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勝俣恒久元会長(かつまた つねひさ、1940年3月29日~ 2024年10月21日。84歳)
 
 東京電力勝俣恒久元会長は2011年に起きた福島第1原発事故を防げなかった責任を、刑事・民事の裁判で追及された。
 22年7月に東京地裁株主代表訴訟の判決で、元会長を含む旧経営陣4人の責任を認め、国内史上最高額とみられる約13兆3000億円の賠償を命じていた。
 同訴訟では、勝俣元会長本人への尋問が行われた。同原発津波対策の必要性を巡り「大事故になるという認識はなかった。情報を上げろとは言わなかった」などと述べていた。
 判決では、09年2月の東電内部会議で、14メートル程度の津波が来る可能性について議論していたと指摘。勝俣元会長らが速やかな対策を講じない担当部署の判断に著しく不合理な点がないか確認する義務があったのに怠ったと判断した。元会長らは判決を不服とし、控訴。二審東京高裁で審理が続いている。
 事故によって地元住民らが死亡したなどとする業務上過失致死傷容疑でも告訴・告発された。捜査した東京地検は不起訴処分としたが、勝俣元会長ら幹部3人について検察審査会が2度にわたり「起訴相当」を議決。16年2月に検察官役の指定弁護士により強制起訴され、刑事責任を問われることになった。
 公判では謝罪しつつ、事故は予見できなかったと主張。禁錮5年を求刑されたが、一審東京地裁は19年9月、予見可能性を否定し、3人全員に無罪を言い渡した。二審東京高裁も23年1月、同様の判断を示し、指定弁護士側の控訴を棄却。事件は最高裁に上告されており、判断に注目が集まっていた。
 株主代表訴訟の原告側代理人を務める河合弘之弁護士は「彼の心中と事故の被害者の思いは食い違いが大きいはずだ。裁判の決着がつくまで生きていてほしかった」と話した。

東京電力 勝俣恒久元会長 死去 福島第一原発事故対応にあたる(2024年10月31日『NHKニュース』)
 
