【紀州のドン・ファン】一時はマスコミから“犯人扱い”されたお手伝いさん、裁判に出廷しなかった理由(2024年10月16日『JBpress』)

キャプチャ
2018年5月25日、「紀州ドン・ファン」野崎幸助氏が急死した翌日の夜、和歌山県警の刑事に妻だった須藤早貴被告(左)が任意同行を求められた瞬間。中央がお手伝いの大下さん(写真:吉田 隆)*写真は一部加工しています
 「紀州ドン・ファン殺人事件」で注目を集めていた証人はついに裁判に出廷しなかった。というより「できなかった」というのが真実に近いだろう。10月8日の第10回公判に“彼女”の姿は無かった。
 
 「証人とは事件の現場にいて遺体を発見した早貴被告と一緒にいた“お手伝いさん”です。事件を知るキーマンだということで、各社とも彼女に取材をしたかったのですが、どうしても連絡が取れなかった。それでも、他社に抜かれるような事態も起きなかったので、そこは一安心でしたが……。
 だから裁判に出廷したらそのときにインタビューをしようと思っていたのですが、出廷しなかったのは残念でした」(司法担当記者)
 10月8日、公判では彼女の“供述調書”が読み上げられた――。
■ ドン・ファンの資産、一説には30億円
 検察が読み上げた調書によれば、野崎氏は早貴被告が添い寝をしてくれないことなどに不満を抱いていた。そこで野崎氏は結婚早々の早貴被告に離婚届を突き付け「お前とは離婚だ」「悔しかったら破いてみろ」と迫ったことがあったという。
 またお手伝いさんは「(野崎氏が)死んだら遺産もらえる?」と早貴被告から聞かれたことがあったということで、「遺産目当てで社長に近づいたのではないかと思った」とも供述していた。
 11月まで25回にもわたる予定で和歌山地裁で開かれている「紀州ドン・ファン殺人事件」裁判だが、まずは事件のことをおさらいしてみよう。
 18年5月24日の22時過ぎ、和歌山県田辺市の資産家野崎幸助氏(享年77)の遺体が自宅2階の寝室で発見された。死因は覚醒剤の多量摂取であった。野崎氏は何者かによって覚醒剤を飲まされた疑いが濃厚だった。
 そして事件からおよそ3年後の21年4月、警察が殺人の疑いで逮捕したのは、妻の早貴被告だった。その早貴被告の裁判が、今年の9月から裁判員裁判として始まった。判決は12月12日に下りる予定だ。
 野崎氏は自伝『紀州ドン・ファン』(講談社+α文庫)を16年12月に上梓しているが、同書の中で、過去に美女4000人に30億円を使ったと豪語し、「一億円なんて私にとって紙屑みたいなもの」との“迷言”でも知られていた。
 財を成したのは貸金業であったが、その後は和歌山県内や三重県を販売エリアとする酒類販売業「アプリコ」を経営していた。2度の離婚歴があるが、子どもはおらず、愛犬イブと自宅で暮らしていた。資産は30億円とも言われる。
■ 六本木でドン・ファンと知り合ったお手伝いさん
 野崎氏は一種の「結婚したい病」であったようだ。好みのタイプは、20代の背が高く、メリハリのあるボディラインの女性ということで、そうした女性と知り合いアプローチをかけてみても、途中までは上手くいくが最後の入籍の段階になると尻込みされ逃げられてしまうことが続いた。そうした中、2017年の12月に出会ったのが、当時22歳の早貴被告である。2人が入籍したのは18年2月8日、実に年の差55歳の夫婦の誕生だった。
 ただ、東京在住だった早貴被告は、入籍当初は「仕事の整理があるから」と田辺の野崎氏宅に寄り付かず、たまにやってくるだけだった。これに業を煮やした野崎氏が、離婚をチラつかせたことで、ついに早貴被告も田辺市の自宅で同居するようになる。
 そして事件当時。田辺市の自宅で暮らしていたのは野崎氏と早貴被告、そして月に10日ほど東京から手伝い役で来ている70代に近い大下さん(仮名)の3人だった。
 今回のレポートの主役がこの大下さんだ。大下さんは東京・六本木で水商売を営んでいたが、その時に「同郷」という縁で野崎氏と仲良くなったという。正確にいえば、大下さんは田辺市と合併する前の中辺路町(なかへじちょう)の出身。野崎氏は田辺市の中心部で生まれ育っている。
 大下さんは若い頃、「将来は歌手になる」という夢を持って和歌山から上京したのだが、残念ながらその夢は叶わなかった。ただ、歌は玄人はだしであるという。その後、離婚を経験した大下さんは、六本木で商売をしながら、シングルマザーとして一人娘を育てあげた。その娘Aさんは、母の夢を代わりに叶えるように、大手レーベルからCDを何枚も出すシンガーとなった。
