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◆核兵器のない世界を唱えつつ、核に依存する矛盾
日本政府は米国の核兵器によって日本への攻撃を思いとどまらせる「核抑止」政策を取り続け、核兵器の保有や製造を禁じる核兵器禁止条約にも背を向けてきた。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞は、核兵器のない世界を唱えつつ、実際は核に依存する日本政府の矛盾をあらためて浮き上がらせた。
日本政府はこれまで核廃絶とは距離を置いてきた。広島・長崎の被爆から10年後の1955年に成立した原子力基本法には原子力の平和目的利用を明記。ビキニ環礁での核実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴びた6年後の1960年、日米安保条約改定とあわせて、核搭載艦船の一時寄港を黙認する密約を米国と結んだ。
◆被爆者の宿願だった核禁条約にも参加せず…
核抑止政策を明らかにしたのは1968年だ。佐藤栄作首相(当時)は国会で非核三原則に続けて、「国際的な核の脅威に対して、引き続き米国の核抑止力に依存する」と表明。その後も核抑止への依存を見直すことはなく、北朝鮮の核開発の進展と並行するようにむしろ強めてきたと言える。
2017年に国連で採択された核禁条約は被爆者の宿願だったにもかかわらず、政府は2021年に同条約が発効した後もオブザーバー参加すらしていない。
◆アジア版NATO創設を持論とする石破首相は
ことし8月の広島平和記念式典に出席した岸田文雄首相(当時)は「『核兵器のない世界』の実現に向けて努力を積み重ねていくことはわが国の使命」としつつ、同条約に言及しなかった。歴代首相は広島や長崎で被爆者らと面談し、核抑止政策の転換を求められても取り合わなかった。
北朝鮮にとどまらず核の威嚇を続けるロシア、中東での武力衝突など、核軍縮と逆行する動きが続く。この間、唯一の戦争被爆国を自任する日本政府は何をしてきたのか。被爆者の声をもう一度聞き、姿勢を改める時が来たのではないか。(大杉はるか)