報道のあり方とは?(写真はイメージ)
フジテレビの現役社員で作家の初瀬礼さんによるサスペンス小説『報道協定』(新潮社)が刊行された。
テレビ局で働く著者が報道のあり方を問いながら、誘拐事件の謎を追っていく記者の葛藤を描いた本作の読みどころとは?
文芸評論家の西上心太さんの書評を紹介する。
西上心太・評「二つの誘拐を結ぶ失われた環は?」
『報道協定』初瀬礼[著](新潮社)
時は誰にも等しく流れる。だがある者にとって、その流れが極めて残酷なこともある。
過去と現在に起きた二つの誘拐事件を扱った本書は、人質の安否と報道のあり方が問われ、そのせめぎ合いのスリルが推進力となるサスペンス小説である。同時に、時の流れに逆らい、過去に犯した失態へのリベンジと、現状にアジャストしようともがく者たちの姿を描くことにも力が注がれた、濃厚な人間ドラマでもある。
2010年12月、総合病院の理事長・佐久間宗佑の息子で小学校一年生の悠斗が誘拐された。一報を聞いた東京中央テレビ報道局社会部で、警視庁記者クラブのキャップを務める諸橋孝一郎は現場の勝浦市に駆けつける。営利誘拐事件のため、マスコミは千葉県警と報道協定を結び、いっさいの取材・報道を控えることになった。だが誘拐を知った山下コースケという人気ブロガーが、誘拐のことをブログに書き込み、それをネットニュースが報じてしまう。協定の意味がなくなり、雪崩を打ったように各マスコミも誘拐を報道することに転じる。その結果、犯人は後に逮捕されたものの、誘拐された子供は報道の直後にパニックになった犯人によって殺されてしまった。
それから十四年後の同じ月にまたも誘拐事件が起きる。IT企業ツインズの社長簗瀬拓人の長男で幼稚園児の翔太が、託児所が設けられたツインズの自社ビルの中から忽然と姿を消してしまったのだ。諸橋は再び取材に赴くが、十四年前の立場とは大きく違っていた。
諸橋は勝浦の事件後に、社会部から調査報道番組のプロデューサーに異動していた。番組の評価は高かったが、目をかけていた女性ディレクターのやらせが発覚してしまい、番組は打ち切りになってしまう。諸橋も責任を問われ左遷の憂き目に遭う。ようやく社会部に復帰したが、便利屋同然の遊軍記者という立場に甘んじているのが現状だ。役職定年まであと一年。記者として実績を残す時間はわずかしかない。
もう一人崖っぷちに追い込まれているのが、韓国系ネットニュース配信会社エターナルの記者アン・ジヒである。かつて諸橋の後輩だったが、完全実力主義をうたう同社に転職していた。だが最近はPV数や滞在時間を稼げる記事に恵まれず、契約を切られる危機に直面していた。
警視庁捜査一課特殊犯捜査第二係の種田由梨は簗瀬夫婦の自宅に詰めていたが、父親の拓人が何か隠していることに気づく。そして諸橋の元には十四年前の被害者の父・宗佑から、山下コースケの正体が分かったというメールが届くが、そのメールを最後に連絡が取れなくなってしまう。
警察も進行中の事件が、過去の誘拐事件と接点があることをつかみ、容疑者の筆頭に宗佑が浮かび上がる……。
諸橋は昭和の臭いがする昔気質の、事件屋と呼ぶのがふさわしい記者である。不幸な結果に終わった過去の誘拐事件も忘れずに、毎年悠斗の命日には墓参りに赴き、そこで出会う宗佑の心を開かせるに至ったのだ。その一方、仕事第一で昔も今もまったく家庭を顧みようとしない。そのため妻子との関係はとても良好とはいえない。しかも一人息子は発達障害気味で、興味のあることにしか目を向けようとしないのだ。大学卒業後に就職した一流企業もすぐに退社し、家に引きこもっている。そんな妻子を養うため、閑職であろうが周囲の白い目に耐え、一定の給料水準にあるテレビ局にかじり付いているのだ。
諸橋孝一郎とアン・ジヒ。互いのネタ元から手に入れた情報をもとに、二人は秘かに協力し合い、誘拐に隠された謎を追っていく。
人質の人命が最優先される誘拐事件。そのために結ばれるのが報道協定である。だが現代においてネット通信社も増え、多くの者がSNSを利用する社会になっている。そのようなネット社会において、日本独自の報道協定がどこまで有効なのか。協定によって手足を縛られたに等しい各マスコミの記者たちは、どのような節度と覚悟をもって事件取材に立ち向かうのかが作中で問われていく。
さらに密室から消失したかのごとくに思える、人質幼児の誘拐方法が、最後まで謎として残っていることも本書の趣向の一つである。その解明に力を貸す意外な人物の登場に、思わずはたと膝を打ってしまった。その人物のありようこそ、ネット社会の現代にふさわしい存在に思えた。
報道協定とマスコミの使命。汚名返上を狙う者たち。さまざまな立場の組織や人間が拮抗する、魅力にあふれた物語をたっぷりとお楽しみいただきたい。
[レビュアー]西上心太(文芸評論家)
にしがみ・しんた
協力:新潮社 新潮社 波
Book Bang編集部
新潮社