◆「dadada」歴史の闇が語りかける
小説の舞台は終戦の2年後。自称探偵の石目(いしめ)鋭二は、戦争中フィリピンのタクロバンの収容所で知り合った神島(かみしま)少尉と郷里の山形で再会する。
神島姓を名乗る健作にとって実の兄にあたる棟巍(とうぎ)正孝夫妻が殺害された。その家には正孝の母・波乃と、長男・孝秋の妻である倫子(みちこ)も暮らしていたが、二人は湯治に行っていて不在だった。家にいたはずなのは夫妻と、両親を訪ねていた三男・和春のみ。しかし和春は事件の直後、逐電する。さらに奇妙なことには、孝秋が所在不明で葬式にも現れない。事件当日は近くの温泉にいた倫子も家には戻らず東京へ行ったまま、夫に同行しているのかも、居所もわからない。
神島がもう一つ気になるのは、事件当日、偶然見かけた男、千藤だ。フィリピン戦線でいっしょだった残虐な人物で、倫子と同じ列車で東京へ向かったらしい。石目は神島から千藤の身辺調査を依頼される。
千藤が所属する関東共栄会という暴力団、倫子が出入りしているGHQ管轄の高級クラブ、娼館を経営するターバンの女、皇祖神霊教なる新興宗教団体、棟巍正孝の金庫から盗まれた「K文書」。1100ページほどの長大な物語は次から次へと謎を繰りだし、新しい人物を巻き込んで怒涛のように進んでいく。
ちなみに「石目鋭二」は『神器 軍艦「橿原」殺人事件』の語り手でもある。「K文書」や宗教団体などとからむ「第一の書物」「第二の書物」が示す平行宇宙と歴史改変は『グランド・ミステリー』で扱われた題材だ。
「光る猫」や終わったはずの戦争をずっと続けている兵士たちなど、過去作のモチーフや人物がたくさん出て来るが、もちろん、それらを読んでいなくても、石目の軽快な語りと神島の錯乱したような独白文体の使い分け、探偵小説やSFや純文学などのジャンルを縦に横に自在に往還する手法等、読者は奥泉節とも呼びたくなるような重層的な小説世界に浸りこみ、圧倒され、一気に読了することになる。
本書でどうしても目を引くのは、文字通りリズムを刻むように連打される「da」だろう。
「dadadadadadadada」というアルファベットの連続が、本文から行間、ページの余白にもはみだし、装丁を覆っている。「da」。ドイツ語で「そこ」という意味だ。ちなみにその語をネット辞書で引いてみると、空間的な「そこ(に)」だけではなく時間的な「そのとき」という意味もあり、文脈によっては「ここ(に)」の意味を持ち、「そういうわけで」と理由や状況が示されることもあるらしい。
それは死者たちの声で、地鳴りのように響いてくる。無数の「そこ/そのとき」から、さまざまな理由で叫ばれているのだろう。でも、空間と時間に限定はある。はっきりと、それらは、1945年に日本の敗戦で終結をみた、アジア・太平洋戦争の時空間であり、そこにとらわれた思念が浮遊するその後の世界だ。
小説の中から「da」の発話者を拾おうとすれば、こんな文章になるのかもしれない。戦争体験を語るイベントでほとんど語らない男を前に、神島が脳内で独白する。「体験を言葉にすることのない、できない、ぶあつく層をなす人々」がいると。「かたられることのないかれらの体験は痕跡を残すことなく、記憶されることもなく、歴史の闇に消えていくしかない」のだと。小説だって、むろんその無数の記憶を拾い上げることなどできない。それでも、それらがたしかに存在することを、読者に想起させる。
戦後は、もうすぐ80年になり、体験者の多くが鬼籍に入った。いまや、兵士として戦争に行って今も存命という人はほとんどいない世の中になっている。こうなると、戦争のリアリティというものがおぼろげで不確かなものになり、パターン化したシングルストーリー(繰り返し語られることによってそれだけが唯一の真実であるかのように思わされる物語)に回収されていってしまう。
そんな中で本書は、いくつもの語り、いくつもの仕掛けを駆使して、忘却とパターン化に抗っていると言えるかもしれない。あの戦争とはなんだったのか、そして戦後とはなんなのか。「新しい戦前」などという言葉を便利に使って、みんなで忘れ去ろうとしている戦後とはなんなのか。
まっすぐ一つの答えが返るはずもないそれらの問いに対して、疾走する鼠の群れ、半ば枯れ腐れていながら死ねずにいる永遠に死にかけの義経桜、箱庭の木偶人形といったイメージを投入し、民主主義や天皇制に対して投げかけられた戦後の論争を再現し、ドジな探偵のスラップスティック・コメディに、大岡昇平を思わせる戦争文学、「うつし世/かくり世」というファンタジー要素まで入れ込んで、小説は語りかけてくる。
中でも、鼠の挿話が心に刺さった。「鼠集合体」として描かれる、自分の頭で考えようとしないメンタリティのリアリズムに度肝を抜かれ、はぐれ鼠たちの語るストーリーに人間性を見る。小説の不可思議に触れた気がした。
[書き手] 中島 京子
1964年東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。出版社勤務を経て渡米。帰国後の2003年『FUTON』で小説家デビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞、2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞、2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞、同年『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年日本医療小説大賞を受賞した。他に『平成大家族』『パスティス』『眺望絶佳』『彼女に関する十二章』『ゴースト』等著書多数。