立憲民主党の野田佳彦元首相(67)=衆院千葉4区=は29日、党代表選(9月7日告示、23日投開票)への立候補を表明した。千葉県習志野市で報道陣の取材に答えた。代表選への出馬表明は、枝野幸男前代表(60)に続いて2人目。野田氏は「熟慮してきたが、代表選にチャレンジする。再び首相を目指す決意を固めた」と述べた。
◆共産党とは「対話は必要だが、政権は一緒に担えない」
共産党との関係については「対話をできる関係が必要だ。ただ、同じ政権を一緒に担えるかというと、それはできないと思う」と述べ、連立政権の可能性を否定した。
消費税への対応については「将来的にベーシックサービスを実現をしていく財源には、消費税がきちんと位置づけられるべきだ。この時期に安易に減税をするのではなく、現状を維持するのが基本だと思っている」と説明した。
憲法については「論憲の立場だ。党内でしっかり議論をする」と語るにとどめた。
野田氏は、千葉県議を経て1993年の衆院選で初当選し、当選9回。旧民主党政権では財務相などを務めた後、2011年9月に首相に就任。政策面では、政権公約になかった消費税増税に道筋を付けた。消費税を巡って党の分裂を招いた経緯から、立憲民主党内には野田氏への拒否感も根強い。旧民主党は12年12月の衆院選で敗北し、下野した。(中沢穣、近藤統義、長崎高大)
野田佳彦氏の冒頭発言と質疑は次の通り。
【冒頭発言】
野田佳彦、熟慮してまいりましたけど、9月7日から始まる立憲民主党の代表選にチャレンジをする決意を固めました。すなわちそれは、再び内閣総理大臣を目指す、そういう決意を固めたことをここに表明をしたいと思います。
ただ、極めて大きな台風が日本列島を襲いつつある時なので、政府も、国会議員も、メディアの皆さんも、緊張感をもってその状況を注視している。そういう状況なので、今日は決意の表明に留めて、台風が過ぎたあとに、告示の前の段階を見計らって、改めてこの国をどうするのか。そして党をどう改革するのか。詳しく改めてお話させていただきたいと思います。
◆「一定の経験値に基づく安定感」をアピール
立憲民主党の代表選挙。これにもちろん勝ち抜かないといけませんけど、同時並行的に自由民主党の総裁選挙も行われます。すなわち、自民党の総裁が決まり、次の内閣総理大臣になり、その新しい総理は、自らの鮮度が失われないうちに解散総選挙を行ってくるということは多分間違いないだろうと思います。ということを考えた時に、代表選挙を勝ち抜き、そしてその次の政権をかけた戦いに勝ち抜いていくためにどうしたらいいかということを、真剣に考えてまいりました。
自民党の方は、確かに華麗なキャリアを持った人とか、あるいは政治的に、何代も政治家を輩出した世襲議員が多いとか、非常に刷新感を漂わせるような演出になっていると思います。だけど、それに対して、政権を取りにいくとき時には、われわれの刷新感ももちろん必要だが、一定の経験値に基づく安定感で、国の内外に重要課題があるので、そういう課題を解決する覚悟と力量、国家を背負う覚悟と力量が問われているのではないか、ということが、今回の代表選挙にチャレンジしようとした決意の背景にございます。
しかも、これまでの(自民党)総裁選挙立候補者、あるいは候補予定者の発言を聞いていると、この間の通常国会で、政治に対する信頼を取り戻さないといけないにもかかわらず、なんで裏金事件の解明が進まなかったのか。(政治倫理審査会が弁明を求めている)74人も政倫審に出てこない。出てきた人はうそばかり。けじめも極めて大甘。今頃、総裁選挙に立候補しようという人たちが、お金を返納しろとか、党の公認を出すなみたいな話をしてきたけれども、大体処分っていうのはね、自民党で8段階あって、離党勧告、除名、重たいですけど、公認を出さないという処分もあったはず。なんでそういうことをあの最中に言わなかったのか。今頃になって何言ってんだろうと思います。
ましてや、これからどうするという政治資金規正法も、極めて抜け穴だらけのザルでありますので、しかも、自民党と公明党だけで決めた。そんなものに賛成した人たちが、本当に政治改革できるわけないと思いました。信なくば立たず。いろいろ日本、課題があります。だけど、まずは膿を出さなければ前へ進まないのではないか。その膿を出し切る役割を、私が果たして行こうと思いました。
◆街頭ミュージシャンならぬ「街頭政治家」
なぜこの場所(JR津田沼駅北口前)を選んだかというと、1986年の10月1日、無所属で、徒手空拳で県議選に立候補しようとして、初めて震えながら街頭に立ったのがこの場所です。地盤、看板、かばんなし。されど正義あり。志あり。よき友あり。そういうスローガンの下で、お金をかけない選挙、政治を実現をするために、全力で戦い抜いた原点がここにあります。今日も反対側のところで3時間、街頭に立ちました。
