日本復活に「経済政策」は不要どころか、逆効果だ(2024年11月2日『東洋経済オンライン』)

衆議院選挙が終了。少数与党体制となって、実は日本はよい方向に向かいつつある。石破政権が今やるべきこととは何か
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(写真:ブルームバーグ
 衆議院選挙が終わり、私の予言が実現しつつある。
世間では連立の枠組みをめぐる政局の話題で大盛り上がりしているが、本質は逆だ。日本政治の正常化が進み、政局が政策で動くという「正常な」政治が始まりつつあるのである(詳細については「石破政権の誕生は『日本経済正常化』の第一段階だ」【10月5日配信】をご覧いただきたい)。
 石破政権は、もう政策しかない。もともと苦手な政局で、うまく立ち回ることに失敗し、今後もうまくできそうにない。もう、開き直って、政策勝負するしかない。そして、味方になりうるのは、政策でしか動かない、と言っている少数政党だけだ。だから、これからは政局ではなく、政策だけが重要になっていくのだ。
 なので、今回は、心置きなく100%政策の話をしよう。
■なぜ国を豊かにするのに「経済政策は不要」なのか
 さて、しかし、国を豊かにするには、経済政策はいらない。なぜなら、現在、日本で行われている経済政策は、経済に逆効果のものばかりだからだ。
 まず「短期の経済政策」は需要サイドの景気対策になるが、景気対策が必要なのは、失業を最小限にするためだ。失業は有効な労働力を遊休させることになり、時間とともに取り戻せなくなるから、取り返しのつかない損失であり、そして何より、失業者は社会からもドロップする確率が高いからだ。
 これは特に若年層、新卒で大きい。平成バブル崩壊後の「氷河期世代」が今も残るように、社会の基盤のためにも若年失業者を出してはいけない。そのためだけに景気対策は必要だ。
 それ以外は、景気循環を除去することは、非効率である。またヨーゼフ・シュンペーターによれば、不況を経てこそ、経済は次の段階に発展する。淘汰もイノベーションも不況が必要だ、ということだ。したがって、社会基盤を守るための若年失業対策、社会的な生活支援のための不況対策は必要だが、それらは景気対策よりも社会政策で実現するべきだし、そのほうが、より直接的で効率的である。
 一方、「中期の経済政策」は、いわゆる供給サイドの成長戦略だが、政治的に語られる成長戦略の多くは需要喚起で、実際には景気対策であるから、前述のように非効率性から経済にマイナスである。
 
■成長戦略は景気対策よりさらに経済にマイナスなワケ
 その次に、政治が好きな成長戦略は、産業政策で、次の日本のリーディング産業を支援する、作る、という観点、あるいはすでに最重要になっている産業に資金を突っ込む、ということが行われる。
 これは、景気対策よりもさらに経済にマイナスだ。なぜなら、今や政府は民間セクターに比べて情報優位であるどころか、むしろ劣位である。したがって、民間企業に見抜けない次の産業を見つけられるはずがない。
 点数を稼ぎたい政治家がやりたがることだが、すでに誰もが今もっとも重要になっていると知っている産業に、遅れて補助金を突っ込む。もうすでに出遅れているから、補助金は負け組に突っ込むだけであり、無駄になるどころか、すでに取られた産業を諦めて次に移るのが遅れ、次の産業にも企業は移れず、補助金は無駄になり、企業も政府とともに共倒れになる。
 何とか追いついたとしても、いわゆるレッドオーシャンでいちばん儲からない産業になっているから、資本効率は最低で、日本企業の利益率が低いことを助長する結果に終わる。
 本来重要なのは、人的資本の蓄積を支援することによる労働生産性の向上、働き手の長期的な価値の上昇のための政策だが、これは、掛け声だけで、無駄なことあるいは効率の悪いことをやっている。
 例えば、今はリスキリングという言葉が躍っているが、これはほとんど無駄である。理由は3つある。
■リスキリングが失敗する「3つの理由」
