小泉純一郎は首相在任時、国民の支持を政治力の源泉とした。世論の力で「敵」をたたき、推進力に変える政治手法は自民党内に深刻な対立を生んだが、小泉は平成15年の総裁選でも亀井静香ら反対勢力を抑えて勝利した。
小泉政治のキーワードの1つが「世代交代」だった。元首相の中曽根康弘、宮沢喜一を引退させ、衆院当選3回の安倍晋三を史上3番目に若い49歳で幹事長に抜擢(ばつてき)。その後、初入閣にもかかわらず内閣の要である官房長官に据えた。 小泉は5年5カ月の長期政権を築き、2期目の総裁任期満了で退任した。ポスト小泉である麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍の4人は「麻垣康三」と総称された。
■安倍晋三が圧勝
18年の総裁選には「麻垣康三」のうち福田を除く3人が出馬。「世代交代の旗手」と目された安倍が派閥横断的に中堅・若手の支持を集め、464票を獲得して麻生(136票)、谷垣(102票)に圧勝した。 ただ、戦後最年少の52歳で首相に就任した安倍は政権運営につまずいた。19年夏の参院選で大敗して「ねじれ国会」を許し、在任1年で突然の辞任表明に至った。慌ただしく実施された総裁選は福田と麻生の一騎打ちとなり、71歳の福田が8派閥の支持で圧勝した。
「昨年の総裁選で『年だから』と立候補をやめた福田氏が一夜にして最有力候補になった」「(派閥が)どさくさまぎれのように自己主張を始め、流れを変えた」。当時の「産経抄」はそう記している。 福田政権は支持率低迷にあえぎ、またしても在任1年で突然の辞任表明に至った。ライバル民主党が政権交代へ党勢を拡大し、自民は崖っぷちに立たされる中、20年総裁選には麻生、与謝野馨、小池百合子、石原伸晃、石破茂の5人が乱立。麻生が4度目の挑戦で総裁の座を勝ち取った。
■追い込まれ解散
衆院議員の任期満了が迫る中、活発な政策論争で国民の耳目を引き付け、その勢いのままに衆院解散-とのシナリオがささやかれたが、麻生は首相就任直前に発生したリーマン・ショックによる経済危機への対応を優先した。結果的に1年後の「追い込まれ解散」となり、自民は下野した。 令和6年の総裁選は、派閥解散という状況の下、40代の若手の出馬が取り沙汰される。自民の歴史には「世代交代」と「脱派閥」が繰り返し立ち現れる。(敬称略)