終戦からまだ1年もたたない1946年7月、焼け野原が残る東京・西池袋に姿を現した山小屋風のしゃれたスタジオは、さぞ目立つ存在だっただろう。復員してきた俳優の野尻徹が設立し、演劇活動の拠点としたスタジオ・デ・ザールである
▲当時はまだ連合国軍総司令部(GHQ)の占領下で、建築許可を得るのも一苦労だった。深刻な食糧難の中、建築資材や人手の不足を乗り越えられたのは、医師だった父与顕(よしあき)ら家族の支援も大きかったという
▲文化復興のかけがえのない灯となったが、徹は48年1月に27歳で早世。志を継ぎ、俳優を養成しようと決意した父が創設したのが「舞台芸術学院」だ。校舎はスタジオ・デ・ザールだった(「俳優教育の歩み舞台芸術学院50年」より)
▲「舞芸(ぶげい)」の愛称で親しまれ、卒業生は1万人を超える。芸能界で活躍する人も多く、映画監督の山田洋次さんや作家の五木寛之さん、俳優の役所広司さんらも通った。俳優教育、文化芸術の発展に果たした役割は小さくない
▲この9月で76周年を迎えたが、2026年3月での閉校が発表された。コロナ禍で舞台芸術活動が制限され、触れる機会も減った。志望する若者が少なくなったことが響いたという。寂しいかぎりだ
▲校舎は新しい活動拠点を探していた創立70年の劇団青年座が受け継ぐことになる。学長で演出家の鵜山仁さんは「接ぎ木」に例えて夢を託す。焼け跡に咲いた演劇の花が、次はどんな見たことのない花を咲かせるのか。楽しみに待ちたい。
舞台芸術学院 教育活動終了のお知らせ
舞台芸術学院は2026(令和8)年3月を以て、俳優教育活動を終了致します。
舞台芸術学院は1948(昭和23)年に野尻与顕(のじりよしあき)によって創立されました。以降75年を超える歴史の中で舞台芸術はもとより映画、放送業界ほか多岐にわたり数多くの卒業生が文化活動に携わっています。
近年の新型コロナウィルスの流行により、舞台芸術を取り巻く環境が著しく悪化し、本学への入学者数も大きく減少致しました。厳しい運営状況が続く中、卒業生や関係者のご支援ご声援を戴きながら学校を運営して参りましたが、今後も募集を続けた場合これまで通りの授業を行えなくなる可能性があり、また戦後の焼け跡から文化的な役割を果たしてきたと思える事により、現在校生の卒業する2026年3月を以て閉校することと致しました。また、新しい活動拠点を探しておられた劇団青年座が閉校後、この場所で活動を行うこととなりました。
今後の予定として、これまで通り、教師と共に在校生が学ぶための環境作りを第一に、本学閉校の準備と青年座移転の準備を行って参ります。
以上、ご報告致しますと共に、今日まで支えて戴いた教職員、関係者の皆様、そして舞芸で学んだすべての卒業生に深く感謝を申し上げます。
学校法人舞台芸術学園 理事長 小林真
青年座移転のお知らせ
2024年9月7日
有限会社劇団青年座
青年座映画放送株式会社
〒151-0063東京都渋谷区富ヶ谷1-53-12
平素は格別のご厚情を賜り、厚くお礼申し上げます。
さてこの度、有限会社劇団青年座と青年座映画放送株式会社は事務所を下記の住所に移転することとなりました。
すでに報道等でご存知かと思いますが、専門学校舞台芸術学院様が2026年3月末日を持って75年の歴史を閉じられます。
その報を受け、舞台芸術学院とお話しをさせていただき、青年座がその歴史ある建物を引継ぎ、渋谷区富ヶ谷から移転することにいたしました。
現在、演劇の勉強をなさっている在校の生徒さんがいらっしゃいます。
全ての生徒さんが無事ご卒業されますように、段階的に移転を行います。
まず、2025年4月1日から事務所のみ移転いたします。
そして、2026年4月1日から稽古場を含め活動拠点を移転することになります。
心機一転、池袋の地で新たな歴史を刻んでいくこととなります。
劇団員一同より一層日本演劇の発展に努める所存でございます。
今後とも一層のご指導ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
新住所(2025年4月1日より)
〒171-0021
東京都豊島区西池袋3-5-19
※電話番号等は決まり次第ご連絡させていただきます。