物価高でチケ代高騰 二極化する「推し活」事情 これでも日本はまだ安い? #くらしと経済(2024年8月31日『Yahooニュース』)

 

「これまでよりも『推し活』にお金がかかるようになってきた」。20年以上アイドルグループのファンをしている40代の女性はそう話す。

チケット代やファンクラブ会費は値上がりするが、自分の収入が上がるとは思えない。

一方、チケット代高騰でも「観劇ペースは崩さない」という人もいる。物価高やエンタメにかかる費用の上昇は「推し活」にどのような影響を及ぼしているのか。

実際に「推し活」をしている人と、エンタメ消費に詳しい識者に聞いた。(取材・文:川口有紀/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

「推し活」でひと月20万円超 チケット値上がりも「観劇ペースは崩さない」

「本業が忙しいときは観る本数が減りますし、借金をしてまで観ようとは思いません。ただ、よほどのことが起こらない限り、今の観劇ペースを崩すことはないと思います」 中国地方に住む田中美香さん(仮名、45)の「推し活」は、演劇やミュージカル。

「推し」の俳優は数多くいるが、現時点での一番はミュージカル俳優の廣瀬友祐さんだ。 今年4月、ミュージカルファンがどよめいた。

帝国劇場(東京都千代田区)で上演される舞台『モーツァルト!』のチケット料金が、1万8500円(土日祝のS席)と発表されたからだ。

3年前、2021年の同公演・同席種の料金は1万4500円。約3割の値上げである。初演時(2002年)は1万2000円だった。SNSでは「高すぎる」「この価格だと何度も観られない」との声が上がった。

近年、ミュージカルや演劇公演のチケット代が上昇している。

しかし、田中さんは「推し活」のスタイルを変えていない。劇場でしか得られない価値があるからだ。

7月のある土曜日、東京・日比谷のシアタークリエで廣瀬さんが出演するミュージカルの昼公演と夜公演を観て、そのまま一泊。翌日、もう一度昼公演を観て、新幹線で地元に戻り、さらに翌朝、福岡へ移動。博多座で、劇団☆新感線の新作公演を観劇。豪華なステージングで有名な同劇団も、チケット料金は安くはない。

博多座の一等席は1万6000円。2020年の公演(コロナ禍で中止)は1万4500円だった。4年で10%の値上がりである。 田中さんの「推し活」記録を見せてもらった。

2023年の観劇回数は、トークショーなどの関連イベントも含め、約150回。

過去には180回を数えた年もあったという。2023年10月のスケジュールを見ると、廣瀬さん出演のミュージカルを東京で1回、大阪で2回、福岡・愛知・群馬で各1回観劇し、廣瀬さんのバースデーイベントにも参加。合間にもさまざまな舞台を観て、ひと月の観劇本数は12本だった。

遠征費(交通費・宿泊費)も含めると、使った金額は、昨年12月から今年5月までの半年で、平均して1カ月に20万9000円。

「廣瀬さんのほかに、古川雄大さんと大貫勇輔さん、新妻聖子さん、それからアイドルグループTOKIOと、俳優が多く所属する事務所の有料ファンクラブに入っているので、その会費も払っています。チケット代やホテル代が高くなっている実感はあります。

でも、観劇などの趣味以外にほとんどお金を使わないし、そもそも地方住まいなので、ほかに使う場所も機会も少ないんですよね」 田中さんは家族が経営する会社の役員を務めている。総務・人事・経理を一手に引き受けている。

地元に戻る前は、東京などで外資系企業の営業職を経験しており、今も必要とあらば営業もする。

「劇場通いは、日々の仕事を乗り越える原動力です。劇場や都市によっても空気感は変わるし、思いがけないハプニングが起こることもあります。

舞台上のキャストの演技にも日々変化があり、まったく同じということはありません。舞台の魅力は人間が生み出す圧倒的なパワーを生で感じられること。日常生活ではまず味わえないほど感情を揺り動かされること

。何度も観た作品でも、年齢を重ねてから観ると新たな感動を得ることもあるし、感情移入してしまう登場人物が変わってくることもある。舞台を通じて仕事のアイデアが浮かぶこともある。推しの俳優は、そういう体験をさせてくれる大切な存在なんです」

多様な「推し活」ライブやイベントへ積極的に支出するのはおよそ3割
「推し活」に使う金額として、田中さんの「ひと月20万円」は相当多いほうだ。

楽天インサイトが2023年10月に実施した「推し活に関する調査」によれば、1年間で「推し活」に使っている金額は、「5,000円未満」が最も多く、22.3%。次いで「5,000~10,000円未満」「10,000~20,000円未満」で、それらを合わせて全体のおよそ半数を占める。