 第1に、スキルは必要に応じて身に付けるものであり、オンザジョブトレーニングが効率的、最先端であり、学校や職場外で受ける研修では、フレッシュな価値はないものであり、スキルはフレッシュである必要がある。もし、プログラミングや単にエクセルなどのソフトの使いこなしであれば、そんなものはリスキリングなどというほどのものではなく、これまでもやる気のある人であれば、個人で勝手にやっている。
 第2に、今述べたように、リスキリングは、自発的にやるものであり、それは自分で何が必要か見つけてやるものであり、やる気があれば、自然と自分でわかるし、やっている。つまり、リスキリングに必要なのは、政府の支援でも雇用主の支援でもなく、本人のやる気であり、それがすべてなのである。
 第3に、汎用性の高い「学び」のための支援は、企業で働きながら外部の研修を受けたり、学校に通ったりすることを企業の負担(支援)でやる枠組みで、そのコストを政策的に負担するというというパターンであるが、これは駄目である。
 小泉進次郎氏が自民党総裁選挙で解雇規制について提唱していたが、解雇する被雇用者に対して、企業がリスキリングを支援するようにさせる、というのは、これこそ最悪の枠組みである。
 どうしてこれからクビにする従業員に、素晴らしい人的資本を蓄積するような支援を、雇い主がするであろうか。それなら、クビにする前にしているし、そもそもクビにしない。政府の金(カネ)でテキトーなアリバイ作りのリスキリングをするだけである。役に立つリスキリング支援は現状の日本の政策の考え方では、ほぼ現実的には存在しえない。
 最後に、長期的な経済成長戦略として、多くの人が想定しているのは労働力の増加である。これを政治家に聞けば「少子化対策」「移民政策」だと言うだろう。しかし、これでは最悪であり、むしろ害悪である。なぜなら、少子化問題移民問題は、経済のための手段として捉えては絶対ダメだからだ。
 経済の問題ではなく、社会の問題だからである。どのような社会を作るか、その理念のもとに行うべきことであり、社会の基盤をどうするか、経済に関して関係するとすれば、経済を支える基盤としてどのような社会にするか、という問題なのである。社会というインフラ、その社会のインフラをどうするか、それが少子化問題移民問題なのである。
 このように見てくれば、失われた30年と言われる1995年から現在まで、政府の経済政策が効果を上げなかったのは当然だったのである。やり方が間違っている、あるいは、やっていることを単にアピールだけするために、短期の経済政策規模を何十兆円と膨らませたり、現金をバラまいたりと、経済発展をそもそも目的としてない政策ばかりを行ってきただけなのである。
 では、どうしたらいいのか。短期の需要サイドも中期の供給サイドも政府の出番ではもはやなくなっている。民間セクターに任せるのがベストなのだ。
■政府がすべきなのは「質の高い義務教育インフラ整備」
 では、政府は何をするべきか?  もちろん、社会資本の蓄積である。政府が誕生し、最初に行うべきことは、社会基盤を作ることである。政府が生まれたときから社会資本の蓄積は重要で、21世紀になってさらにその重要性が高まったのである。
 つまり、民間セクターが発達し、経済政策に関しては、足りないものがなくなった。しかし、一方、社会資本の蓄積が、経済規模に比して相対的に不足するようになり、21世紀には、それが国家間の違い、差をつける決め手になってきたのである。
 上述の、現在行われているだめな経済政策と本当は必要な政策に関する一連の議論を見ても、短期、中期、長期のいずれにおいても、必要なことは社会資本の蓄積に集約される。
 短期で行うべき経済政策とは若年層の失業対策に尽きる。つまり、若年層、学卒者に対して、社会的基盤を提供することが最重要なのである。中期の供給力も、労働者の人的資本の蓄積がすべてであるが、その支援の枠組みは、企業を通じるものではなく、個々人に直接働きかける仕組みが必要である。
 そして、リスキリングの議論で見たように、現代の目まぐるしい変化、多様性に応じて、個々人が本人の判断とやる気で行うものである。政府が行うべきは、学び直しの機会ではなく、学び直しが必要なときに自分でできる、判断力、気力、好奇心、働く意欲を幼児教育、小学校、中学校のときに身に着けさせることである。