■ お手伝いさんの娘とも結婚したがったドン・ファン
 小学生時代からAさんを知っている野崎氏は、彼女のことも非常に可愛がっていた。美しく成長していくAさんに高級レストランで食事をご馳走しながら「将来はAちゃんと結婚したい」と口にすることもあったという。ところが、母親の大下さんは「冗談じゃない。あんなエロジジイと結婚なんて絶対にあり得ない」と断固反対したという。親しく付き合っていても、愛娘を嫁に出す相手としては論外だったということだろう。
 ただ野崎氏と大下さんには強い信頼関係があった。大下さんは野崎氏の酒類販売の会社「アプリコ」の役員になっている。これはいわゆる名義貸しであるようだが、信頼関係がなければ名義貸しを頼めるはずもない。
 また、大下さんは実父が田辺市内の病院に入院するようになったので、東京から地元にたびたび帰り、地元で暮らす妹と交代で看病のために病院に通っていた。その際には、野崎氏の田辺市の自宅に泊まり込み、野崎氏宅の掃除などをし、午後には病院に通うという生活をしていた。これが大下さんが一連の報道で、ドン・ファン宅の「お手伝いさん」と称される理由だ。
 野崎氏はアプリコの従業員であっても自宅寝室に足を踏み入れることを嫌っていた。うっかり近づこうものなら「泥棒呼ばわり」されるので、従業員も近寄ろうともしなかった。唯一の例外が、野崎氏の信頼が厚かった大下さんである。大下さんは掃除のために野崎氏が出勤後の寝室掃除を任されていた。
 大下さんについて、“ドン・ファン本”のゴーストライターをして、野崎氏と懇意だったジャーナリストの吉田隆氏が言う。
 「ドン・ファンの自伝を作るにあたり、彼のことを良く知っている方を何人か紹介してもらいましたが、その一人が大下さんでした。2016年ごろ、彼女とは何度も東京で会って繰り返しドン・ファンの武勇伝や商売のやり方などを聞かせてもらいました。その後、大下さんは父親の看病のために月の半分程度田辺に行くようになり、ドン・ファンから『自宅のお手伝いをしてくれないか』と誘われたんです。もちろん早貴被告との結婚前のことです。ゲストルームもあるので寝泊まりに不自由はなかったようです」
■ 事件発生当初、一部メディアから犯人視されたお手伝いさん
 陽気で、他人に対して細やかな気配りもできる大下さんだが、不意に野崎氏の殺人事件に巻き込まれてしまった。野崎氏の遺体発見当時、野崎氏宅にいたのは大下さんと早貴被告の2人だった。そのため、大下さんに疑惑の目を向ける取材陣もいた。
 事件発覚当初、野崎氏宅前で取材陣に直撃された大下さんは、「自分は無罪です」と訴えた。ただ、そのときに着用していたブラウスがブランド物であったために「お手伝いさんが、あんな高級なブランド物を着ているのはおかしい」とワイドショーのコメンテーターらは指摘した。あたかも、金銭目当てで大下さんが野崎氏殺害に関わったかのような言いぶりだった。
 だが大下さんがブランド物のブラウスを着ていたのには訳があった。事件のために田辺市での滞在が長くなり、またあわただしい毎日で洗濯もままならず、着替えがブランド物しか残っていなかったというのである。
 第一、大下さんが野崎氏の財産を狙っていたとしたら、娘のAさんを説得して野崎氏と結婚させれば、間接的にだが、堂々と法的な権利を手にできていたはずだ。しかし先にも述べたように、大下さんにはそんなつもりはサラサラなかった。
 あらためて野崎氏が遺体で発見された2018年5月24日の野崎氏宅の人の出入りを振り返っておこう。
 この日、大下さんは15時過ぎに野崎氏宅を出て、父親の病院に向かった。そして20時過ぎに野崎氏宅に戻る。これは自宅に設置されている8台もの防犯カメラで確認されている。検察は15時から20時までの間、自宅に野崎氏と早貴被告の2人しかい時間帯に早貴被告がドン・ファンを殺害したと見ている。
 検察側の冒頭陳述では上記3人の行動を詳しく追っている。
 15時13分 大下さん外出(以降、野崎氏宅には被告人と本人の2人きり)
17時58分 野崎氏が玄関から出て敷地内を歩く
18時1分 野崎氏が玄関から建物内に戻る(野崎氏の最終映像確認)
 その後、野崎氏は寝室のある二階に上がる
 20時7分 大下さん帰宅(以降、野崎氏宅には野崎氏、早貴被告、大下さん)
 その後、早貴被告は大下さんと一緒に1階で一緒にテレビを見るなどする。途中、早貴被告は2階からの物音で大下さんから2階に上がるように促されるも2階に上がらない