私は今、政治に金をかけすぎていると思うし、それに対して深い反省もないということに、強い問題意識を持っています。そういう政治改革を、先頭に立って実現をしていきたいと思うし、そしてそのあかつきには、党首討論で安倍元総理と約束した議員定数の削減であるとか、あるいは世襲の禁止であるとか、本質的な政治改革を自らの手で実現したい。そういう思いであります。
たまたまですけど、今日8月29日、台風の状況を見ながら今日の判断になりましたが、8月29日というのは、2011年の8月29日。13年前、民主党の代表選挙で私が勝たせていただいた。その、まさに、日であります。この場所で、この日で、改めて代表を目指し、そして、日本の世直しのために、内閣総理大臣を目指す。そういう決意の下で戦っていきたいと思います。
38年間ずっと街頭をしてきた。街頭から生まれ、街頭で育てられた政治家です。格好付けるわけではありませんが、街頭から生まれたミュージシャンっていうのはいますよね。ゆずとか、コブクロとか。私は街頭から生まれた政治家ですので、いま、やたら改革もどきを言っている世襲の多い金魚たちに立ち向かっていくどじょうでありたいと思います。一生懸命戦っていくことをお誓いを申し上げまして、私の決意の表明としたいです。
【質疑】
◆「消費税は安易に減税するのではなく、現状維持が基本」
―熟慮の末にチャレンジすること決めたとおっしゃったが、12年前に(民主党が)政権を失った責任を持っている野田さんが再び前に立つことで、先ほど刷新感というお話ありましたけれども、その真逆の状況が生まれている、それについてどう答えるか。消費税の減税は政策の選択肢にはならないのか。
「私自身が熟慮した一番の大きな原因は、私こそがまさに私の名前で出ていますと、それでいいのかと。で、その昔の名前出てて言いますと表現したら、それを知らない記者さんもいっぱいいましたんで、小林旭を知らない人もいるんだなと思います。それぐらい表現が古いんでね、昔すぎるなと思ってるんです。昔すぎると思ってるけれども、でも、刷新感ではなくてね、刷新という実態を実現をするためには 一定の経験が必要なのではないかと思い始めたことであります」
「(2012年は)私が判断をして、解散総選挙で、そして多くの仲間を失いました。これは痛恨の極みだったと思います。もちろん、その3年3カ月の間の民主党政権の業績、投票の結果ではあると思いますが、 解散の時期であるとか等々は私の最後の判断によるものでありますので、逆に今度こそ政権を取り戻すために、(安倍元首相への追悼演説で)『勝ちっぱなしはないでしょう、安倍さん』と申し上げましたけども、やっぱり10数年経って、もう1回政権を取り戻すための道筋をつけることがの私の役割ではないか。大きな責任がある分、その役割を果たしていきたいと思ったということであります」
「消費税率についてのお話でありますけど、私は将来はね、将来的にはあのベーシックサービスを実現をしていくべき、その財源には消費税がきちんと位置づけられるべきだと思っていますので、この時期に安易に減税をするのではなく、現状を維持するというのは基本だという風に思ってます」
―ベーシックサービスとはベーシックインカムのことか。
―ベーシックサービスとはベーシックインカムのことか。
「ベーシックサービスです。インカムではありません」
―立候補に必要な推薦人20人の確保のめどは。
「これから一生懸命…決意を固めたばっかりですから正確に計算はしてませんけども、おそらく20人は超えることはできるだろうという見通しを持って、今日の表明とさせていただきました」
◆「対自民党では戦闘力、他の野党との関係では包容力が必要」
―自民党総裁選で岸田首相が不出馬表明したこと、そして候補が乱立する様相を呈していることは、野田さんの判断に影響はあったのか。
「もちろんありましたね。もちろんあります。で、そのことによって、なんて言いますかね、(米大統領選から)バイデンが撤退したらアメリカの民主党が活性化したかのように、自民党も岸田さんが出ないと言った瞬間に多くの人が手を挙げて、一見すると活性化してるように見えるけども、でも、もともと辞めた原因がね、政治とカネの問題で万策尽きたということじゃないですか。その深い反省のもとにみんなが手を挙げているのかというところに逆にギャップを感じて、で、これは膿を出さなきゃいけないんじゃないか、彼らにはできないと判断をしたということであります」