 つまり、本人の心の中に基盤を作ることを助けるのである。このような基礎力を身に付ける質の高い義務教育のインフラを整備することである。これぞ、国家最大の社会インフラ、社会資本である。このような国民で構成される社会、国家は、素晴らしい社会であり、国家となるだろう。
 これで、21世紀の今、行うべき経済政策は明確になった。いい社会を作るための基盤、社会資本を蓄積することである。それにより、いい社会が実現すれば、自然に経済発展はついてくるのであり、いい社会に基づかない経済膨張は持続可能でないのである。
 景気対策は要らない。必要なのは、若年層、新卒者に必要な仕事、それも勉強になり、人的資本の蓄積を、仕事をしながら促すような仕事である。
産業政策も要らない。リスキリングも要らない。必要なのは、質の高い幼児教育、義務教育である。
 少子化、移民政策を、経済政策として考えてはいけない。今目の前にいる、子供、学生、若者を大切に育てることである。
■社会資本の蓄積を促す「6つの具体的な提言」
 具体的な例を挙げていこう。以下は考え方を示すための政策の事例であり、個々の事例にはさまざまな賛否があろう。以下、ここで示したいのは、個々の問題に対する現象対応の具体的な政策の細部についてではない。
 「社会資本の蓄積を促す政策によって、持続的な社会、経済発展を目指すという考え方に沿う政策とはこういうものだ」「こういう考え方で政策を立案するべきだ」、という考え方の提言であり、その事例である。
 (1)新卒一括採用は効率的だが、採用プロセスの双方の効率性に走りすぎているから、何度か試行錯誤するプロセスを組み込んだほうがいい。また数年後、ほぼすべての若者が転職あるいは学校に行き直し、キャリアアップするような若年労働市場にすべきである。また、もし政府が経団連に圧力をかけるのではあれば、それは賃金アップではなく、新卒一括採用の全面的禁止である。「シューカツ」の撤廃である。これが短期景気対策の代わりである。低所得者への支援は経済対策ではなく社会政策として行う。
 (2)義務教育の強化。高校・大学の無償化は一切止める。子供手当も廃止。つまり、現金バラマキは、一時的な支援になっても、それは社会的基盤にはならない。一時的な緊急避難的支援金は社会政策として、限定的に低所得者層に行う。良質な義務教育インフラは政府にしか整備できないものである。高校も大学も、行く価値のある質の高い教育を提供できるように、むしろ学費は値上げする。
東洋経済オンラインの記事「小学生時点の学力に影響を及ぼす『幼児教育の質』」(10月23日配信)にもあったが、無償化は教育の質を低下させる。
これはカナダのケベック州の20年の研究を待たずとも、考えればわかることである。タダより高いものはない。いいサービスにはそれに応じた対価を払う。それが払えない低所得者には支援をする。
■学校教育にもっとお金をかけよ
 日本は、学校教育への評価が低すぎる。学校側にも責任があるが、リソース不足、文科省などの書類仕事が多すぎて教育に時間を割けない、という問題もある。結果的に、日本はアジアでもっとも教育不熱心国となっている。教育には金をかける。政府も学校側に多様な人材を雇うための金、リソースの支援をする。教育をタダにするのではなく、金をかけても手に入らない良質な教育を提供する。
 優れた義務教育を受け、学習意欲、好奇心、判断力が備わった子供たちは、将来、自分で必要なリスキリングを行う。これこそが中期の成長戦略にもなりうる。タイムスパンとしては長期になるが、長期でなければ、国家百年の計は意味がない。
 (3)さらに進めるなら、2歳時からの義務教育化。オプトアウトあり。つまり、義務だが、別の代替的な教育手段を選んでもいい。こうすることにより、待機児童は存在しなくなる。幼児教育の充実にもなる。学童もこの新しい幼児教育学校、小中学校で必ずオファーすることにする。これで親世代も安心して働きに出ることができる。長期の労働力供給戦略にもなる。
