名刺、印形、腕章、不正防ぐ道具が犯罪に使われた帝銀事件 昭和23年コラム「時事小観」(2024年8月18日『産経新聞』)

 

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被害者の棺が運び出される帝国銀行椎名町支店=昭和23年

<時事新報のコラム「時事小観」。明治15(1882)年、福澤諭吉が創刊した「時事新報」は戦後、産経新聞と合同し、「産経時事」と呼ばれた時期もあった。>

 帝銀事件は第七週に入ったが、捜査はやはり業務関係、即ち名刺とか腕章とか筋を主としてたどっているようだ。

▼そこで誰も考えるのは、日本ほど名刺の使われる国は少かろうということだ。尤も、面接にも紹介にも、手紙代りにも住所録の役にも、こんな便利なものはない。名刺代りとかの言葉もあるが、とにかく大官や重役の机上には、うず高く積まれる。元来は木竹を削って用いたので、その意味の「刺」という字がつくのだそうだが、紙になってからは、身分、肩書に物を言わせる東洋流も手伝って、自然乱用されがちである。

▼従ってニセ名刺事件も起るわけだが、使う際に、用向きによってカドをいろいろに折りまげる古い方式で行けば、二度使われる心配がない。用が済んだら返すか穴をあけるかするのも一方法であろう。

▼名刺と同じような、或はそれ以上に乱用されるのは印章だ。これも重宝ではあるが、うるさくもあり、毒殺魔が用いた小切手裏面の認印のように、悪の前にはあまり効果がない。腕章に至っては、今度の事件の発端であって、日本人の柔順的事大性を遺憾なく発揮したとの評もある。

帝銀事件には、この名刺、印形、腕章が期せずして登場し、しかも原因結果に於てそれぞれ重大な役割を演じた。だが、不正や混乱を防ぐためのこの三つが、逆に犯罪の道具となり、また捜査も、それを本に行われているなどは不思議な話である。

▼禍いも、これによって教えられ戒しめられた所が将来に活かし得れば、その幾十分はつぐなわれたことにもなる。それは、ただに名刺や腕章のことばかりでないことは云うまでもない。

(昭和23年3月9日)