お茶の水女子大学附属小学校、同中学校から筑波大学附属高校と、一貫して学習院以外に進学するという、皇族としては異例の選択をしている悠仁さま。現在高3で、東大進学も噂されている。その進路に国民の関心は高い。政治学者・原武史さんはどう見るのか。AERA 2024年9月9日号より。
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秋篠宮家の悠仁親王の「東大進学問題」ですが、一般入試で受験して合格すれば何の問題もないでしょう。しかし一般市民が中に入れない赤坂御用地をフィールドにした「トンボ論文」による推薦入学ですと、一般の高校生と条件が異なるうえに共同の論文ですから、本当の実力が分かりづらくなる恐れがあると思います。
近現代の皇室では、昭和天皇、現上皇、秋篠宮と3代にわたり、生物学の研究をしてきました。昭和天皇はヒドロ虫類と呼ばれる小さなクラゲと粘菌(変形菌)と植物の研究で知られています。現上皇はハゼ。秋篠宮はナマズです。だからトンボの研究も唐突な話だとは思いません。
東京都の立川に「昭和天皇記念館」があり、皇居内の生物学御研究所にある昭和天皇の研究室が忠実に復元されています。そこには愛用していた顕微鏡や書架、小さな水槽、植物標本などが展示され、天皇の研究が本格的だったことがわかります。
今回の進学問題の背景には、昭和天皇から代々続いてきた生物学者としての学統を受け継がせたいという秋篠宮の思いを感じます。そういう意味では、むしろ現天皇が研究しているイギリスの海上交通史、運河研究の方が異端と言えます。
昭和天皇には幼少期に滞在した沼津御用邸近くの海に打ち上げられた生物を拾った体験があり、東宮御学問所で生物を教えた東京帝大講師の服部広太郎の影響も受けました。つまり昭和天皇も間接的に東大と関係があるわけです。天皇自身、新種を発見し、海外でも高く評価されています。
現上皇は皇太子時代、学習院大学の政経学部(当時)に入学していますが、東大に行くという選択肢もあったようです。昭和天皇と宮内庁長官の田島道治が、皇太子の大学進学について話し合っている内容が『昭和天皇拝謁記』第1巻(岩波書店)にあります。
昭和天皇は、「大学は南原総長の間は東大はいやだから、学習院の方がよいと思ふ。南原がやめた後なら東大でもよいが……」(1950年9月1日)と話しています。「南原」は東大総長だった南原繁のことで、退位論を唱えていたため天皇が嫌っていました。しかし天皇は、皇太子が東大に行くこと自体を否定していません。南原は51年に東大総長を退任していますので、もし皇太子が東大を受験したいと言ったら認めたでしょう。
皇太子がエリザベス2世の戴冠式に出席すると卒業単位が足りなくなるという話が出た時に、昭和天皇は綺麗さっぱり学習院を退学した方が良いと強く主張し、結局皇太子は中退しています。大学で学んだことと、ライフワークとなるハゼの研究とは、全く結びつきませんでした。この点に関しては、学習院大学法学部政治学科に進学した秋篠宮も同様でした。
秋篠宮はそれを反面教師にして、悠仁親王には大学で本当に学びたいことを学ばせたいと思っているのではないか。しかしたとえ悠仁親王が東大に落ちても、昭和天皇が服部広太郎に直接教わったように、一流の先生を家庭教師にして生物学を学ぶことは不可能でないと思います。
そもそも天皇や皇族が大学まで学習院に通うようになったのは、新制学習院大学が開学した戦後になってからです。秋篠宮が2人の内親王の大学進学に際して学習院大学にこだわらなかったのは、こうした歴史を踏まえているからかもしれません。同じことは、悠仁親王についても当てはまると言えるでしょう。
(構成/ライター・本山謙二)
※※AERA 2024年9月9日号