金の切れ目が縁の切れ目。金のなくなったときが、人間関係の切…(2024年10月26日『東京新聞』-「筆洗」)
金の切れ目が縁の切れ目。金のなくなったときが、人間関係の切れるときであるということ-と手元の辞典は説明する
▼太宰治の小説『人間失格』でも、この俚諺(りげん)が語られる。「金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無くなると、男は、ただおのずから意気銷沈(しょうちん)して、ダメになり、笑う声にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る」
▼金の枯渇で即離別でなく、金を失った者がダメになり縁が切れる場合もあるらしい
▼公認候補の支部へは公認料500万円と活動費1500万円の計2千万円なのに対し、非公認候補側への2千万円は全て党勢拡大目的の活動費だそう。「裏公認料」含みと野党は攻め、自民は党の政策PRなどに使い候補の選挙には使わぬから妥当と言う。政策PRと選挙活動は区別できるものなのか。非公認候補側が総額1500万円なら騒がれなかったかもしれぬ
▼似た俚諺に「愛想づかしも金から起きる」がある。金で不信を招いた党は愛想をつかされるのか、それともいま一度信じてもらえるのか。民意はじきに示される。
ただ一夜でした。朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの軽薄な、装えるお道化者になっていました。弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化の煙幕を張りめぐらすのでした。
「金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無くなると、男は、ただおのずから意気銷沈しょうちんして、ダメになり、笑う声にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂乱になって振って振って振り抜くという意味なんだね、金沢大辞林という本に依ればね、可哀そうに。僕にも、その気持わかるがね」
たしか、そんなふうの馬鹿げた事を言って、ツネ子を噴き出させたような記憶があります。長居は無用、おそれありと、顔も洗わずに素早く引上げたのですが、その時の自分の、「金の切れめが縁の切れめ」という出鱈目でたらめの放言が、のちに到って、意外のひっかかりを生じたのです。
2024衆院選・政治とカネ 憤る国民に向き合う改革を(2024年10月26日『中国新聞』-「社説」)
言うまでもなく、「政治とカネ」の問題で失墜した国民からの信頼を、取り戻せるかどうかが最大の焦点だ。
昨秋に党派閥の政治資金パーティー裏金事件が発覚して以降、初めて全国一斉の審判を受ける。本紙などが選挙期間中に実施した世論調査で、衆院選に関心があると答えた有権者は9割を超え、過去最高だった。「政治とカネ」を一つの判断材料にしようという有権者が多い証しだ。
ここにきて、裏金事件を巡って党が非公認とした候補が代表を務める党支部に対し、公示直後に2千万円の活動費を支給したことが明るみに出た。共産党機関紙「しんぶん赤旗」が先行し、本紙も報じた。2千万円は、公認候補の支部が受け取った公認料500万円と活動費1500万円を合わせた額と同じである。
野党側は「裏公認だ」「国民をばかにしている」と攻勢を強めている。公認候補と金銭面で同じ扱いをする以上、「非公認」は形ばかりだとの指摘は当然だろう。
自民党の森山裕幹事長は党勢拡大の資金で、候補への支給ではないと反論し、石破茂首相は「選挙には使わない」とした。しかし、候補は党支部長を務め、資金管理の責任も持つ。党勢拡大は比例代表票の掘り起こしを含むが、選挙区と比例の選挙運動の線引きは難しい。なぜ公認と同額で、なぜ選挙中の支給か、説得力のある説明もない。
石破首相は、非公認の候補が当選すれば追加公認する考えを示している。選挙活動を念頭にした資金支援だと、国民に受け止められても仕方なかろう。広島市内での街頭演説で「報道に憤りを覚える」と述べたが、理解に苦しむ。党の反省の度合い、改革の本気度を国民が見極める上で、欠かせない事実を伝えるのは報道機関の務めである。
党は裏金事件に対する国民感情を読み誤ってきた。
党内処分は裏金を得た議員の一部に限定し、政治資金規正法の改正では抜け穴を多く残した。選挙公約は、政治改革が最大の争点であるのに踏み込みが足りない。使途の報告義務がない政策活動費は「将来的な廃止も念頭」としたが、時期は示していない。