 22時36分 再度大下さんに促された早貴被告が2階に上がった後、すぐに1階に戻り野崎氏の異常を大下さんに伝える。早貴被告と大下さんがともに2階に上がり意識のない野崎氏を発見
 その後、早貴被告が119番通報、救急隊と警察が到着。死因は直ちには不明で解剖へ
 このような具合である。そして検察の冒陳では16時50分から20時0分ごろが犯行時間帯だとしているのだ。また冒頭陳述では18時1分に野崎氏の最終映像が確認されていたとしても、当時、野崎氏の体内に死因となった大量の覚醒剤が入っていた可能性があるとしている。もしカプセルで飲んだのなら、それが胃で溶けるまでに約40分の時間がかかるからで、覚醒剤を飲まされたのだとしたら最後に映像が確認された時間より40分程度前である可能性もあるということだ。
 こうして見てみれば、15時13分から20時7分まで野崎氏宅を不在にしていた大下さんが、野崎氏に覚醒剤を飲ませることなど不可能だということが分かる。では、大下さんと早貴被告が共謀していた可能性はどうだろうか。それも考えられない。
 早貴被告と大下さんが、一緒に何かをたくらむほど仲が良かったということはない。大下さんは、野崎氏のことを敬わない早貴被告の態度に不満を持っていた。また、18年4月から田辺にやってきた早貴被告は、それから市内の自動車教習所に通いはじめるのだが、その送り迎えを担当していたのは大下さんだった。そこで大下さんは、早貴被告から心無い言葉をぶつけられたという。
 前出の吉田氏が言う。
 「大下さんは他に買い物があり、教習所に迎えに行くのが10分ほど遅れてしまったことがあったそうです。そのとき『何やっているのよ、ったく使えないんだから』と早貴被告から凄い形相で文句を言われたそうです。あとで大下さんは『自分の娘よりも年下なのに……。娘にも生まれてこのかたあんな文句、言われたこともないのよ』とショックを受けた様子を語っていました。
 また大下さんによれば、早貴被告は掃除・洗濯などの家事は一切せず、大下さんを手伝うそぶりもなかったようです。『(早貴被告の)下着類を洗濯することも無かったのよ。というのもあの娘は一度履いたパンティーはそのままゴミ袋に捨てるから。一体どんな暮らしをしてきたんだろう』とも話していました」
■ 人前に姿を現さなくなったお手伝いさん
 このように野崎氏、早貴被告のことをよく知り、事件発生当日も現場にいわあせた大下さんは、マスコミがどうしても接触したい相手だった。事件発生直後は彼女に接触したメディアもいくつかあったが、その後、大下さんの行方はつかめなくなる。
 前出・吉田氏は、事件の翌日から野崎氏宅で寝泊まりし、早貴被告や大下さんから何度も当時の状況を聞いている。
 吉田氏に対して大下さんはこう語っていたという。
 「私が自宅に帰ってきたのは8時ごろ。早貴ちゃんはお風呂上がりだったようで髪が濡れていて、髪を乾かしながらリビングでテレビを見ていました。見ていたのは『モニタリング』(TBS系)の特番でした。いつもはタブレットでゲームをしているのに、この日はリビングでテレビを見ているなんて珍しいなと思いました。8時半ごろに『ガタン』と上の階から2回物音がしたので『早貴ちゃん、社長が呼んでいるんじゃないの』と言いましたが、彼女は2階には行きませんでした。結局10時すぎに早貴ちゃんは2階に上がり遺体を発見、慌ててリビングにいる私を呼び、一緒に2階に上がったんです」
 検察の冒頭陳述によれば早貴被告は犯行時間帯、すなわち大下さんが帰宅する前に少なくとも8回、2階に上がったとスマホの解析で断定をしている。
 覚醒剤を摂取したドン・ファンが苦しんでいるのを見るために上がったのか、それとも死んだのを確認するために上がったのか――その時の野崎氏の心情を思うと胸が苦しくなる。
 では、なぜ大下さんはその後、メディアの前に姿を現さなくなったのか。おそらく、当時の状況を正確に説明することが難しい健康状態になっていたのではないだろうか。
 吉田氏によれば、大下さんは野崎氏の生前から物忘れがひどくなり、買い物に行っても頼まれていた食材を買い忘れることがたびたびあったという。
 そんな大下さんを野崎氏は、「大下さん、認知(症)が入っているんやないか」と茶化すこともたびたびだった。また事件後に警察での事情聴取を受けたときも、供述がコロコロと変わるところがあり、記憶があやふやと思われていたようだ。
 そのため公判でも、検察側は大下さんの証人出廷を諦め、彼女の供述調書が読み上げることにしたのだろう。法廷で真実が明らかになるときまでに、大下さんが回復していることを祈るばかりである。
神宮寺 慎之介