数で押し切る「平成の自民政治」が終わった…来年の国会は予算案から大荒れ、現実味帯びる参院選後の「ねじれ国会」(2024年11月1日『JBpress』)

キャプチャ
会談に臨む自民党の森山幹事長(中央右)と国民民主党の榛葉幹事長(同左)ら=10月31日午前、国会(写真:共同通信社
キャプチャ
与党議員が野党議員にグーパンチする決定的瞬間。数で押し切る「強行採決」はいよいよ終わるか=2015年9月17日、参院平和安全法制特別委で、安保関連法案の採決をめぐり委員長席付近でもみ合う与野党の議員(写真:共同通信社
 (西田 亮介:日本大学危機管理学部教授、社会学者)
■ 憲法改正の現実味は大きく後退
 自公の議席減で大きな影響を受けるのは政局と国民生活だけではない。国政上の大きな政策や国会運営も大荒れになるはずだ。
 例えば憲法改正。近年の肯定的な意見が増え賛否が拮抗するようになっただけではなく、憲法改正の発議に必要な両院でそれぞれ3分の2という、これまでは高いハードルと思われてきた議員定数上の条件を満たすようになっていた。
 数の上では憲法改正の発議に相当近づいていたのである。
  報道ではとかく過半数の行方に関心が集まりがちだが、与党をはじめ憲法改正を主張する政党の議席が大きく減ったことで、この間、各社の世論調査などでも拮抗していた憲法改正の発議に必要な条件を満たさなくなった。
 またこれからの政局や不安定化するであろう政権運営を念頭においても、近い政治日程における憲法改正やその前段の発議の現実味は大きく後退した。
■ 自民党政治の「数で押し切る」手法は困難になった
 それだけではない。また2010年代に入って与党が維持してきた、国会に設けられ、本会議における議席数が反映される常任委員会のすべてにおいて委員長を選出し、過半数の委員を確保できるいわゆる絶対安定多数(261)はおろか、委員長と与野党同数の委員を確保できる安定多数(244)も下回った。
 これが前回記事の冒頭にも言及した「宙吊り議会」(hung parliament)の仔細である。
 ある意味では眼下の特別国会における首班指名選挙の行方よりもよほど深刻だ。来年の通常国会で予算案や法案の成立が難しくなることを想像させ、2010年代以後の自民党政治の既定路線でもあった、最後は議席数で押し切る方法が困難になるからだ。
 10年以上にわたって自公連立を所与のものとする政治環境が続いただけに、野党との調整や交渉経験、ネットワークが豊富なかつての自民党の大ベテラン議員たちも政界を去り、そのような経験をしたことがない自民党議員の比率が増えた。
 なにより経験があるものの腕も相当なまっているだろう。それを取り戻すことができるだろうか。
 国民民主党は連立を組む合理的理由に乏しく、それだけに野党サイドで固まって内閣不信任案を提出するような場合にも無理なく賛成することができる。
 野党の主張や批判、法案に対する修正要求に対して、これまでとは異なる真剣さをもって耳を傾けざるをえなくなるはずだ。
■ 来年の通常国会は新年度予算案から荒れる
 自民党は2010年綱領でそれまでの綱領における「国民政党」から「保守政党」に看板をかけかえた(「わが党は、国民政党である」⇒「我が党は常に進歩を目指す保守政党である」)。
 名実ともに保守化した自民党だが、選択的夫婦別姓同性婚法制化等のように保守層を刺激し、自民党内でも意見が分かれる喫緊の政策主題は少なくない。もちろん野党はこうした法案の成立を迫るのではないか。
 いずれにしても、来年の通常国会は予算成立からして荒れることが目されるし、それぞれの法案審議となるとなおさらだ。
 スケジュール通り、法案を通すことが難しくなることも予想される。法案が通らないとなると、一般に政府与党の失敗とみなされる。