立憲民主党、日本維新の会、共産党などは、企業・団体献金の禁止や、企業・団体による政治資金パーティー券の購入禁止を掲げる。ただ、金がかかる選挙の在り方を含めて抜本的な改革に向けた論戦は深められていない。
有権者は本来なら、各党の政策を比較した政権選択選挙を求めたいはずだ。物価高対策や賃上げをはじめ、時代の要請に応え切れていない政治への不満が募っている。政治資金の使い道は不透明のままがいいと言わんばかりに固執する政治家と、感覚のずれが露呈した選挙戦でもある。
与野党ともまっとうな政治改革で応える責任がある。憤る国民に誠実に向き合う論戦で締めくくってほしい。
ルールを守る?(2024年10月25日『北海道新聞』-「卓上四季」)
東ニ特売ノ生鮮食品ガアレバ/行ッテ急イデ買イ求メ/西ニ安売リノ燃料店ガアルト聞ケバ/行ッテ値段ヲ確カメ/財布ノ中身ヲ気ニシナガラ/冬ガ近ヅク街ヲオロオロアルキ…
▼宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を拝借して気がひけるのだが、こんなフレーズが頭に浮かんで仕方ない。身の回りの品やサービスの値段が上がり続ける。けれども日々の稼ぎはちっとも増えていかない。いろんな工夫を重ねて1円でも10円でも節約に努め、つつましく日々を送る。これが大方の人のくらしぶりではないか
▼それも限界がある。衆院選で最重視する政策は何か。先日の本紙の全道調査で最も多かったのは「雇用・物価高対策を含む経済政策」。生活実感の反映だろう
▼原資は政党交付金、つまり国民の税金が出どころ。どの党でも選挙に一定のお金がかかることはのみ込める。それでも理解できない点が残る。派閥裏金問題で非公認となった候補の支部も同額を得た。けじめとしての非公認ではなかったか
〔雨ニモマケズ〕
宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
自民党は今回の衆院選に際し、派閥裏金問題に絡んで公認しなかった候補が代表を務める党支部に、活動費として2千万円を支給したことを明らかにした。共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が報道、自民党も資金提供について認めた形だ。
深刻な政治不信を招いた反省も、それにけじめをつける意思も希薄なようだ。感度の鈍さ、判断の甘さ、危機感の欠落に驚くほかない。
公認候補には公認料500万円、活動費1500万円を支給しており、金額的には非公認候補も同じ扱いだ。このため野党側が「偽装非公認」「裏公認」と一斉に批判。自民内でも、形だけ非公認にしたと言われても仕方がない、との声が漏れているという。
自民が出した党内向け文書では、党勢拡大の具体的な活動として、党の政策PR、選挙区内の比例代表票の掘り起こしなどを例示。一方で、非公認候補が自身の選挙運動に使うことはできないと説明している。
だが、衆院選では、各候補が小選挙区と比例代表それぞれの選挙を一体とした運動を展開する。支援した資金は、比例対策に使用できるものの、選挙区対策は禁止という線引きが果たして可能なのか。実質的な「選挙対策」と受け取られるのは避けられそうにない。
苦戦が伝えられているとはいえ、そもそも非公認の“処分”を下した候補を頼って党勢拡大、比例票の底上げを図るというのは、巨大与党として情けなくはないのだろうか。透けて見えるのは、当選した場合に速やかに追加公認するための布石と、公示直前になって公認を剥奪した経緯を受け入れてもらうこと。いずれも内輪の論理だ。
今回の非公認候補への資金支援に対して、裏切られた思いを抱く有権者が多いことを認識しなければならない。石破首相ら党執行部が「非公認で選挙を戦うことがどれほどつらいか」などと語り、厳しい処置であると、ことさら力説してきたためだ。こうした発言との落差は大きく、非公認が「見せかけ」の措置に映っているのは間違いない。
選挙戦最終盤になり、混乱に陥ったのは、裏金問題への国民感情を読み誤ってきたからだ。肝心の実態の解明には後ろ向きで、基準があいまいなまま、12人を非公認、34人を公認する中途半端な対応が尾を引く。今回も野党や世論の反発を予測できなかったとすれば、党内ガバナンスの機能不全は深刻だ。
首相が掲げる「納得と共感の政治」にほど遠い状況で、有権者の審判の日が迫る。
「裏金非公認」に2000万円 けじめは見せかけなのか(2024年10月25日『毎日新聞』-「社説」)
![キャプチャ](https://blog-imgs-173.fc2.com/t/a/m/tamutamu2024/20241025044805592.jpg)
公認候補の場合、内訳は公認料500万円と、党勢拡大のための活動費1500万円だった。非公認候補には活動費だけで2000万円が渡っていた。
