によると、不公正取引の疑いで審査したケースは2023年度は1183件で、このうちインサイダー取引に関するものが1147件を占めた。行政罰である課徴金納付命令は、2019年度の24件から2020〜22年度は数件で推移していたが、2023年度は13件となった。
刑事事件となることもある。2012年には職務で得た未公表情報を基に妻名義で株取引をした経済産業省の元審議官や、TOB情報を知人に伝えたSMBC日興証券(旧日興コーディアル証券)の元執行役員が金商法違反容疑で逮捕され、いずれも有罪が確定した。
◆バレていないと勘違いして深入り
なぜインサイダー取引に手を染めるのか。「違法行為があっても監視委はすぐに反応するわけではない。最初は、細心の注意を払っていても、バレていないと勘違いして取引を繰り返したり、取引金額が大きくなったりしてずさんになっていくことがある」。こう説くのは、監視委で調査を担当した経験がある公認会計士の野村宜弘氏だ。「刑事事件として検察に告発するためには多くの時間とコストが必要。摘発されるのは氷山の一角」とも話す。
不正はTOB情報を悪用するケースが目立つ。監視委での勤務経験がある石井輝久弁護士は「業績修正や増資は確実に株価が上がるわけではないが、TOBは株価の上昇が高い確度で見込めるため、インサイダー取引が依然多い」と話す。
◆TOB直前の買い付けはチェックされている
監視委はどのように調べていくのか。「TOB公表前後の『タイミングの良い』取引を抽出し、証券会社に照会して取引者を明らかにする。普段と比べて金額などが不自然でないか、内部者とのつながりなどを時間をかけて詳しく調べる」と白井氏。石井氏も「監視委も警戒して(TOBの)公表直前の買い付けなどについてチェックしている」と話す。
◆「コロナ禍を経て緩みがあったのでは」
そんな中での今回の不正疑惑に、白井氏は「金融庁や東証の事案は悪質だが稚拙という印象だ。いまは若者にとって株取引が当たり前になりつつあり、罪悪感がないのかもしれない。だがインサイダー取引が横行する市場は信用されないということが大前提であり、基本的な職業倫理だと理解するべきだ」と強調する。
石井氏は「この数年、コロナ禍で調査が難しいこともあって処分件数が減り、株式報酬拡大や投資促進のため金融庁もインサイダー取引については動きが穏やかに見えた。全体として緩みがあったのではないか」との見方を示す。
今回の事案は、いわば「制度を支え取り締まる側」の悪事。青山学院大の八田進二名誉教授(会計学)は「金融庁も東証も日本の金融市場の信用を支えている組織。制度上、ルールを作り、守らせる側の違法行為は想定していない事態だ。国を挙げて投資を呼びかけて市場の活性化を訴える中、水を差すことになる」とし、こう続ける。「厳しい規則や法律を作るだけでは防ぐことはできない。不正をする動機やプレッシャーをつくらない環境づくりが重要。そのための教育や訓練が求められている」
◆デスクメモ
かつて、金融機関に強引な検査をした金融庁の検査官を「猿にマシンガンを持たせて野に放ってるようなもんだな」と酷評した同庁幹部の名物コラムに業界が喝采を送った。監督側は強い権限を持っている。故に自らを律しなくてはいけない。インサイダー取引などもってのほかだ。(岸)