東京電力の社長や会長を務め、福島第一原発事故の対応にあたった勝俣恒久氏が10月21日に亡くなりました。84歳でした。
勝俣氏は2002年に発覚した原発のトラブル隠しで当時の首脳陣が辞任したことを受けて社長に就任しました。
2008年に代表権のある会長に就任し、2011年3月に東日本大震災福島第一原発事故が起きた際は経営トップとして事故の対応などの指揮をとりました。
そして東京電力の実質国有化が決まった2012年の6月に会長を退きました。
勝俣氏は原発事故をめぐって検察審査会に「起訴すべき」と議決されたことで、2016年に元副社長2人とともに業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されました。
この裁判では2023年、東京高等裁判所が1審に続いて3人全員に無罪を言い渡しましたが、検察官役の指定弁護士は最高裁判所に上告しました。
また原発事故で多額の損害を被ったとして東京電力の株主が旧経営陣に会社への賠償を求めている裁判では1審の東京地方裁判所が2022年、勝俣氏ら4人に国内の裁判で最高額とみられる合わせて13兆円余りの賠償を命じました。
判決を不服として勝俣氏ら旧経営陣側と株主側の双方が控訴し、東京高等裁判所で2審が行われています。
東京電力ホールディングスによりますと、勝俣氏は10月21日に亡くなったということです。
84歳でした。
原発事故をめぐる勝俣会長の起訴 取り消しへ
原発事故をめぐって東京電力勝俣恒久元会長が業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴された裁判は、1審と2審で無罪が言い渡され、上告中ですが、刑事訴訟法の規定により起訴が取り消されることになります。
被害者・遺族の代理人弁護士は
勝俣元会長が亡くなったことについて株主代表訴訟のほか、被害者・遺族の代理人を務める海渡雄一弁護士は「刑事裁判と株主代表訴訟の裁判手続きの途中で亡くなられたことは残念だ」としたうえで、「勝俣元会長は原発地震の関係について問題意識を持っていた。原発事故の前に東電内の会議で津波対策を急ぐよう指示していれば原発事故は避けられたと思うので、勝俣元会長の責任は重い」と話していました。
政財界に大きな影響力
勝俣恒久元会長は、1963年に東京電力に入社後、企画部長や常務、副社長を経て、2002年に社長に就任し、在任期間中に経団連の副会長や電気事業連合会の会長を務め、政財界に大きな影響力を持ちました。
その後、2007年に起きた新潟県中越沖地震の影響で柏崎刈羽原発が7基全て停止し、燃料費コストが大きく膨らむなどして28年ぶりの赤字を計上する中、2008年に社長を退きました。
原発事故で指揮 事故後 政府との交渉にあたる
会長となった後、2011年3月に発生した福島第一原発事故の際には、体調不良で入院した当時の清水社長に代わって事故対応の指揮を執ったほか事故後の損害賠償をめぐる政府との交渉にあたるなどしました。
しかし、原発事故で巨額の赤字を抱えた東京電力への公的資金投入などの経営再建策に理解を得たい政府の意向で、2012年に会長を退任しました。
事故への対応をめぐっては、同じ2012年に、国会の事故調査委員会に出席し、震災発生直後に当時の菅総理大臣らが福島第一原発を訪れて所長に説明を求めるなどしたことについて、「混乱の極みの中、発電所で最高司令官の所長が時間をとられるのは芳しいことではない」と述べ批判しました。
その一方、「政府との間で、情報伝達がうまくいかなかったという問題もあるので、反省材料は私どもも含めてあると思う」とも話していました。
「巨大津波想定せず」裁判で繰り返し証言
その後、2016年からは、検察審査会の議決によって、福島県の入院患者など44人を原発事故からの避難の過程で死亡させたなどとして、原発事故前の経営陣の1人として業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴され、事故の原因となった巨大津波の可能性を事前に認識していたかが問われました。
裁判の中では、2009年に“御前会議”と呼ばれる経営層を交えた社内会議の場で社員たちから津波対策の状況を報告された際のいきさつなどを繰り返し問われましたが、勝俣元会長は、「社内の原子力・立地本部でしっかりやっていると考えていて、安全対策に疑義をはさむ状況ではなかった」として津波の到達は予測できなかったと改めて主張しました。
この刑事裁判では、巨大津波の襲来を予測することはできなかったなどとして、1審と2審ともに無罪となりましたが、検察官役の指定弁護士が上告し最高裁での審理が続いていました。
一方、民事裁判では、福島第一原発の事故で多額の損害を被ったとして、東京電力の株主が旧経営陣に対して賠償を求め、勝俣元会長は国の地震調査研究推進本部が2002年に公表した「長期評価」や、それを元に巨大な津波が押し寄せる可能性があるとした想定などについて、「知らなかった」と繰り返し主張していましたが、2022年、東京地方裁判所が勝俣元会長を含む4人に国内の裁判で過去最高とみられる合わせて13兆3000億円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。
東京地方裁判所は、判決で「対策をとっていれば重大な事態を避けられた可能性が十分ある」などと指摘しましたが、勝俣元会長を含む旧経営陣は判決を不服として控訴し2審が継続していて、「事故を回避することは不可能だった」と主張していました。
官房長官「政府の立場からのコメントは差し控える」
官房長官は午後の記者会見で「勝俣氏が逝去されたという報道は承知しており、哀悼の意を表したい。東京電力福島第一原発事故という起きてはならない事故を防げなかった事業者として廃炉の完遂と被害者への賠償の貫徹、福島の復興への貢献に今後もしっかりと向き合う必要がある。勝俣氏の責任については民間企業の経営陣にまつわる話で、個別の訴訟に関する事項であることから、政府の立場からコメントするのは差し控える」と述べました。
識者に聞く 勝俣氏とは
東京電力の社長や会長を務め、福島第一原発事故の事故対応も指揮した、勝俣恒久氏は、日本の電力業界、経済界においてどのような存在だったのか。経営史が専門でエネルギー産業に詳しい国際大学橘川武郎教授に聞きました。
Q 経営者としてどのような人物だった
A 非常に鋭い経営感覚を持ち、頭の回転が速く、「カミソリ勝俣」とも呼ばれていた。
福島第一原発事故の前までは、霞が関の官僚よりも勝俣氏がいる東京電力の方が国のエネルギー政策に対して影響力があるとも言われていて、経済産業省の幹部からも一目置かれていた。
合理的な考え方と危機対応の印象が強く、2002年に原発の検査データの隠蔽問題が発覚した後に社長に就任した際も、社内で風通しの悪かった原子力部門の改革に取り組み、東京電力の信頼回復に尽力していた。
ただ、原子力部門の改革については詰めの甘さが残り、道半ばに終わってしまった。
Q 電力業界や経済界でどのような存在だったのか
A 電力自由化に向けて激動の時代となった2000年代に、多くの電力会社が自由化に抵抗するなか、勝俣さんは小売りの自由化については積極的な姿勢を打ち出しリーダーシップを発揮していた。
会長退任後も電力業界の新年会に参加している姿を何度か見かけたが、関係者が一斉にあいさつに押しかける様子が印象的だった。
Q 福島第一原発事故をめぐる対応について
A 事故を起こした責任や東京電力の存続、会社の国有化などをめぐって勝俣さんは政府とさまざまな議論をしていたと思う。
当時のやりとりについて検証することが歴史的にも重要なので、本当は裁判などの場できちんと話してほしかった。
Q 裁判では“津波は予測できなかった”と
ーー原発事故をめぐる裁判では、勝俣氏含む経営陣が事故の原因となった巨大津波を事前に認識していたが焦点となるなか、勝俣氏は巨大津波が押し寄せる可能性があるとした社内の想定について「知らなかった」などとし、津波は予測できなかったと繰り返したーー
A 同じく被災した宮城県にある女川原発津波対策として高い場所に建設し事故を起こさなかったことなどと比べると、勝俣さんを含めた東京電力の経営陣に甘さがあったのは確かだ。
経営トップが社内の原子力部門を抑える形を目指していたものの、結果的に現場の情報が上層部に適切に伝わりにくい構造になってしまい成功しなかった。