今回の交付金支給は、非公認候補への救済措置だとみなされても仕方がない。
裏金問題への批判の高まりを受け、衆院選では党から非公認とされた10人が無所属で立候補した。公認料が受けられないほか、ポスターの枚数や政見放送などに制約がある。首相は「どんなにつらいかは百も承知だ。甘いとは考えていない」と述べていた。
裏金問題をきっかけに、制度の抜け道を使った不透明なカネ作りの手法に批判が集まった。改正政治資金規正法もなお多くの課題を残している。
口だけの反省で「政治とカネ」の問題に正面から向き合わなければ、政治不信は拭えない。そうした姿勢も総選挙で審判を受けることを首相は自覚すべきだ。
自民党が衆院選公示直後、裏金事件で非公認とした候補が代表を務める党支部に2千万円を支給していた。公認候補の支部に支出した公認料・活動費の合計と同額。裏金に関わった前議員を非公認としながら、公認候補と同等に扱うのは、有権者を欺くに等しい。
森山裕幹事長は2千万円を党勢拡大のための活動費として支給したと認めた上で「候補者に支給したものではない」とのコメントを出した。石破茂総裁(首相)は24日の街頭演説で「選挙に使うことは全くない」と強調した。
しかし、選挙期間中に党勢拡大のための活動と選挙運動を明確に区別することは難しい。党支部の資金は代表の裁量で支出できるとされ、引き続き代表を務める非公認候補を支援するために支出したと疑われて当然だ。
2千万円の支給に充てた政党交付金は国民1人当たり年250円を負担する税金が原資。税金の使い方として到底、許容できない。
石破氏は、裏金問題に厳しい姿勢で臨むとして、非公認を決めたのではなかったのか。
非公認候補の応援に、総裁選候補だった元党幹部や閣僚経験者が入る事例も目立つ。「クリーンな政治」を掲げる公明党が裏金に関わった非公認2人を推薦したことも理解しがたい。非公認は有名無実化している。
有権者を欺くような著しい言行不一致が繰り返されれば、政治に対する国民の信頼を回復することなどできるわけがない。
仮に、非公認候補を支部代表から外す手続きを取る時間的な余裕がなかったと言うのであれば、その責任も国会論戦で十分な判断材料を示すとの主張を翻し、解散を急いだ石破氏自身に帰すことも忘れるべきではない。
10年余の自民党「1強支配」に安住し、止められなかったのが裏金事件だ。政治に対する国民の信頼が失われれば、どんな政策も円滑に遂行することはできない。
自民党が生まれ変わると考えて引き続き政権を託すのか、もしくは、野党の議席を伸ばして政治に緊張感を持たせるのか、それとも一気に政権交代を迫るのか。27日の衆院選は、私たち有権者が厳粛な審判を下す機会である。
公認候補の支部と同額である。非公認というペナルティーを科したようでいて、公認同等の資金援助をしている―とみられても仕方がない。公認候補の支部では2千万円に含まれる500万円の公認料分も差し引いていない。
森山裕党幹事長は「候補者に支給したものではない」「党の組織として、しっかり党勢拡大のための活動をしていただきたいという趣旨」などとコメント。石破茂首相は「(支部長の)選挙に使うことは全くない」とした。
比例票掘り起こしなどで政策をPRする資金と言いたいのだろう。確かに違法な支給ではない。
ただ、候補者の選挙に使わぬといっても、実際の運動や活動で「これは候補」「これは党」と厳密な線引きができるのだろうか。そもそも、党が選挙で公認できない人物を党支部の代表にとどめておくこと自体、適切だろうか。
裏金議員の公認は対応が揺れた。当初は「原則公認を検討」と伝えられたが、世論の反発が強いと見た首相は非公認を拡大、公認でも比例代表との重複立候補は認めなかった。
関係議員34人を公認、12人を非公認としたが、非公認の判断基準は「地元理解が進んでいない」などと不明瞭だった。早期解散による短期決戦に持ち込む戦略上、時間をかけるわけにいかず、首相らが個別の選挙区情勢も見た上で短期間で決めた。
党内の不満は高まる。逆風の情勢下、非公認候補も当選させ、追加公認したい事情もあるのだろう。資金まで止める厳しい対応は取れなかったのではないか。世論の動きと選挙後の党内運営をてんびんにかけた「不徹底」「甘さ」がここにも見て取れる。
石破首相は街頭演説で「このような時期に報道が出ることに憤りを覚える」と猛反発。党内向けの説明文書でも、同紙の報道について「事実を曲解し、誤解を誘導する」と批判している。
矛先を報道に向けるのは筋違いだろう。裏金問題が発覚したのは昨年冬だ。この間、党内調査も処分も説明も不十分なまま、場当たり的に形を取り繕ってきた姿勢を改めて省みるべきだ。