夏に知る命をかけた先人の思い(2024年8月12日『産経新聞』-「産経抄」)

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多くの参拝者でにぎわう靖国神社の「みたままつり」前夜祭=東京都千代田区(相川直輝撮影)
 夏休みも後半、自由研究に悩む子供たちに薦めたい施設がある。日教組の先生は顔をしかめるかもしれない。靖国神社の資料館「遊就館」だ。久しぶりに訪れると、数多くの展示資料の中に、先の大戦で戦死した五輪選手らの遺影や遺品があり、見入った。
▼昭和7年のロサンゼルス五輪馬術金メダルで知られる西竹一(陸軍大佐)は42歳で激戦地の硫黄島で戦死した。同じロス五輪水泳100メートル自由形で銀の河石達吾(陸軍大尉)が同島で戦死したのは33歳のときだった。
プロ野球選手らの名もある。名古屋軍(現中日)投手で18年にノーヒットノーランを達成した石丸進一(海軍大尉)は特攻で22歳のとき戦死した。妻にあてた手紙には息子と日本の将来を思う気持ちがあふれている。
▼国のため命をかけた人々のことを私たちはどれだけ知っているだろうか。峯木十一郎(といちろう)陸軍中将を知る人も多くないだろう。小欄も産経新聞OBの作家、将口泰浩さんに教えられた。中将は北太平洋キスカ島の陸軍守備隊長だった。18年、米軍が迫る中で救出に向かった海軍の木村昌福中将らと連携、奇跡といわれた撤退作戦で生還した。
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▼だが帰国後、さらなる試練があった。終戦直前に日ソ中立条約を一方的に破って参戦、侵攻してきたソ連軍と戦いシベリアに抑留された。南樺太や占守(しゅむしゅ)島には峯木中将らキスカから生還した将兵が駐留していた。激しく抵抗、戦闘した部隊があったから北海道占領は阻止された。
▼抑留は11年間におよび帰国したのは昭和31年だ。抑留の地獄のような環境で「君たちは生きて帰り、日本を立て直さねばならない」と若い仲間を励ました。「重厚果断の将軍」と慕われた。歴史に隠れた先人の思いを知ってほしい。

 
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遊就館では下記の日程にて、映画「樺太1945年 夏 氷雪の門」を上映いたします。
皆様お誘い合わせの上ご覧ください。
大東亜戦争終戦時の混乱期、ソ連軍が樺太に侵攻してくる中、多くの人々を守る為、最期まで通信連絡をとり、若い命をなげうった真岡郵便局電話交換手9 人の乙女たちの真実の物語。( 昭和49 年・120 分作品 日本語のみ)
≪期 間≫ 8月1日(木)から31日(土)まで
      ※ 8月 14日~ 15日は上映休止いたします( 混雑緩和のため )
≪時 間≫ 午前 10 時 / 午後 1 時( 1日2回上映 )
      ※開場は上映の 10分前 です。
       上映開始後に入出場なさる場合は、他のお客様の鑑賞の妨げにならないようご配慮ください。
≪場 所≫ 遊就館2階映像ホール2 ※常設展拝観券をお求めください。