 (4)学校のスタッフの充実を図る。教育は人である。『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子著)に出てくるような小林校長先生が各学校にいることが必要である。また、教師も必要だし、学校のマネジメントを行う教員以外の充実も図る。このために、各都道府県にある国公立大学教育学部を、教員のリスキリングの拠点にする。形式的な研修でなく、みっちりとした研鑽を積む。そのための教育学部の大学院も強化しないといけない。
 (5)企業に関して言えば、個別の支援、補助金、賃金アップや雇用確保のための補助金、税制優遇は一切止める。考え方として間違っているのは、政府が、労働者を支援するインフラを作らずに、手抜きして、それを企業に丸投げしているのが悪い。
 そして、21世紀になって、働き方が多様化、転職が頻繁化するに従って、その機能不全が露呈してきているのだ。そもそも企業にそのインフラを担わせるのに無理がある。労働者本人を直接支援する。なんでも企業に丸投げしない。
 社会保険の枠組みも、雇用主経由だから未払いなど多くの問題が起こる。政府がやるべきことは、徹底したパワハラの防止、不当解雇の防止などで、監督、調停機関の整備を、人と金をかけてやるしかない。非効率というが、非効率でもやるしかない。手間を惜しんでいる、というのが日本の政策が機能しない主な理由だ。児童相談所の問題も、金、人の投入不足が主な原因だ。子供を守ることが社会の基盤。効果のない少子化対策よりも圧倒的に重要だ。
■「社会基盤である地方」の強化に必要なこと
 (6)地方創生ではなく、地方の止血をする。詳細を議論する余裕がないが、地方が社会基盤であり、さまざまな地方の人材が東京などの都市部に集まって、多様な人材となって、日本の活力を維持している。全員が東京出身の子供たち、学生たち、労働者、経営者になったら、日本の活力はなくなる。地方は社会インフラなのだ。
 個人的には、地方国立大学の支援を強化し、さらに地方の高等専門学校を拡大し、分野を農林水産業、サービス業に拡大し、さらに、都市部の大学院やビジネススクールと提携して、人材、産業の基盤とする必要があると思う。極論だが(そして、現在の私の立場も危うくなるかもしれないが)、私立学校への政府の補助は一切やめて、すべて地方国立大学と地方の高等専門学校にその資金を集中投下するべきと考える。
 長くなってしまったが、要は、目先の現金支援でその場しのぎを続けるのではなく、社会インフラを整備すること、それもソフトインフラを整備することが政府の役割であり、それで初めて経済発展は実現すると考える(本論はここで終了です。この後は、競馬好きの筆者が週末のレース予想や競馬論などを語るコーナーです。あらかじめご了承ください)。
 競馬である。
 11月1日と2日(現地時間)は、アメリカの競馬で年に一度の祭典、「ブリーダーズカップ」が開催される。1日目は2歳馬のG1、2日目は3歳馬以上が対象のG1が行われる。
 今年は、西海岸のカリフォルニア州サンディエゴにある「デルマー競馬場」で開催される。前回のデルマー開催(2021年)時には「ブリーダーズカップ(BC)ディスタフ」(ダート1800メートル)で、矢作芳人厩舎のマルシュロレーヌが勝ったこともあり、日本馬が複数のレースに大挙参戦することとなった。
BCクラシックに出走するフォーエバーヤングに注目
 これは正しい流れで、欧州競馬を範にしてきたJRA(日本中央競馬会)競馬ではあるが、レースの質からいうとアメリカの競馬のほうが、親和性が高い。それはダート中心、芝中心ということを超えて、レースで要求される要素がより似ているということであり、輸送と時差さえ克服できれば、欧州でよりも、より成功する可能性があるだろう。
 もちろん注目は、最大のレース、「BCクラシック」(ダート2000メートル)に出走する、ケンタッキーダービー3着惜敗のフォーエバーヤングだ。
 これまた矢作厩舎だが、あいにく最悪の枠である1番枠に入ってしまった。だが、ここは開き直って、はやめに出していって、番手(先頭馬の後ろの2番手)で競馬して、押し切る、というレースを期待したい。ほかの馬も含めて全力で応援したい。
 
小幡 績 :慶応義塾大学大学院教授