元暴力団組長が出資し、袴田事件の冤罪を訴えた「実録映画」の「知られざる秘話」…袴田巖さんを演じた「主演俳優」のハマりっぷり(2024年10月23日『現代ビジネス』)

主演俳優が逮捕
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『BOX 袴田事件 命とは』DVDジャケットより
それは58年目の無罪判決だった。1966年6月30日、静岡県清水市で起きた「袴田事件」──味噌製造会社の専務一家4人が犠牲となった強盗殺人放火事件の容疑者として従業員の袴田巖が逮捕される。当時30歳の元プロボクサーに「死刑」の裁きが下され、あまりにも長い拘禁生活が始まった。
 
2024年9月26日、裁判のやり直しを行う再審公判において静岡地裁は「証拠には3つの捏造がある」として、でっち上げを認定。88歳にして袴田の冤罪が証明された。半世紀以上にわたり弟を支えてきた姉・袴田ひで子や弁護団事務局長の小川秀世は、記者会見でよろこびを語った。
10月8日、検察は控訴を断念し、検事総長の畝本直美は不服を隠さない談話を発表。袴田事件についてはいくつものノンフィクションやテレビ番組、そしてドキュメンタリー映画が送り出されている。10月19日からは『拳と祈り 袴田巖の生涯』が東京・ユーロスペースなどで上映されており、全国のミニシアターで順次公開予定だ。
さかのぼること14年、2010年にも本件を扱ったドラマ仕立ての実録映画が公開されている。その名は『BOX 袴田事件 命とは』──萩原聖人新井浩文によるダブル主演であり、これまたユーロスペースで上映された。
一審の死刑判決に関わりながら苦悩し、後年「無罪という確信」を告白した元裁判官・熊本典道を萩原が演じ、袴田巖には新井が扮した。映画『青い春』(02年)の不良役でブレイクした新井、その容姿は「ボクサーくずれ」という偏見を受ける役どころにぴったりであり、持ち前のナチュラルさとともに死への恐怖を体現した。
公開時の2010年は袴田の死刑判決が下されたままであり、再審が開始されて釈放されたのは4年後のこと。『BOX 袴田事件 命とは』というタイトルが示すように、人が人の命を裁くことへの疑義を呈した社会派映画であり、袴田の冤罪を主張した。
しかしDVD化されたのち各地で自主上映が続くものの、近ごろ主流の動画配信サービスに本作は見当たらない(10月20日現在)。いまこそ見返すべき映画ながらAmazon Prime Video、Netflix、U-NEXTほか、どこにも『BOX』はない。
さかのぼると2019年2月、袴田役の新井浩文が派遣マッサージ店の女性従業員に対する強制性交の容疑で逮捕されている。公私ともに際どい言動が持ち味の俳優が一線を踏み外したことが露見し、懲役4年の実刑が確定。逮捕直後には主演映画『善悪の屑』の公開中止が発表されるなど、関連作の配信停止や番組打ち切りが相次いだ(ただし現在まで配信中の作品も多数ある)。
袴田事件映画化の構想
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写真:現代ビジネス
『BOX 袴田事件 命とは』は大手映画会社によるメジャー作ではなく、その成り立ちはいささか珍しい。かつて『松川事件』(61年/監督:山本薩夫)のように左翼系の団体、あるいは独立プロがカンパをもとに冤罪を訴える作品を送り出して社会運動とリンクしたが、「BOX製作プロジェクト」という製作委員会が組まれた本作は、また別角度からのアプローチで実現している。
主要スタッフのうち、「企画」としてクレジットされているのは「忠叡」。まるで僧侶のような名前だが、その本名は後藤忠政……後藤組(山口組二次団体)の元組長であり、3億円の私財を映画に投じたという。
武闘派の経済ヤクザたる後藤組は、本拠地の静岡県富士宮市創価学会と対立、民事介入暴力を扱った映画『ミンボーの女』(92年)の公開に際しては監督の伊丹十三を襲撃した。そのほか後藤と芸能人の幅広い交友関係も報じられている。
2008年、山口組からの除籍処分を受けた後藤忠政は、得度して忠叡を法名に。闇の存在だったが、2010年には告白的自叙伝『憚りながら』(宝島社)を出版し、累計22万部突破のベストセラーとなった。
同書では『BOX 袴田事件 命とは』についても言及しており、まず地元の静岡県で起きた事件として「ずっと引っかかるものがあった」。そして趣味が高じて「以前から映画を作りたいと思っていたんだ」という後藤は、肝臓がんでの余命宣告を受けたことも相まって袴田事件映画化の構想を練っていった。
