託されたのは歴史、神宮外苑の再開発(2024年10月23日『産経新聞』-「産経抄」)

東京・明治神宮外苑のイチョウ並木
 歌人若山牧水は酒と旅をこよなく愛したほかに、樹木への造詣も深かった。とりわけ松への思い入れは強かったようである。<松原の茂みゆ見れば松が枝に木がくり見えて高き富士が嶺>をはじめ松に想を得た歌も多く残した。
▼晩年は、景勝地として名高い千本松原(静岡県沼津市)の近くに一家で移り住んだ。松原の一部に県の伐採計画が持ち上がった時など、筆を尖(とが)らせて非を鳴らしている。伐採は、「眉を落し頭を剃(そ)りこぼたるるに等しい」(『沼津千本松原』)と。
▼牧水の論陣が効いたのか、計画は中止になったと聞く。佳景は一度失われてしまえば、簡単に元に戻すことができない。樹木との対話は、それゆえに慎重を期す必要がある。緑の豊かな東京・明治神宮外苑はどうだろう。再開発に伴う樹木の伐採が、近く始まる見通しとなった。
▼当初の伐採計画に地域住民らが反発し、ユネスコの諮問機関が「文化遺産の不可逆的な破壊だ」と再開発の中止を求めたのは約1年前だった。事業者側は伐採本数を減らし、植栽の数を増やすなどした工事内容の変更を示し、計画を進めるという。
▼名物のイチョウ並木は、近くに建つ新球場の外壁をずらすことで保全が図られる。黄葉の季節を前に、景観論争は一区切りとなるのだろうか。明治神宮を収益面で支える神宮球場は、老朽化が進み建て替えが急がれる。事業者が難しい舵(かじ)取りを迫られていることに変わりはない。
明治天皇昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えるため、国を挙げた事業として文化・スポーツ施設を整備した外苑は、明治神宮への奉献から再来年で100年になる。事業者に託されたのは再開発の図面だけではない。わが国の大事な歴史も委ねられている。
 
無論、松原全体を伐らうといふのではない。右云うた甲州街道から北寄りの沼津市内に属する部分を伐らうといふのである。然(しかり)而(しこう)して其処は実に東西四里にわたる松原のうち最も老松に富み、最も雑木が茂り、最も幅広く、千本松原の眼目とも謂ふべき位置に当るのである。此処を伐られてはもう千本松原は日本一の松原ではなくなる、普通の平凡な一松原となり終るのである。
 流石(さすが)に沼津も騒ぎ始めた。沼津として此処を伐り払はるゝ事は全く眉を落し頭を剃りこぼたるるに等しい形になるのである。また、静岡県としても此処を伐つて幾らの銭を獲むとしてゐるのであらうか。幾らの銭のために増誉上人以来幾百歳の歳月の結晶ともいふべきこの老樹たちを犠牲にしようといふのであらうか。
 私は無論その松原の蔭に住む一私人としてこの事を嘆き悲しむ。が、そればかりではない。比類なき自然のこの一つの美しさを眺め楽しむ一公人として、またその美しさを歌ひ讚へて世人と共に楽しまうとする一詩人として、限りなく嘆き悲しむのである。まつたく此処が伐られたらば日本にはもう斯の松原は見られないのである。豈(あに)其処の蔭に住む一私人の嘆きのみならむやである。
 静岡県にも、県庁にも、また沼津市にも、具眼の士のある事を信ずる。而して眼前の些事に囚はれず徐に百年の計を建てゝ欲しいことを請ひ祈るものである。
(九月六日、徐(おもむ)ろに揺るる老松の梢を仰ぎつゝ)