繰り返される冤罪、捏造、自作自演――70年にわたる戦後日本警察の歴史から見えてくる「警察の正義」の曖昧さ(前編・後編)(2024年8月5日『現代ビジネス』)

捜査一課と公安一課。異なる組織に属する二人の刑事の視点を通して、戦中から平成までの日本警察の歩みを描き切った大河シリーズ「日本の警察」。一大クロニクルの筆を措いた堂場瞬一さんが本シリーズに込めた思いとは。
【聞き手・構成】宮田文久
堂場瞬一(どうば・しゅんいち)
1963年茨城県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業。新聞社勤務のかたわら小説を執筆し、2000年『8年』で第13回小説すばる新人賞を受賞。2013年より専業作家となり警察小説、スポーツ小説など多彩なジャンルで意欲的に作品を発表し続けている。近著『ルーマーズ 俗』『守護者の傷』『ロング・ロード 探偵・須賀大河』のほか、「日本の警察」「警視庁総合支援課」「警視庁追跡捜査係」「ラストライン」各シリーズなど著書多数。
戦前の特高から連なる「公安警察
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写真:現代ビジネス
──昭和から平成までを貫き、時代と警察の関わりを描き出していった「日本の警察」シリーズが、『鷹の飛翔』刊行をもって全六作で完結しました。数ある警察小説の中で、本シリーズの特徴は捜査一課と公安一課、同じ警察でも異なる二つの組織が同時に描かれていることですね。二つの組織を軸に据えた狙いは何だったのでしょうか。
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堂場発端は昭和を代表するコメディアン、古川ロッパに興味を持ったのがきっかけでした。戦前から戦中にかけて、大衆演劇のスターたちは人々を文字通り「動員」することができるので特別高等警察(特高)に目を付けられ、ロッパはエノケン(榎本健一)と並んで厳しい検閲の対象となる。そこから着想を得て、終戦間際を舞台にしたシリーズ第1作『焦土の刑事』では、主人公の一人を芝居の台本の検閲を行っている人物にしました。
特高に籍を置き、根っからの芝居好きでありながら検閲を行う人物、海老沢六郎です。本人としては善意に基づき、世のため芝居のために検閲にあたっているけれども、検閲される側にとっては実に嫌な存在です。
特高という組織は戦後、公安警察へとつながっていくのですが、彼らの「正義」は時代によって移ろっていく。その時代その時代で刻一刻と変化していく「正義」のために身を粉にして働く公僕として、公安は存在する。
それなら、変わらない「正義」のために働く人間を、もう一人の主人公にしてはどうだろうと考えました。いつの世にも許されない「殺人」という、いわば不変の犯罪を相手取る捜査一課の高峰靖夫を、海老沢の友人として登場させたんです。
一枚岩ではない警察の「正義」
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写真:現代ビジネス
──時に協力し合い、時に袂を分かち、シリーズを動かしていく対比的な二人のキャラクターは、そのようにして生まれたのですね。
堂場戦後廃止された特高と入れ替わるように生まれた公安という組織の仕事の内容は、時代と共にどんどん移り変わっていきます。昭和27年が舞台のシリーズ第2作『動乱の刑事』においては共産主義者の過激な革命勢力、昭和45年が舞台の第3作『沃野の刑事』では七〇年安保闘争の学生と、目を光らせる相手も次々と変化していく。警察組織の中でも、最も対象が変化していく人々なんですね。
他方の捜査一課は、基本的にやることはあまり変わりません。人が殺されたとなれば、その犯人を捕まえて事件の解決を見るまではどこまでも、地を這ってでも追及していく。
──まさに海老沢と高峰の対比ですね。
堂場こうした二種類の警察組織の人々を描いていくことによって、警察のありようもさまざまに浮かび上がってくるのではないか、と考えました。
ひとつは「正義」の複雑さです。警察といえば「正義」の味方であるという意識が世の一部にはありますが、その「正義」は一様ではない。
もうひとつは、警察はそうした「正義」の顔をまといながら、市民に対する抑圧システムとして働く面もある、ということです。先日の大川原化工機事件は、公安部外事一課による「冤罪」逮捕だったと問題になっているわけですね。また殺人事件の捜査にしても、戦後日本で「冤罪」が疑われた例は、今日に至るまで枚挙に暇がない。「日本の警察」シリーズは戦中を起点として、警察の光と闇を描いていく物語なんです。
「公安」を描くことの難しさ