新右翼のカリスマ」との関係
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写真:現代ビジネス
後藤忠政にとって「生涯の友」は野村秋介──新右翼のカリスマ、あるいは教祖と呼ばれた活動家である。横浜の愚連隊出身ながらバブル期にはヴェルサーチのスーツを着こなしてメディアに登場し、従来の「右翼」のイメージを覆す存在となった。
野村は映画プロデューサーにも進出。二・二六事件を題材にした『斬殺せよ 切なきもの、それは愛』(90年)とチンピラもの『撃てばかげろう』(91年)を立て続けに送り出し、それぞれ東映系で全国公開された。そこには盟友である実業家、サムエンタープライズの盛田正敏のバックアップがあった。バブル景気と修羅場の絆で誕生した『斬殺せよ』にはビートたけしも出演、かつて野村に危機を救われた縁から新党「風の会」結成の記者会見にも出席している。
俺に是非を説くな激しき雪が好き──そんな句を詠んだ野村秋介は1993年10月20日朝日新聞東京本社役員応接室を訪れ、両手の拳銃によって自決する。前年、新党を率いて国政に挑んだ際、山藤章二が『週刊朝日』のイラスト連載において「風の会」を「虱(しらみ)の党」と揶揄。そのことに激怒して抗議を続け、かねて朝日の思想信条に異議があったことなどから直接行動に出たという。
野村自決後もその意志を受け継ぐものたちが映画業界で活躍。やがてサム系列のプレイビルパブリッシャーズからエロVシネや実録ヤクザVシネを連発して、レンタルビデオのヒットメーカーに。後者では組長の葬儀といった実際の映像が提供されており、「実録ゆえ実名」をウリに現役の暴力団組長までもがペンネームで作品づくりに乗り出した。
芸能界との交流も盛んな後藤忠政は、そんな野村や後継者の姿を見ていたことだろう。『BOX 袴田事件 命とは』を製作するにあたって、野村門下生で「俺の堅気の若い衆」という夏井辰徳に脚本をオファー。夏井は『獅子王たちの最后』(92年)でデビューしたのち、本作が2本目の映画となった。
哀川翔×錦織一清暴力団新法施行直前のチンピラふたりを描いた『獅子王たちの最后』は野村秋介が「監修」を務めており、前作『獅子王たちの夏』(91年)も同様だ。そして、この二部作を手がけた高橋伴明こそ、『BOX 袴田事件 命とは』の監督である──。
反体制の社会派志向
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60年代後半、学生運動によって大学除籍となった高橋伴明は、アナーキーなピンク映画からのし上がってメジャーな存在となり、東映Vシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』(90年)で哀川翔をスターへと押し上げた。
そして夏井辰徳からの依頼で『BOX 袴田事件 命とは』に参加し、共同で脚本を執筆。ピンク映画時代から高橋の作品は反体制の社会派志向を呈しており、三菱銀行籠城事件をモチーフにした『TATTO<刺青>あり』(82年)で一般映画に進出したあとのフィルモグラフィーは幅広い。
近作ではコロナ禍の渋谷ホームレス女性殺人事件をもとに衝撃の結末を叩きつけた『夜明けまでバス停で』(22年)が注目を集め、2025年には新左翼の活動家・桐島聡の逃亡生活を描いた『桐島です』の公開が予定されている。
連合赤軍事件を扱った『光の雨』(01年)では、同名の劇中映画のメイキングディレクター役として萩原聖人が主演。90年代のトレンディドラマでおなじみ甘いマスクと優柔不断ぶりを生かし、『BOX』の裁判官・熊本役においても「迷える」存在感が遺憾なく発揮された。妻に葉月里緒奈という意外なキャスティングや石橋凌演じる刑事の苛烈な取り調べも見ものだ。
後藤忠政が出資した『BOX 袴田事件 命とは』だが、実際の制作とDVDの販売元はGPミュージアムが担当。90年代半ばにビデオ業界に参入したミュージアム(当時)は、大阪を拠点にヤクザとエロの二本柱でたちまちVシネを制覇した新興勢力であり、2000年代に入ると「実録もの」を大量リリース、前述のプレイビルと組んで任俠系のドキュメンタリーまで量産していた。
その後、暴力団排除条例の施行もあって実録路線は下火となり、2011年にはGPミュージアムソフトからオールインエンタテインメントへ社名変更。現在は関連会社のライツキューブを主体に、本宮泰風×山口祥行の「日本統一」シリーズや女性コンビの殺し屋もの「ベイビーわるきゅーれ」シリーズが人気を博している。
