シベリア抑留の犠牲者 数では伝わらぬ命の重さ(2024年8月23日『毎日新聞』-「社説」)

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「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」で献花台に手を合わせる元抑留者の遺族や関係者=東京都千代田区千鳥ケ淵戦没者墓苑で2020年8月23日午後2時13分、西夏生撮影
 79年前のきょう、シベリア抑留が始まった。国家による戦争で多くの人が人生を狂わされた。歴史の教訓を語り継いでいくべきだ。
 第二次大戦終結後の1945年8月23日、旧ソ連の指導者スターリンが抑留を命令した。旧満州(現中国東北部)や朝鮮半島にいた元日本兵らが労働力として旧ソ連やモンゴルに連行された。
 厚生労働省の推計によると、抑留者は約57万5000人に上る。最長で11年に及び、約5万5000人が亡くなったとされる。
 犠牲者を追悼する集いが、きょう東京で開催される。約4万6300人分の名簿を、有志がオンライン上で読み上げる追悼イベントも実施される。
 名簿は、抑留経験者だった村山常雄さんが96年から10年かけて、一人でコツコツと作成したものだ。厚労省が公表した不完全なカタカナの名簿を基に、遺族から集めた情報などを照合した。さらに現地で墓碑の名前を書き写すなどして氏名の漢字を割り出した。
 「一人一人の無念さと命の尊さを、その人自身の氏名に刻んで歴史に残したい」。10年前に亡くなった村山さんは生前、その思いを語っていた。
 政府は91年に旧ソ連と協定を結んで遺骨の収集を進めてきた。収容された遺骨は2万264人分にとどまり、3万人以上が故郷に戻れないままだ。
 2020年からは、コロナ禍やウクライナ危機の影響で、ロシアでの現地調査はできていない。現在はモンゴルやカザフスタンで亡くなった人の調査が続く。
 生存している抑留経験者は3000人を割り込み、平均年齢は100歳を超えているとみられる。抑留の実態を明らかにし、残されている遺骨の収集、身元の特定作業を進めるのは政府の責務だ。
 第二次大戦終結から80年近くたっても、世界では戦火が絶えない。ロシアのウクライナ侵攻では1万1500人以上の民間人が殺され、イスラエル軍パレスチナ自治区ガザ地区攻撃での犠牲者は4万人を超えた。
 だが、犠牲者を数字だけで語ることはできない。一人一人に名前があり、命の重みがある。悲惨な戦争を繰り返さないために、そのことに思いをいたしたい。