9月26日朝、姉のひで子さんは弟の“潔白”を信じ、白の上着で裁判に臨みました。
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一方で、この日を一番待ち望んでいたはずの袴田巖さんは、死刑執行の恐怖と半世紀近い拘留による「拘禁症状」がいまも色濃く残り、出廷することができませんでした。
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<中井秀カメラマン>
「静岡地方裁判所上空です。歴史的な瞬間に立ち会おうと、多くの人が傍聴券を求め、列を作っています」
40席の傍聴席を求め、500人を超える人が並びました。1966年、静岡市清水区(旧清水市)でみそ製造会社の専務一家4人が殺害されたこの事件。警察は住み込み従業員の袴田巖さんを逮捕し、その後、死刑が確定しました。
袴田さんは、判決確定後も無実を訴え続け、2023年3月、東京高裁が再審を認めました。そして、2024年9月26日。
<LIVEしずおか 井手春希キャスター>
「事件から58年、弟の無実を信じ、訴え続けたひで子さん。弁護団とともに静岡地裁に入ります」
今回の再審で最大の争点となったのが、事件から1年2か月後に現場近くのみそタンクから見つかった「5点の衣類」です。
着衣に残っていた「血痕の赤み」について、検察側はみそ漬けされても血痕の赤みが残る可能性はあるとして死刑を求刑。一方、弁護側は「1年以上みそに漬かれば、血痕は黒くなり、赤みが残っているのは発見直前に捜査機関が証拠をねつ造したため」と無罪を主張していました。
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<社会部 山本太朗記者>
「無罪、無罪判決が出ました」
9月26日の判決では、1年以上、みそ漬けにされた場合は血痕に赤みが残るとは認められないと指摘。「捜査機関によって血痕をつけるなどの加工がされた」とまで言及しました。
また、捜査機関による取り調べについてもねつ造と認定。警察の連日にわたる長時間の取り調べで袴田さんは犯行を「自白」していましたが、26日の判決では、当時の取り調べは袴田さんに精神的苦痛を与え、供述を強制する非人道的なもので、実質的なねつ造と言及しました。
公判の最後、國井恒志裁判長は、出廷していた姉・ひで子さんに謝罪しました。
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「自由の扉は開けました。この裁判に、ものすごく時間がかかっていて、裁判所は申し訳ないと思っています」
<LIVEしずおか 井手春希キャスター>
「袴田巌さんに無罪判決という旗が出ました。ついに悲願が実る判決が出ました」
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<袴田さんの姉 ひで子さん(91)>
「本当に長い間、ありがとうございました。ありがとう」
<支援者>
「巖さん、いいことがあったって、いま連絡きました。いいことがあったそうですよ」
<袴田巖さん>
「さぁて」
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逮捕から58年。奪われた時間は、取り戻すことはできません。