―出馬されることで論戦を引っ張っていきたいという気持ちもあるかと思う。どのような論戦にしていくべきか。既に表明されている枝野(幸男前代表)さんはヒューマンエコノミクスという政策を出されています。これから政策を出すというが、経済政策などについてはその一端をお聞かせください。
「具体的には告示の前に改めてしっかりとお示ししたいと思いますけれども、私は総理大臣の時に打ち出したスローガンが、いわゆる分厚い中間層の復活だったんですよね。そう言ったけれども、未達で終わり、その後の安倍政権、菅政権、そして今の岸田政権と続く中でむしろ格差は広がってきた。むしろ中間層からこぼれ落ちてきてる人たちがたくさんいるという状況に光を当てていく経済財政政策というものを考えていきたいと思います」
―先ほど、総理を再び目指されると。政権交代を目指すということだと思うが、現状、立憲民主党は次期衆院選の候補者、単独政権を取れる数にはなっていない。仮に代表選に勝たれた場合、単独政権を目指す考えなのか、それとも国民民主党などとの選挙調整も含めて連携策を模索するのか。
「現時点で立候補者の確定状況は200(人)ぐらいだったと思うんですが、泉(健太)代表は233を目指すとおっしゃってるんで、それはよく代表の話を聞いてみなければ、現状把握をしなければいけないと思いますけれども。実態としてはね、私はやはり急に立てても間に合わない人たちもいるかもしれないということを考えると、大目標は自民党を単独過半数割れに追い込むということだと思います。で、単独過半数割れに追い込むためには、本来は自民党を支持してたけれども失望したという保守層を、われわれのメッセージで心を掴んでいくようなやり方が必要になってくると思います。その役割を自分なら果たせるかもしれないという思いがありますね」
「だから、立憲だけで届かない可能性は十分あるんで、だとすると野党連携が必要になってきます。その意味では、他の野党と常に対話のできる状況は持ってなければいけないだろうと思います。対自民党では戦闘力、そして他の野党との関係性では包容力。そういうものが求められるんではないかと思います」
◆2012年には一番立場が離れた小沢一郎氏と「方向感で一致できた」
―最終的に立候補の決断をしたタイミングと、最後の決め手になったのは何だったのか。
「やはり党内の若手中堅議員からの要請もありましたけど、毎日街角に立ってますんでね、そういう有権者の声が一番大きかったんだなと思います。私にとっては街頭に立つことが自分なりの原始的な世論調査で、その声をしっかり受け止めなければいけないということを改めて思ったことです」
―共産党との間合いの取り方はどうされるか。
「対話をできる関係ってのは私は必要だとは思います。ただ、これは政権取りに行って、 例えば同じ政権を一緒に担えるかっていうと、それは私はできないと思いますのでね。どういう対応をするかということだと思います」
―野田さんと小沢一郎さんはずっと対立関係にあったと思うが、何度か二人で対談した経緯がある。 二人の関係を、和解というかですね、意気投合というか、話せる範囲で教えていただけないか。
「代表選挙で目指す方向感では一致することができたと。で、まずは一番本当は近い存在で根っこは同じだった国民民主党、連合を介して 選挙区調整等々しっかりやっていく。できれば合流できるようになればいい。で、そしてもう一つ、維新も含めて、やっぱりどちらかというと中道から右のサイドの野党との関係性があんまりうまくいってないのではないか。で、その先の穏健な保守層まで狙わないと政権取りはできないだろうという、その方向感で、そういう選挙を戦うための代表には誰がいいのかというような方向感は一致することができたと思います」
「ただ、小沢先生が私を応援してくれるかどうか、それはまだわかりません。方向感は一致をしたと思います。逆に言うと、2012年の時には一番立場が離れた方でありまして、一番離れた同士が問題意識の共有まで来たということは一つの前進ではないかと思います」
―共産党との関係はどうするのか。
「今お答えした通りです、はい」
◆「例えば内閣人事局は廃止してもいいんじゃないか」
―冒頭で政治改革についての言及あったが、代表選、そして来る総選挙に向けてどのような政策をメインに掲げて、有権者あるいは党内の議員、党員に訴えかけていかれるのか。
「私を支えてくださる、比較的若手議員が多いんでね。私は刷新感全くないですけど、新鮮な人たちを周りに、支えてもらいながら体制を作っていきたいと思う中で、そういう彼らの意見を取り入れていきたいと思います」