実録ヤクザVシネのデラックス版
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写真:現代ビジネス
かくして元暴力団組長の総指揮によって「実録」と縁深い作り手や組織が集まった『BOX 袴田事件 命とは』が生まれ、袴田巖の無実を訴える唯一の劇映画となった。このタイミングで配信がないのは残念だが、草の根の上映は続いており封印されたわけではない。忘れ去られることなく、新たな展開を望みたい。
なお、後藤忠政の半生は『無頼』(20年/監督:井筒和幸)として映画化されており、EXILE松本利夫後藤忠政ならぬ「井藤正治」を演じて、およそ2時間半の任俠ロマン一代記となっている。
後藤組との交流について「俺がヤクザとゴルフしたからって、誰が困るってんだよ」という啖呵を切った小林旭の代表曲「熱き心」を後藤、いや井藤が歌うシーンが見せ場として用意され、 芸能界との関わりもちらり。ラストはカンボジアでの慈善事業と子供たちの笑顔で締めくくられた。
『BOX』のように企画の成り立ちは明らかにされてないが、2000年代に地下鉱脈のごとく湧き出た実録ヤクザVシネのデラックス版という様相であり、しかしコンプライアンスの問題か、公開時の宣伝にあたってモデルの存在は伏せられた。
筆者が新宿・ケイズシネマで『無頼』を観賞した際は、かなり寂しい入りだったが、その筋らしき客がポツンポツンと見当たり、スリリングな空間であったことを思い出す。いまはなき銀座シネパトスで『BOX』を見たときも、はっきりガラガラであった。しかし、袴田巖の無罪が確定した今こそ注目されるべき映画なのは間違いない。出資元への是非を説く声もあるだろうが、そんな裏側もふくめて「映画」というジャンルの一筋縄ではいかない多様性が示されている。
 
『BOX 袴田事件 命とは』
企画:忠叡/エグゼクティブプロデューサー:後藤正人/脚本:夏井辰徳、高橋伴明/監督:高橋伴明/出演:萩原聖人新井浩文、葉月里緒奈、大杉漣岸部一徳塩見三省石橋凌ほか/製作:BOX製作プロジェクト(2010年/117分)
高鳥 都(ライター)
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萩原聖人高橋伴明監督が「BOX」通じえん罪の重み訴える(2010年5月18日『 映画.com』)
 
 
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モントリオール映画祭にも出品が決定
[映画.com ニュース] 高橋伴明監督が実在の「袴田事件」を映画化した「BOX 袴田事件 命とは」の完成披露試写会が5月18日、東京・有楽町朝日ホールで行われ、主演の萩原聖人新井浩文、高橋監督が舞台挨拶に立った。
同作は、味噌製造工場の専務一家4人の他殺体が発見され、元ボクサーで工場従業員の袴田巌が容疑者として逮捕された事件を、膨大な裁判資料をもとに構成したドキュメンタリータッチの人間ドラマ。無罪を確信しながら死刑判決を下さなければならない若い裁判官の苦悩する姿を通し、えん罪の重さを問いかける。
萩原は、「光の雨」以来の高橋監督との顔合わせに「この作品に参加し、これからの俳優人生とかでなく残りの人生を生きていくうえで大切なものを感じることができた。僕のキャリアでは決して伝えきれない苦しみや憤りや悲しみ。とにかく体当たりで監督の胸に飛び込んだ」と述懐。袴田役を演じた新井は、「元ボクサーという役なので体作りだけは徹底した。見てもらえれば分かる」と自信をのぞかせた。
今年のモントリオール世界映画祭コンペティション部門に正式出品が決まっている同作。高橋監督は「『おくりびと』『ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ』に続けるか分からないけど、結果をお楽しみに。えん罪は人が犯す罪の中で最も大きな罪のひとつ。とても重い映画だけど、司法制度の問題点や人は間違えるということをよく考えてほしいと思う」と観客に語りかけた。
また、萩原演じる裁判官のモデルとなった袴田事件の元主任裁判官・熊本典道さんも登壇。「私が問題の熊本です。当時、どうしても袴田君を無実だと結論づけることができなかった。袴田君を獄中から救うために、一生心を注いでいきたい」と言葉を詰まらせながら必死に訴えていた。
「BOX 袴田事件 命とは」はスローラーナー配給で、5月29日から公開。