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写真:現代ビジネス
堂場捜査一課と公安一課の刑事を主人公にしたことには、実はもうひとつの狙いももたせています。それは、歴史を書くにあたって「ミドルクラスの人物の視点で語る」ということです。
歴史を書くとなるとたいていは、偉人など上からの目線か、あるいは平民による下からの目線か、そのどちらかになることが多いですから。
──その間にミドルクラスがいるだろう、と。
堂場世に知られていることとは異なる「裏」の実情──たとえば戦争中、「実はだんだんと敗戦色が濃厚になってきている」といった状況を知り得る立場にあったにもかかわらず、そこに触れずに国家や組織の命令に従い続けたミドルクラスたちがいたわけです。
高峰と海老沢はそうした、ある種の無責任さをもまとってしまっているキャラクターとして描いています。よかれと思って働いていても、実は事態を悪化させている、ということは往々にしてある。ミドルクラスを描くということは、歴史のなかで生きる人々のそうした姿勢にも、厳しく目を向けることを意味するんです。
──公僕として、そして組織の一員として生き、働くことの難しさも滲みます。
堂場一方で、これはあくまで小説的な処理の問題なのですが、「公安の実際」というものはなかなか描きにくいんです。このシリーズでも、公安の刑事同士がお互い目下何の仕事に従事しているのかわかりづらいということには触れていますが、おそらく実情はもっと複雑です。そもそも意思決定のプロセス自体がほとんど不可視のものとなっていて、誰が何をやっているのか本当によくわからないのではないか。
しかしそれをそのまま小説に書いてしまっては、よくわからない人物たちがただ蠢いているだけになってしまうので(笑)。なんとなく公安全体が連動して動いていて、海老沢の視点からも、その動きが辛うじてではあるが見える、というぐらいに収めてあります。組織としてのリアリティを追求するよりは、小説としての面白さを優先したポイントではあります。
資料が残されていない「特高
──シリーズの各作品ごとにお話を伺います。まずはシリーズ昭和編第1作『焦土の刑事』です。
堂場昭和20年3月、東京大空襲の翌朝、防空壕で女性の他殺体が発見され、京橋書の刑事である高峰が調査に乗り出すところから始まります。しかし事件はなぜか組織的にもみ消されてしまい、高峰は特高の海老沢と手を組み、終戦を迎えてなお謎を追いかける……という話です。
本作においては特高という存在がひとつの鍵ですが、特高を書くのは本当に難しい。というのも、資料がほとんど残っていない、いや、残していないんです。これまでにもいろいろと調べている人はいて、当時を知る人にもコンタクトをとっているようなのですが、断られることが多いようなんですね。
──アクセスが難しい、と。
堂場私自身も国立国会図書館でひたすら調べながら書いていたのですが、やはりあやふやな部分が残る。どうやったら細部を描き込むことができるだろうか、と途方に暮れていたとき、偶然見つけたのが、早川書房が出している『悲劇喜劇』という雑誌に載っていた、検閲担当者たちの座談会だったんです。
かなりシビアな話が誌面に掲載されていて、なるほど、こんな感じだったのか、とようやく腹から理解することができました。書き上げるタイミングとしてはギリギリだったのですが、その資料のおかげでグッと血を通わせることができたんです。
──芝居の台本の検閲をめぐる攻防が『焦土の刑事』では描かれますが、そうした資料の発見によるものなのですね。
堂場特高にいた人が戦後どうなったのか、といったことも、調べるなかで改めて理解できました。戦中はあれほどに人々を弾圧したわけですから、どんなに恨まれても致し方ないはずなのですが、しかし元特高が袋叩きにあったというエピソードは寡聞にして知りません。
GHQにより特高治安維持法と共に廃止され、特高にいた人々の多くは一時的に職を失いますが、直後から公安が組織され、徐々に呼び戻されていきます。現代の公安というシステムの素地には特高がある。そしてこの点において、戦中と戦後は連なっている。戦中の小説を書くということは、現在までつながるその根っこを見ていくということだと思っています。
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1945年、東京大空襲の翌朝、防空壕の中で女性の刺殺体が発見された。捜査を進める京橋署刑事の高峰は署長から思わぬ言葉を聞かされる。「あれは、空襲の被害者だ」。殺人事件のもみ消し―そしてまた殺人が起きる。