そもそも、「推し活」をしている人はどれくらいいるのか。

博報堂が2024年2月に発表した調査(HAKUHODO & SIGNING「OSHINOMICS Report」2024.02)によると、各性別年代が均等になるように選んだ5万人のうち、「推しがいる」「推しがいると思う」と答えたのは34.6%。およそ3人に1人だ。

ひと口に「推し活」といっても、中身は多様だ。同調査によれば、実際に行っている行動で最も多いのは、「公式のグッズや商品を購入する」。次いで「公式のSNSアカウントをフォローする」「公式のYouTubeアカウントをフォローする」「出演しているテレビ番組やラジオを視聴する」となる。「推しはいるけど、お金は使わない」という層も一定数いる。

一方、「公式ファンクラブに入る」「近場で実施されるライブ・フェス・リアルイベントに参加する」と答えた人は、「推し活」にお金を使う人のおよそ30%。「投げ銭する(注:ライブ配信などで金銭を送る)」「『推し』にプレゼントを贈る」と答えた人は、それぞれ7%前後。

最近は、生活が破綻するほどの出費をするなどの「推し活」の危険性が指摘されるが、ひと月の支出額は上述のとおり5000円から1万円がボリュームゾーン。「推し」の対象が舞台やコンサート、ドラマや映画、アニメなどなんらかのコンテンツとしてパッケージされていれば、そこまで箍(たが)の外れた消費にはなりにくい。「推し活」に興味のない人には、同じ作品を何回も観るのは奇異に映る

「推したい気持ちに財布が追いついていかない」コロナ禍と物価上昇の影

Shinさん(撮影:編集部)

チケット代の値上がりや物価の上昇で、「推したい気持ちに財布が追いついていかない」という人もいる。

神奈川県在住のShinさん(40)は、中学生のころからアイドルグループV6(2021年に解散)のファンとして、今でいう「推し活」をしていた。現在は、メンバーが手がける完全予約制のコンセプトカフェ(東京都渋谷区)に週に1度のペースで通い、飲食やグッズ購入をしている。一回に使う金額は平均2500円。

以前は、ライブに通うのはもちろん、CDや関連グッズが発売されると、同じ商品を「保存用・使う用・予備」と3つ購入。今でも倉庫を借りて保管している。

「近年で一番お金を使ったのは、2021年のV6解散の年ですね。グループ活動最後となる全国ツアーはもちろん行きましたし、ツアーグッズも買いました。翌年の春に解散ライブを収録したブルーレイディスクが発売されたんですが、特典違いで3種類あったのも全種類買いました。それを観るためにテレビもブルーレイデッキも買い替えました。1年間で使った金額は120万円くらいだと思います」

V6解散後、同じ事務所のほかのグループを推そうと思い、2グループのライブに行ってみたが、V6に注いでいたほどの情熱には至らなかった。

Shinさんは夫と二人暮らし。フリーランスでライター業や翻訳業を請け負いながら、アルバイトもしている。コロナ禍で仕事を失う経験もした。そのときは、以前アルバイトをしていたコンビニで、帰国した外国人スタッフの代わりに勤務して生活費を得た。

この1、2年は、物価の上昇をひしひしと感じている。

「バナナが1袋98円だったのが148円とか。お米は5キロ入りで600円ぐらい値上がりしました。常に『誰かを推したい』という気持ちはありますが、財布が追いついていかない。夫は『好きなことにはお金を使っていいよ』と言ってくれているし、子どももいないので、自由に使えるお金はあると言えばある。でも、自分の将来や老後のことを考えると、もしものために備えておかなくてはという気持ちが強いです」

「未成年が参加しにくく」「作品の質に厳しくなった」値上げの副作用
熱心に「推し活」をしている人たちは、自分が推している「界隈」(アイドルや宝塚、K-POPといったジャンルのこと)の料金システムを、ある種クールに観察している。

前出のShinさんは、「これまでよりも『推し活』にお金がかかるようになってきた」と感じている。

「旧ジャニーズ事務所のアイドルのファンは、『ファミリークラブ』という事務所運営のファンクラブに入っていました。年会費は4000円。ライブチケット代も、今思うと安かったです」

Shinさんの「推し活ノート」。アイドルだけでなく、スポーツチームも「推し」の対象(撮影:川口有紀)

例えば、2010年から2012年までの嵐のライブチケット代は、ファンクラブ会員なら、国立競技場公演でも7000円だった。公式グッズも比較的低価格で、うちわが700~800円、ペンライトも、最近は2000円を超えるが、2010年代は1000~1500円だった。未成年でも参加しやすい土壌がファンの裾野を広げていた。