「ただ、私自身が一番やりたいのは分厚い中間層の復活です。やっぱり格差の是正の問題、それからやり残した議員定数の削減とか、自民党では絶対できないであろう世襲の禁止とか、そういうものを打ち出していきたいと思います。加えてね、 政権を預かった時によく言うことですけども、国家経営の要諦は三つあると思ったんです」
「外交関係でやっぱり日米が基軸であると。それからもう一つは、政と官の関係性。われわれの時は政治主導と言い過ぎて空回りした。その後、じゃあ自民党政権になったらどうかというと、例えば官僚の皆さんがね、内閣人事局を通じて、あれができてから忖度するようになりましたね。もう一つは、皇室を大切にすること。三つなんですけど、今の2番目のところで言うとね、政と官の関係をもう1回フラットに戻すためには、例えば内閣人事局廃止でもしてもいいんじゃないか、そういうことの行政改革も打ち出していきたいという風に思います」
「一つはね、政治資金を相続できないような法案っていうのは、もう1回出してます。で、政治資金を通じて世襲にしようという意図がなくなることは一つだけど、本質的には公職選挙法を改正して、同一選挙区から3親等以内の人たちが連続して出られないようにするということが必要だと思うんですね。ただ、これ憲法の問題に絡んでくる。だとすると、あの党の内規で位置づける。じゃ、それは自民党できるのかという改革競争をやるというのは一つの手かもしれません」
―英国の方式ということか。
―英国の方式ということか。
「内規ということですね、内規。ガバナンスの競争をするということですかね」
―かつて党首討論で戦った安倍元総理も、2回目の挑戦で総理になった。政敵ではあるが、安倍さんを今回は意識したところはあるか。
「いや、特に意識してここで決意をしたわけではありませんけれども。ただ、安倍さんのどん底からはい上がる力をね、(国会での)追悼演説で触れましたけども、それはたくましいなと思ってたんで、私自身もそういう思いの強さを学んで、 もう1回チャンスを掴みに行きたいということにはなりました」
◆「民主党政権ができなかった理由、改めて説明しなければいけない」
「今回は講演依頼が(台湾の)外交部からあったからなんですよね。で、もちろん(頼清徳)総統ともお会いをしましたけども、そちらで強調したことはね、これは2021年のバイデンさんと菅(義偉)さんで日米で共同声明出しました、初めてじゃなくて、日中国交正常化の頃からの、久しぶりに、40数年ぶりに台湾というワードが入った共同声明なんですね。で、そこでは台湾海峡のまさに重要性を書いてるんです。平和と安定の重要性、そして力による現状変更はダメだという路線が出てるんです、平和的な解決」
「これをベースに、今、G7でもサミットでも、共同コミュニケ、必ずこれが入るようになりました。私はこれ、基本姿勢で賛成だと申し上げました、菅さんがやったことでありますけれども、やはり力による現状変更はダメだということを発信し続けるのが日本の役割じゃないかという、外交努力が抑止につながっていくと。アメリカだけではなくて欧州諸国なども含めて国際社会にその世論喚起をして、その意識を定着させていくのが日本の役割であるということを申し上げてきました」
―南西諸島の武力強化についての軍事強化については、台湾の方から懸念は表明されなかったか。
「危機感はおっしゃってましたよ。南西諸島全体じゃなくて、台湾海峡の危機感はおっしゃってました」
―旧民主党が政権を取って15年目。民主党の流れをくむ立憲民主党が政権を取ると、世の中の人が、子供手当2万6000円できなかったじゃないかとか、高速道路無償化できなかったじゃないかとか、不信感がまだあると思う。野田さんが政権を目指すならば、その不信感の払拭が一番大事になるが、どうするか。
「できなかった理由を明確に、改めてご説明しなければいけないと思うんですね。あの当時から言ってたつもりですけど、私、どちらかというと財政担当してたんで、 リーマンショックなどで9兆円も税収へこんでしまった中で、約束したことが全部財源を確保することができないで、半分やったりとか、できなかったものがありました。ということは言ってきたつもりですが、改めてできなかった理由というのは言わなきゃいけないと思います。でも、やろうとしたことは、それを自民党政権が真似してるものばっかりなので、その正当性は単なる反省だけじゃなくてね、きちっと主張していかなければいけないと思っています」
「『論憲』の立場です、論憲。党内でしっかり議論をする。民主党の時から論憲ですから」
―緊急事態条項も議論する。
「そういうことも含めて論憲をする」