【同時代の主な出来事】東京大空襲 広島長崎に原爆投下 ポツダム宣言受諾 特別高等警察解体 治安維持法廃止
共産主義」を警戒していた時代
──昭和編第2作『動乱の刑事』は、昭和27年に都内の駐在所が爆破されるという事件からはじまります。その3年前に起きた未解決の列車暴走事件「三鷹事件」など、当時の実際の出来事にも言及されますね。
堂場「警察では共産党員など十数人を逮捕したものの、結果的に有罪判決を受けたのは、非共産党員の元運転士一人だけで、共産党員には全員無罪判決が出ていた」という記述は、ほぼそのまま三鷹事件の事実を踏まえています。
──公安は共産主義者の過激分子に目を光らせ、かつ世には日本の共産化を警戒する風潮もある。史実を踏まえつつ『動乱の刑事』を読んでいると、当時の世相には強い懸念が渦巻いていたことが伝わってきます。
堂場いろんな意見があるのですが……いま検証的に振り返るならば、私としては心配しすぎだったのではないか、と感じます。いくら国政において日本共産党議席を伸ばしていたといっても、冷静に考えれば、日本全体が共産化するという恐れは大袈裟だったのではないか、と。
「日本の警察」シリーズの流れのなかでとらえるならば、こうは言えないでしょうか。共産主義の危険性を周知して煽り、大変な事態なのだと国民がビビる空気を醸成するという点において、その後の公安につながるような、いわば捜査対象の空洞化を防ぐ動きを見せはじめていたのではないか。自分たちで捜査対象を再生産していく、その端緒がこの時期にあったのではないか。
穿った見方ではありますが、このような公安の仕事としてのリアリティから、当時の世相に対峙した小説といえると思います。
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1952年、東京都内の駐在所が爆破され死者2名を出した。高峰は共産党過激派の関与を睨むが、秘密主義の公安から情報が流れず捜査は難航する。捜査一課と公安一課が掲げる「正義」の違いが二人の関係に影を落とす。
【同時代の主な出来事】国鉄三大事件 血のメーデー事件 サンフランシスコ講和条約発効 破壊活動防止法公布
団塊の世代」へのアンチテーゼ
──昭和編3作目『沃野の刑事』です。昭和45年、高峰と海老沢の旧友である週刊誌編集長の息子が自殺し、その死の謎を二人が探っていきます。六〇年安保闘争を経て七〇年安保も終盤に差し掛かっている時期です。学生運動華やかなりし頃でありながら、徐々に政治の季節の終わりも近づいている。そして高度経済成長期の、まさに「沃野」の日本社会が描かれます。
堂場シリーズ中、書いていて一番楽しかったのが『沃野の刑事』でした(笑)。わさわさと揺れ動いているこの時代を書いてみたいという思いはずっと抱いていたので、シリーズの一環という名目のもと取り組めて、念願がかないました。
私はこの時期に学生運動に熱心に取り組んでいた人たちのことをうまく理解できないでいます。というのも、団塊の世代である彼らはまた、後に働き盛りの年齢となった時、バブル景気を形作っていく世代でもあるんです。
──なるほど、正反対の営みに見えますね。
堂場「学生運動の時はどこまで本気だったんですか」と、私などは意地悪な質問をしてみたくなってしまいます。そして実は、高峰と海老沢の息子たちがこの世代に当たるんです。しかし彼らはそうした世の動きとはかかわることなく、警察官になっていく。いわば息子たちは学生運動世代におけるアンチテーゼとして登場して、それが平成期の『鷹の系譜』へとつながっていきます。
──『沃野の刑事』に登場する息子たちは、そうした位置にあるのですね。
堂場『沃野の刑事』では、公安が機能不全に陥っていく過程も描いています。学生運動の裾野が広がる中で、強い思想・信条の持ち主ばかりではない状況もまた広がっていきます。そこには、みんなが参加しているから一回だけデモに参加してみた、というような軽い気持ちの人も数限りなくいたはずです。すると、どのレベルから公安はマークすべきか、という問題が生じてくる。どこまでやるべきかの判断がつかなくなってくるという点に、公安の隘路のようなものが見え隠れするわけです。
──そうしたシリアスさが滲む一方で、高峰・海老沢ふたりとも、当時の若者に人気だったテレビ番組『ゲバゲバ90分!』が苦手、というのは笑いどころです。
キャプチャ
 1970年、高度経済成長で沸き立つ日本。理事官となった高峰と海老沢は袂を分かって久しい。旧友の週刊誌編集長の息子の自殺をきっかけに見えてきた、日本全土を揺るがすスキャンダルの存在。「警察の正義」を巡り苦悩してきた高峰と海老沢の答えは―。
【同時代の主な出来事】70年安保闘争 いざなぎ景気 日米貿易摩擦 よど号ハイジャック事件