「少しずつですが、グッズの値上がりは感じます。ファンクラブの会費もばかにならなくて、V6解散後、退所した岡田准一さん、森田剛さん、三宅健さんがそれぞれファンクラブを持ったんですが、どれも年額4500円以上。残りの3人は(旧ジャニーズ事務所から継続する)ファミリークラブなので、全員分入るとこれまでの4倍以上のお金がかかってしまう。全員追いかけるのは諦めるしかないですよね」

エンタメコンテンツの値上がりは、ファンを経済力でふるいにかける。とりわけ初心者にとっての「推し」への入り口を狭めかねない。

前出の田中さんは、チケット代が高くなった分、評価に厳しくなったという。

「チケット代が高くなった分、作品のクオリティーに反映してほしいという気持ちは強くなったかもしれません。正直、キャストの演技力や歌唱力・舞台セットの質にテンションが下がることもあります。また、S席なのに後ろのほうの席だったり、見えづらい席だったりすると、以前よりもがっかりすることはあるかも。必死にスケジュール調整してファンクラブで何カ月前も前から購入しているのに、一般発売後に購入した人のほうが前の席だと、チケットの販売方法にもモヤッとします」

田中さんはそういった不満をSNSに書き込んだりはしないが、なかにはかなり辛辣な言葉で、作品に対するネガティブな意見や、座席や劇場環境への不満を書き込む人もいる。

コンテンツを供給する側にも事情がある。小劇場出身で、商業演劇2.5次元舞台の演出も手掛ける演出家は、チケット代高騰の理由をこう語る。

「舞台にかかる経費が上がっているんです。人件費はもちろん、ガソリンの高騰で輸送代や光熱費が上がっていますし、大がかりな舞台セットが必要になるものだと、ロシアによるウクライナ侵攻と円安の影響などもあって、輸入機材や資材の価格が上がっています。特に舞台美術用の輸入木材が高騰していて、セットに木を使うものは、以前に比べて2倍のコストがかかっています」

「再演が見込まれる場合、舞台セットを保管しておく必要がありますが、倉庫の料金も軒並み値上がりしています。廃棄して新たに作

り直そう、そのほうが低予算で済むから、と判断する場合もあるほどです」

「上げてみたら客が離れなかった」価格の多様化で安い興行の登場も


中山淳雄さん(本人提供)

エンタメコンテンツ、特にライブエンターテインメントの値上がりは、この先も続くのか。

コンテンツビジネスや「推し活」消費に詳しい中山淳雄さんは、興行側の心理や市場を鑑みると「チケット代はまだ上がる」との見方を示す。

「デフレのなかで金額を上げる怖さがあったのが、(資材高騰や円安などの)理由ができて初めて(チケット代を)上げられたということだと思います。で、思い切って上げてみたら、思った以上に客が離れていかなかった。今は、フィルインする(満席になる)うちはもっと上げてみようというモードですね」

海外と比較すれば、日本はこれでもまだ安いという。

「例えば、ロンドンで『千と千尋の神隠し』が上演されましたが、1階席が日本のS席の2倍ですから。日本は海外より価格弾力性が低いんです」

「価格弾力性」とは、あるサービスの価格が変動したときに、それを買い求める人がどれくらい増えたり減ったりするかという指標のこと。「日本は海外と比べて価格弾力性が低い」とは、現在のチケット代等の値上がりで離れていったお客さんの数が相対的に少ない、ということになる。

「最前席10万円など、高い席はより高く設定するのが海外のスタンダード。ところが日本の興行大手には、伝統的に、『庶民のために』というマインドがあるんです。私自身は、高い席と安い席の差があるほうがいいと思っています。ビジネスクラスがなければエコノミークラスの値段が上がるのと同じ。日本のエンタメ業界は、払える人からは多くいただくということに慣れていないですね」

一方、中山さんの分析によれば、チケット代が1万円を超えると一見(いちげん)さんが来なくなる。そのコンテンツを好きな人が「布教」目的で友達を連れてくるということが行われにくくなるからだ。

今後は、「価格戦略の多様化が始まるのではないか」と見る。

「大手を中心に、チケット代を上げて顧客からの回収を最大化しようとするところが増えると、その反作用として、安い価格で顧客を広げようとするところが出てくるんじゃないかと思います。古い例で恐縮ですが、百年前の大正時代、娯楽の王様は落語でした。落語の木戸銭が当時だいたい25銭。そこへ、吉本興業が漫才を5銭で売ったんです。今の金額でいうと、落語が5000円だったところに、『1000円で誰でも漫才が聞けますよ』と売り込んで、ばーっとユーザーを増やしていった。そういうジャイアントキリングをする会社が現れるのではないか。そのほうがエンタメ全体が活性化しますしね」

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川口有紀(かわぐち・ゆうき)
ライター、編集者。1978年、広島県生まれ。演劇雑誌の編集部員を経てフリーに。主に演劇、芸能、サブカルチャーの分野で取材・執筆活動を行う