 また政治改革が不十分であることなども、しこりとなりつづけるはずだ。改正政治資金規正法の附則に含まれながら具体化がはっきりとしない政治資金を監督する第三者機関の在り方をはじめ、長く議論の俎上にあがってきた政党を定義する政党法なども含めてさらなる政治改革も避けては通れまい。
 政権と自民党にとってはボディブローのようにダメージを蓄積させ続けるのではないか。
 来年の夏には参院選と東京都議会選が控えている。さすがにこの短期間で、自民党総裁選から総選挙までの一連の出来事や自民党の振る舞いを国民が完全に忘れるとは思えない。
 例えば、石破総理が総裁選での前言を撤回して、早期解散に踏み切ったことや自民党の2000万円問題である。相当に厳しい結果になるのではないか。
■ 参院選後のねじれ国会もありえる
 負け方によっては、参院選後のねじれ国会もありえるのではないか。ただでさえ難しい、与党で過半数割れの状態だけに政権運営は時間が経てば経つほど厳しさを増すように思われる。
 衆参同日選挙や、普通に考えても来年後半から再来年にかけてのそれほど遠くない時期に再度の総選挙と政権交代が現実味を帯びてくるかもしれない。
 ただし、今のところそれらは主に自民党不信、既存政党不信に起因する消極的な動機づけによる「消極的政権交代」というべきシナリオであって、野党の政権担当能力が国民から幅広く信頼される「積極的政権交代」ではなさそうだ。
 野党に「積極的政権交代」の準備ができているかといえば相当心許ない。
 国民の関心の高い経済政策や社会保障改革なども野党間の隔たりが大きいのみならず、立憲民主党の主張すら明確にならないままだからだ。
 筆者はいくつかの機会に立憲民主党の国会議員らに、消費税を上げるのか、現状維持か、下げるのかというごくシンプルな問いを投げてきたが、どうにもはっきりしない。
 人によって言うことが違いすぎるのだ。野党の政権担当能力と信頼向上を大前提に、「積極的政権交代」のシナリオを提示すべきだ。
■ ようやく「平成の政治」が幕を下ろし「令和の政治」が始まる
 とはいえ、必ずしも悲観的になる必要もない。というのも、50回目の総選挙という節目を経て、ある意味ではようやく平成政治の名残と、2010年代から続く既定路線が幕を下ろしたからだ。
 そして「令和の政治」というべき新しい政治がここから本格的に始まろうとしている。
 もちろん良いことばかりではない。日本政界の先行きは見通し難くなり、短期的には不確実性が増すだろう。だが、同時に日本政治に真剣さと緊張感が帰ってくるはずだからだ。
 国会審議もそうだ。数の論理に頼ることができなくなることから、議論は真剣味を増し、政府与党も今以上に国民の目、野党の目を気にするようになるはずで、与野党のそのことは長い目でみたときには好ましいといえる。
 それだけに2014年、2017年に次いで戦後3番目の53.85%という特筆すべき低投票率は気になるところだ。
 この間、低投票率は深刻さを増している。日本の選挙制度は罰金や公民権停止といった罰則がほとんど設けられておらず、権利的性質が強いことが特徴だが、半数近い有権者が投票にいかないことが常態化しており、選挙制度の根幹が問われている。主権者教育の次の一手が求められる。
 既存政党の比例得票が減じている一方で、少数政党が大きく得票を伸ばしたことから、既存政党不信も背景にありそうだ。
 既存政党不信は先の東京都知事選挙や同時に行われた都議会補選とも共通するように思われる。政治不信の払拭と複雑化する政策に対する国民の理解増進が焦眉の課題である。
 報道と選挙啓発行政には有権者の関心惹起が求められ、前者には国民の理解を助ける丁寧な解説と、諸外国で実装されているリアルタイムファクトチェックやデータ分析と可視化のような新しい手法の試行錯誤が期待される。
 激動の総選挙を経て日本政治の変化は終わったのではない。むしろ「令和の政治」は産声をあげたばかりなのだ。その行く末と改革の行き先を注視したい。
西田 亮介

【関連記事】