石破首相と橋本龍太郎氏(写真右)
衆院選の投開票日である27日は、石破茂首相にとって「人生で一番長い一日」となるであろう。産経新聞・FNN、朝日新聞、共同通信などの情勢調査では、自民党と連立を組む公明党と合わせても過半数(233議席)を割り込む可能性があるという。
「保守の岩盤支持層が寝ている選挙」
ある政治学者は今回の選挙をこのように評する。
安倍晋三元首相が自民党総裁に返り咲いた2012年以降、4回の衆院選で、自民党は294、290、281、261議席を獲得し、大勝し続けた。21年の衆院選は岸田文雄総裁の下で戦ったとはいえ、安倍氏が存命で影響力も大きかった。
自民党は9月の総裁選で、安倍氏の「政敵」ともいえる石破首相を選んだ。安倍氏を支持した「岩盤支持層」が白けるのも無理はない。それでも、石破首相はここまで劣勢になるとは想像していなかったのではないか。報道各社の世論調査で、「次の首相」候補として石破首相は上位に位置し、「国民の人気が高い」と本人も信じ込んでいたからだ。
似たようなことは1998年にもあった。
橋本政権と似た光景
時の首相は橋本龍太郎氏。石破首相と同じ慶応大学出身で、世論の人気もそれなりに高かった。同年7月の参院選で、当初は橋本首相の人気もあり、自民党は60議席を超えるとの見通しもあったが、橋本首相らの恒久減税に関する発言のぶれなどが影響し17議席も減らす44議席と惨敗を喫し、橋本首相は即日退陣表明した。
投開票日の7月12日、当時筆者は橋本氏と同じ派閥の会長だった小渕恵三外相の担当だった。「ポスト橋本」を意識して、温厚な小渕氏の表情がみるみる引き締まっていったのを間近でみた。
選挙を取り仕切る総務局長だった古賀誠氏は読売新聞の取材に、「橋本さんの人気で乗り切れると思っていた。こんなに一気に世論は変わっていくのかと選挙の恐ろしさを痛感した」と振り返っている。
ただ、世論調査をよくみると兆候はあった。高い支持率を維持してきた橋本内閣だが、前年9月の内閣改造で、ロッキード事件で有罪が確定した佐藤孝行氏の入閣で支持率は下がり、参院選前の5月には30%を割り込むこともあった。
石破内閣の支持率も発足時としては異例の低さで、時事通信の調査ではわずか28%だった。
新しいアジェンダを打ち出すべきだった
1960年7月、日米安保条約改定を断行して退陣した岸信介前首相に代わり、後任となった池田勇人首相は「所得倍増計画」を打ち出した。石破首相もせっかくの政権交代を利用して、「新しいアジェンダ(政策課題)」を打ち出し、国民に「この政権は、前政権とは違うことをやってくれる」との期待感を抱かせるようにすべきだった。
それが野党の追及する「政治とカネ」の問題にはまり、身動きができなくなった。